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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人に共感する方法を教えてください!)

共感ができない私に教えてほしい!人間として当たり前のことをするためには?

このQ&Aのポイント
  • アスペルガー症候群の診断を受け、人間関係がうまく築けずに辞めてしまった経験があります。
  • 共感とは何なのか、相手を思いやる気持ちを持つにはどうしたらいいのか悩んでいます。
  • 自己中心的な言動に自己嫌悪し、共感の大切さを感じています。どのようにして共感する行動を取ることができるでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pg8mw
  • ベストアンサー率23% (55/230)
回答No.8

定型発達者とは、「 共感」が出来る人達ではなくて、「共感」を欲求する人達なのです。彼等は多数派として、社会に存在していますので、常に自分が多数派である事を確認したいのですよ。多数派である事が存在意義ですからね。ですから、彼等があなたに求める事は、「共感」する事というよりは、自分達と同じように「共感」を欲求して欲しいという事なのです。でも、あなたを含める私達は、少数派なので「共感」に頼らず生きてゆけるのです。それが、少数派の存在意義だから。 「それらしいこと」がしたい、テクニックとしてはね。相手の気持ちを知りたがる振りをする事ですよ。病気の人がいたら症状よりも、その症状に苦しめられる「気持ち」を知りたがるとかね。病気により、業務に支障をきたした不甲斐ない「思い」を気にかけてあげるとかね。こんなに心配しているんだ、というこっちの気持ちや態度を押し付けるとかね。でも、所詮は「それらしいこと」ですので、直ぐにバレます。彼等は多数派なので、自分とは違う違和感にとても聡いのです。「共感」欲求は多数派の領分なので、少数派がずかずかと踏み込まない事ですよ。それが、礼節でしょう? で、定型の人達というのはね。「共感」 欲求があるが故に、人の気持ちが分からない知りたいと常に悩んでいる人達なのです。これは欲求だから、満たされても満たされても欲しがるんですよ。あなたが運良く「共感」を差し出せても、まだ足りないと欲しがります。あなたは、ドツボにはまりますよ。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 結局、真似事では役に立たず、本物を差し出せても相手は満足しない。なら、最初から距離をとり、当たり障りない立ち位置にいるほうがいい、ということでしょうか。 仰る通りかもしれません。 不快にさせることが分かって近づくくらいなら、近づかないほうがまだいいですものね。 今後の生き方を含めて、考え直す機会として、今回のことを考えてみたいと思います。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.7

