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人を救うために共感は必要だろうか
人を救うとは何かということでもありますが、 例えば何かしら相談を持ちかけられた時、相談者はある程度の共感を相手に求めてきます。 私の気持ちが分かるよね?という具合です。 仮に相談を持ちかけられた人が共感したとすればそれは相談者と同レベルということを意味しないでしょうか。 それはある意味で似た者同士ということにもなります。 はたして同レベルの人が適切な解決策を示すことができるでしょうか。 釈迦やキリストは人を救おうとしたと言いますが、彼らとその信奉者たちとの間に共感はあったでしょうか。
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ミラーニューロンがあるので、身の上話を聞いているうち、相手と同じ経験をしたことが無くても、涙が出てくることがありますよね。 ミラーニューロンがあるため、他人の喜び・悲しみなのに、こっちも喜んだり悲しんだりするわけです。 わがことのように「なんとかせにゃーならん」とか思ったりするわけです。 ところで、、、、 クライアントの相談を聞いていて、カウンセラーが号泣してしまうって話を聞いたことがありませんよね。 なぜかというと、彼らは共感的理解をしているから。 「クライアントはこんな気持ちなのだ」とクライアントの心を客観的立場にいながら把握できることを、共感的理解 と呼ぶらしいです。 クライアントの話を聞いて、その心情が把握できたら、相手の立場に立てるので「それはお辛かったですね」と言えるわけです。 でも、職業者であるカウンセラーに求められるのは、同情じゃあない。 同情するのなら、周りの友達だったりでもできるわけです。 相手の心によりそいつつも、一歩下がってクライアントと自分を客観視できる冷静さがカウンセラーに求められる。 そうじゃないと、悩んでどうしたらいいかわからない相手とまったく同じになってしまうから、そうなると助ける人がいなくなる。 それに感情論では解決できないレベルだから、今まで解決できずにずっと問題を抱えてきたわけだから、プロならそれをどうにかしてあげなければ。 だから、アマチュアとプロでは共感するということが、ちょっと違う。 カウンセリングの失敗。 クライアントの話にのめりこんでしまい、わが事と同じ感覚になってしまい、外からの援助をする人がいなくなり、自分も溺れて無能だとなり、自殺するってパターン。 バーンアウトシンドローム(燃え尽き症候群)と呼び、心理関係の職業につく人に多い。 プロではなくアマチュアの共感をやっちまったわけです。 かといって、距離をとりすぎると、クライアントから「所詮他人事だと思っている」と感じ取られ、カウンセリングは失敗に終わる。 ここが難しいところらしいです。 で、グループセラピーというのがあるらしい。 問題を抱えた人たちが集まって、自分の過去をみんなの前で話をし、みんなに共感を持ってもらい、お互い癒しあっていくというセッション。 で、結構長い間このやり方は有効とされてきたのですが、実際は誰もよくなってなかったばかりか、セッションに参加する前よりひどくなっているのだそうです。 どうしてかというと、問題を抱えた心の状態で、他人の悲しみを聞くわけです。 すると、アマチュアですから、他人の話を聞いてわが事のように思い、もっと悲しみが増すわけです。 さらに、傷がいえだしていえるのに、みんなの前でまたぱっくりと開き「こんなことがあった」と見せなければならない。 そんなことを繰り返すので、何度も悲惨なことを思い出し自覚し返すので、ちっとも忘れることができず、いつまでもダメージを受けた直後の状態を維持してしまう。 参加しなかった人の方が、時間とともに傷がいえてきて、過去のことだと前向きに歩けるようになっていた。 ということで、、、、心理的援助を専門にやる人と、ご近所さんや友人では 共感の働きが違うんです。
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- hakobulu
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共感の目的は、 精神的な癒しをもたらすことによって自立する力が本人自らの内に目覚めるきっかけとなること。 救いの場合は、 真理を感得できるように導くことでしょうかね。 >私の気持ちが分かるよね? : に対して 前者は「よくわかる」 後者は「人間とはそういった気持ちになることがある生き物である」 といったところから始まっていくのではないでしょうか。 釈迦やキリストにも一応の共感はあったと思うのですが、のめり込んではいなかったのでしょう。 共感されることでいずれ立ち直れる人もいるでしょうし、そうでなければ何らかの哲学的、あるいは宗教的納得が必要になっていくのだと思います。
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ご回答ありがとうございます。 ご回答を読んで思ったのですが、共感を求める側の心理として孤独があるのではないかと思うのです。 共感しあうことにより孤独をいやすのだろうと。 しかし孤独を癒したとしても問題はそのままですから解決にはそれなりの論理的な手段が必要なのは間違いないはずです。 メンタルヘルスの回答をしていると、「これは経験者じゃないと分からない」という捨て台詞を吐く人がおります。まぁこれは私のような回答者向けの決まり文句なのかもしれませんが、同じ傷をなめあっても埒あかないのにと思うのです。 究極の回答とは導くものだとは思うのですが、質問者はそれを望んでいないのかもしれない、と考えてしまうのです。
- 雪中庵(@psytex)
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共感は、相互理解は違う面があります。 相互理解のためには、「似たレベル」である必要がありますが、 共感の場合は、一方が理解力や表現力が劣っても、もう一方 がそれをカバーして思いやり、「共感」できます。 「レベルが高いと、低い立場を理解できない」という事はありません。 誰しも赤ん坊として生まれる以上、途中で「レベルの低い」状態を 経験しているのですから(逆にレベルの低い人は、高い状態を 理解できず、相手も自分と同じと考えがちですが)。
お礼
ご回答ありがとございます。 共感と理解は別物と考えられるでしょうか。 例えば、お金がないと愚痴をこぼす人がいますが、私は貧乏した経験はありません(もちろん金持ということではありませんが)。 ただ、その人がどうしてお金が無いかは理解できます。 この状態は「私は共感してはいないが理解はしている」として問題ないでしょうか。
- modosumade
- ベストアンサー率22% (4/18)
で、結局己さえ良けりゃ良いって屑どもが喜ぶ流れ。 俺の気持ちに従って死ねと言う奴が10数人いるんだが、未だ、死んだという情報を得てないのと、 生存確認できる屑がうざい
お礼
ご回答ありがとうございます。
- FukushimaGP2
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宗教? 共感するなら金をくれって!ってのがハヤリじゃないだろか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本当の意味での宗教に興味がおありですか?
- modosumade
- ベストアンサー率22% (4/18)
他人の悩みに共感など無くても、会話のマナーとして、OOですねぇ、はい、そうですよねぇ、 これが日本人だろ。 これに付け込み、はめ込もうとする奴が許せない。こいつは行けると勘違いする奴もいるんだよ。 他人の悩みを聞くのもうざい。他人に悩みを語るのも迷惑な人間。 一人で考えるかネットではけと
お礼
ご回答ありがとうございます。 人を助けようとするのも人の性なのでしょう。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
自分の過去と共感する場合もある 相手の気持ちになって共感に努めることも必要である
お礼
ご回答ありがとうございます。 人助けと救いは何が違うと思いますか。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。 ところで、人助けと救いは何が違うと思いますか。 私からするとカウンセラーのそれは人助けに類するのではないかと。