- ベストアンサー
心の通った人付き合いをしたい
人に気を使っているフリをして、実は自分を取り繕うことばかり考えているため心の通った会話や人付き合いができません。 たとえば、悩んでいる友達に対して「大変だね」と共感しておけば、自分は共感できる人間ということになるから「大変だね」と言っておきますが、友達の悩みの根本的な解決策や、より踏み込んで心に寄り添うための言葉が全然浮かんできません。 人と話していると、そんな自分の心の醜さ、薄っぺらさ、自己愛の強さ、他者への関心の低さにがっかりさせられるために、極力人と関わりたくないと思ってしまいます。 こんな心は変えられるのでしょうか。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
なかなか、あなた様のいう人間の弱さ的なものに対して気づける人はいません。人は、弱いものでしかないのにも関わらず、弱さを感じて生きていくという生きづらさを感じながら生きていくというは、こころに負担がかかり過ぎてしまいますので、弱さに対して認めることができないのが普通の人のこころなのです。綺麗な言葉で取り繕ってみたり、偽りの優しさなんかがそれに相当します。もし、あなた様が自分のことを偽善者だと悩んでいるとしたらあなた様は、偽りのない自分と向き合っている真の人間だと言えます。偽りから逃げないという点からです。つまり人間は、自分のことしか考えていないというのが真のところなのです。周りの人は、そのことに気づけていないためあなた様は、自分がおかしいのでは?と悩む結果となってしまいます。優しさなんていうものは、結局相手に対して褒められたいという欲求でしかないのです。あの人は、本当に優しい人だよという言葉がほしくてです。極論でいうと他者からの自分に対しての存在肯定という見返りが欲しくてしている優しさこそ偽りの優しさ(汚さ)の原点でしかないのです。そのことに、向き合えるようになったのなら優しさは、自分のためなんだということを認めつつ優しさを持って行動できたのならあなた様は、真の人間といて胸を張って生きていけますね。優しさなんて結局「自分のためだから」なんていう偉人がたまにテレビに出ていますがあのような人になれることを期待します。偉人は、あなた様と同じ道をたどってそこに至っているのですよ。
その他の回答 (4)
今の性格は、それはそれでよいと思います 他人の心はわかりませんし、深く共感して欲しいというよりも話を聞いて欲しいだけということもあります
お礼
確かに他人の心はわからないので、考えても仕方ないですね。 他人の反応や評価を、一々深く考えすぎていたように思います。 ありがとうございました。
- neneco3
- ベストアンサー率43% (405/935)
あなたはがっかりしているようですが、そういう心の持ち方のあなただからこそ、友人としての付き合いができるという人もいると思います。実際、私はそうです。悩みを友達に話したとして、”大変だね”と共感してもらえれば十分で、あなたが理想と考えているような、”悩みの根本的な解決策”や、”踏み込んで心に寄り添うための言葉”を言われたりしたら、お節介と感じて嫌な気持ちになりますし、距離感が違いすぎる人と感じるので、友達としてではなく知り合いとしてのお付き合いをしようと考えて、悩みを話すことはなくなります。 悩みを話すというのは、相手に解決してほしくてということはあまりないと思うので、解決策を示そうというような人には、かえって話しづらくなります。直接の利害関係がない第3者で、共感だけしてくれて、他に話したりしない口の堅い人というのは、悩みを話すにはうってつけで、そういう友達が一人いて悩み事があるたびに話せると、それだけで肩にかかった重荷が少し軽くなるようで、大げさかもしれないですけど、生きやすくなります。心に寄り添うための言葉というのも微妙で、本当に適切な言葉をかけてもらえたら相手はうれしいでしょうが、少しでも外してしまうと、心が冷めるというか、悩みをわかってもらえなかったんだなという気持ちが出てきて、それでいて悪意で言ったわけではないことがわかるから文句も言えないし、悩みを話す前よりもモヤモヤとしたものを抱えてしまうような気がします。 人に気を遣っている振りをして、自分を取り繕ってしまうということは、人に悪く思われたくないという気持ちが強い人ですよね。実際に人付き合いをしていると、悪く思われたくないで止まらず、良く思われたい、褒められたいっていう人が案外と多くて、うっかり悩みも話せません。あなたの、”悩みの解決策”や、”心に寄り添うための言葉”というのは、一歩間違えれば、よく思われたいっていう方向に突き進んでいくことにもなりかねない行動ですので、それを言うことによって、相手に嫌われても良いって思うことができないのなら、今のままでいたほうが良いと思いますよ。少なくとも私は、あなたが”心の通った人付き合い”と考えているものよりも、今のままのあなたの付き合い方の方が、気持ちよく付き合えます。自分の心の醜さ、薄っぺらさ、自己愛の強さ、他者への関心の低さを自覚しているのなら、それで十分じゃないでしょうか。望まれてもいない解決策を示したり、心に寄り添った言葉を言うことができたと秘かに自己満足にひたっていたりするような人よりも、変に自分を誤魔化していなくて、私は好意的に受け取れます。
お礼
確かに、私が理想としていた人付き合いの在り方は、人から良く思われたいという下心が背景にあったように思います。 そのような付き合い方より、今の方が好意的に受け取れる、こういう私だからこそ友人として付き合える人もいるとおっしゃっていただいて、そのように考えてくれる方もいるんだな、自分を全否定すべきではないな、と思え、心が軽くなりました。 ご助言ありがとうございました。
- 台場 脱田(@o8o465)
- ベストアンサー率10% (55/543)
多分変えられないでしょう。 私は貴方と正反対の性格ですが、とても羨ましい。
お礼
自分と正反対の性格になれたらどんなにいいだろうと思っていましたが、逆に羨ましいと言っていただけて不思議な気持ちです。 もう一度自分を見つめ直したいと思います。 ありがとうございました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1159/9192)
私は価値観が共通な部分だけで付き合うことにしています。伴侶でさえ全面的には心が通い合っていません。ましてほかの人とは心が通うことはごく稀です。
お礼
確かに、家族でも価値観や考えの違いはありますね。共通の価値観を持っていると思われたいがために、基本的に人の意見に同調しておくのですが、八方美人になるだけで、心が通じる関係を築けたことはなかったと思います。 それよりは、おっしゃるように、全面的に心が通じあう関係はほぼないと割り切って、価値観が共通するところや、その擦り合わせの中で関係性を作っていけるようになりたいと思いました。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 いい人だと言われたくて人に優しくしている自分に気づくと自己嫌悪に陥っていましたが、おっしゃる通り、それが人間の弱さであり真の人間の姿なんだと思います。 そのことを認めた上で優しさを持って行動できれば、“真の人間として胸を張れる"というご助言が胸に沁みました。 必要以上に自分を責めたりせず、人としての弱さを認めて人と関わっていけたらと思います。