思い悩まないようにしましょう。 質問者さんは、 健常者のほとんどが共感力を持っていないのをご存知ではないようです。 一度、企業の研修で共感力を測るテストがありました。 自分を普通だと思っている人のほとんどに共感力がありませんでした。 つまり、ご自身でどう捉えるかによります。 共感力が高ければ、多くの語られない潜在する事情を察知することが出来、 これ一つで成功者になれるそうです。 昔にIQという評価が重要視された時代がありました。 しかし、IQが低いのに成功していたり、 多くの発明をしている学者がいたりします。 よく考えれば、凡人が作った評価法で、極端に優れた人を 測れるわけがないのです。 この事実に着目し、 成功者から共通項を見出そうとした試みがありました。 この一つの要素として共感力の高さがありました。 これを測定すると、普通の人の共感力は大変低いという事がわかります。 自他共に普通である人には、実際は共感力が無く、 何か別のモノを共感力として捉え、 互いにそれを良いものとして認めあっているだけのようです。 実際は思いやりも持っておらず、持っていると嘘をつけるかどうかです。 共感力は、人が行動した理由を探る力です。 ステレオタイプと言う概念があります。 お約束やパターンで相手を捕らえ、行動の理由を決め付ける行為です。 これは共感力と逆の力です。 個別に事情があったはずと考え、 これについて正確に想像し、あてないといけません。 これが出来れば、コミュニケーションで生じるあらゆる問題は未然に防げます。 共感力の基本にあるのは、 自分と相手の共通する部分を利用し、自分の似た経験を探し、 喜びや不満、悲しみと言った感情を自分の心の中に 再現する力です。 道理ではこうであるが、こんな気持ちになったら、こう相手は行動する。 これを正確にあてることができれば、 本物の共感力があるといえます。 この人はこんな人だから、こんなことが起きたら、こんな気持ちになるだろう。 こう発想する人は共感力が低いと言えます。 例えば、 「お金持ちはお金があるから、貧乏人の苦労は分からないだろう」 と思っている人は共感力が全く無い。0であるということです。 共感力は一定の力として内在しますから、 一回でも上の様な発想が出来れば、その人の共感力は0です。 そう捉えれば、このようにありがちな発想をした人は沢山いるはずです。 ですので普通の人としての生活に甘んじている人の数と同等です。 逆に、 自分が普通であるとか、思いやりはあるほうだとか、そういうものを拠り所 にしなければいけない人生。自分に対する諦めは大変辛いものでしょう。 そういう辛さの中で生きていれば、 実力よりも思いやりが大事だと言いたくもなりますし、 本来は助けて欲しい事情にあっても、素直に助けを求められず、 他人に思いやりを求める心理も理解できます。 あまり深刻に悩んではいけません。 自分が恥ずかしい思いをしたり、自分が嬉しかったことを思い出し、 相手の反応から、自分の別の経験を当てはめて、その感情を一緒に再現する。 このためには、相手の事情を知り、物語をつくり、 その中のの主人公になったつもりで、ゆっくりと感情をシンクロさせていきます。 これを面倒くさがらずに、死ぬほど練習すると、 リアルタイムで相手の心の動きや感情がわかるようになります。 また、ここに自信が持てるようになると、 自分がトレースできない違和感を感じたとき、 自分の知り合えない事情を相手が持っていると解釈し、 積極的にその謎を解こうと行動できます。 こうした流れが自然におき、これに習熟したひとを思いやりがあるといいます。 アスペルガーである人の本当の問題をいいますと、 人の弱さを理解できないことです。 共感力が無いことを隠している人の気持ちですね。 アスペルガーの方は、他人の言う事を本気で受け取る性質が強いのです。 つまり、 さきほど私が暴きましたが、 「グレーゾーンにしておいて、負けたことにしたくない」 人にはそういう弱さもあるのです。 思いやりについてとやかく言えば、 それを言われた人の気持ちがわからないことになりますよね。 どちらもどちらです。 例えば、 「弱さゆえの嘘を知り、なおかつ自分の過去の経験から同じモノを探し、  そのときの気持ちを思い出し、  これをもって許すか許さないかを考える」 これは弱さに対する共感です。 常に弱さに負けている人は、弱さの理解には長けているでしょう。 しかし、常に戦っている人の気持ちには共感できません。 経験が無いからです。 「思いやる」とは弱者の味方になることではありません。 他人の反応が道理で理解できないとき、 面倒くさがらず、いまの相手と似ているケースを、 自分の経験から探すことから始まります。 ですので怒らせた後の謝罪とか、 予備知識を活用して、相手の感情を動かすことに使います。 他の人の感情を大事にするモチベーションが全てです。 うまく適合するシーンを探すためには、多くのデータが必要に成ります。 そのためには、自分の気持ちに敏感になり、ケースと気持ちをセットで大切にして 覚えておくことです。 「こうしてくれれば良かったのに」 「こうだったらこうならなかったのに」 俗に言う後悔です。 その感情が道理では間違っていたり、 責任転嫁になったとしても、そのように感じた事実を大事に記憶することです。 そのような自分を許す代わりに、 「同じ様なケースの他人に出会ったら、これを許す」 と、そのときに心の中で誓っていなければいけません。 そうしておかないと、現実で思いやりが必要なときに上手く検索できません。 弱者が弱さしか共感できない理由は、 さらにこのときに、 「本来自分は道理に合わせて、こう行動していなければならなかった」 と考えないからです。 力不足も含め自分が間違っていたと決着もつける。 この苦しい決断が強い印象を作り、更に鮮明に記憶に残ります。 道徳めいたルールのみを記憶していると、情報が少なくなります。 これは経験に対して扱いがゾンザイであると言えます。 自分の人生ですから、辛いことも含めて大切に記憶するのが私たちの務めです。 共感力を測定すると、大概の人は低い値に収束します。 上に述べたように、最後の決着までを心の中でなしえるのは辛いです。 だれも注意をしません。 そのためサボることは容易に出来ます。 ここが災いして、記憶が不鮮明になったり、経験を思い出すのが辛く感じ、 面倒になる障害が発生します。 脳にとって辛い行為ですから、まっとうにやらなくなります。 こうなれば、思いやりがありそうに見える行為とか、 思いやりが無さそうに見える人を見つけては、安心する行為とか、 こういうものに飛びついてしまいます。 これをしている人も、思いやりとは何なのか、実効的な手段で身につけていません。 アスペルガーの方が気の毒なのは、 嘘をついて自分を誤魔化した経験が少ないのです。 世の中の多くの人は、これを当たり前に経験し、当たり前につかって、 現実を忘れて希望を未来に託して生きています。 本来はよろしくないのですが、こうして生きる気持ちを考えれば、 平静を装って見えても、実際はそうではない。 嫌な気分にならないようにと、生きているだけでいっぱいいっぱいのはずです。 嘘をつかざる終えない事情を理解することも大切です。 アスペルガーの人は、この部分で苦労しているようです。 しかし、これは社会が変化したこと、社会の問題です。 正直に開き直って生き、生活が困っても笑っていられる。 20世紀はそういう時代でした。 自分に嘘をつくことを辛いと知り、それだけはしないと決めている人が沢山いました。 その時代にはアスペルガーは病気じゃかなったんです。 それだけ自分に嘘をつく人が増えたと言う事ですね。 嘘を暴かれることを恐れ、ヒステリックに成る人が多いと言う事です。 私の個人的な考えとしては、 共感力があって、弱さを理解し、同じ気持ちになったとしても、 これに引きずられて付き合ってしまう必要は無いと思います。 現代ではメンタル疾患が蔓延し、普通(一般普遍)が異常であり、 普通(一般普遍)が正常ではありません。 一昔前の健全であることが珍しくなり、普通でなくなっています。 普通でありたいと周りに合わせれば、精神の健康を阻害する時代です。 困りましたね。 受診するアンテナが壊れているのではなく、 ご自身も経験に対していい加減に記憶しており、 他人も間違っており、弱いという発想がないことが問題です。 「世に存在するすべてのモノ、全ての人は自分が所有するものである」 と考えなければいけません。 これに加えて、 「自分自身を合理的な方法を使って大事にする。気持ちも含めて楽しくさせる」 としなければなりません。(世のすべては自分という前提で) すると、我が事のように世間や他人を考えることが出来、大事にすることが出来ます。 この双方を実現するために、人の感情が大きく影響することを体感で知り、 これらも面倒くさがらず、調べ、考え、想像し、感じる(似た経験)をします。 以上、ご参考に成れば。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 普通の方に対する共感力のテストというものがあることすら、私は初めて知りました。ましてその結果については、驚きです。 無いことを隠す弱さを、私はたぶん理解すら出来ていないと思います。私の前提は、普通の人は超能力のように空気を読み合い、しかもそれをまったく意識しないで行えるというものですから、程遠い位置にいますよね。 世の中すべてを自分という考えは、自分が嫌なことは他人にもしないの、延長線でよいのでしょうか?最近情動が鈍くぼんやりしている事が多いので、もう少し自分の有り様を真剣に観察するように出来ればと思います。 回答ありがとうございました。

noname#227653
noname#227653
回答No.6

なんだかおかしなご質問ですね。 アスペルガーと診断されたということは、すなわち共感する能力が不足しているということですよね。それなのに「心の底から相手のことを思いやる」方法を教えてくれというのは、右手がないのに右手でボールを投げる方法を教えてくれというのと同じことではないでしょうか。 それに、脳にであれ右手にであれ障害があり、そのために苦手なことがあったとしても、だからといってその人が「人間のクズ」だということはありません。アスペルガーの人がクズなら車椅子を使っている人も目が見えない人もみんなクズということになってしまいます。 あなたがまずするべきことはないものねだりをやめ、ご自身の障害を受け入れることではないでしようか。 その上で自分の障害を補うための工夫をすればいいのではありませんか。 共感は苦手だけれどそれでも周囲の人と何とかうまくなるやっていけるようにするための工夫はいろいろあるはずです。自分がアスペルガーであったり、自分の子や配偶者がアスペルガーであったりする人が、自分の体験やそういう工夫を書いた本も出版されているはずです(私も読んだことがあります)。 ネット上にも有益な情報があるかもしれません。 そういうものを読んで勉強し、できそうなことはどんどん取り入れて、少しでも円滑な人間関係を築けるようするのがいちばんいいのではないでしょうか。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに仰る通り変な質問だと思います。本質としては理解すらもできないかもしれません。ただ、普通の人の共感の方法を知ることで、よりうまく真似ることができるかも知れないとは、考えています。 これも、自己矛盾していますが。私はそれが嫌で、ダメだと分かっていても、他に手段がないのです。 円滑な人間関係を構築するには誠実さや共感が必要で、私はそれを紛い物で賄おうとしている。相手を騙す気満々なのですから、盗人同然ではないでしょうか。 申し訳ありませんが、それでも紛い物を本物っぽくみせるために、本当の共感を知りたいのです。 回答ありがとうございました。

回答No.5

こんにちは。 「共感」は、無ければないで、別に良いと思いますよ。絶対に無ければならない、というものでもないと思います。 問題は、あなたが、なぜそれほど、自分の利益ばかりを考えているのか、ということではないでしょうか。そのことの方が、よっぽど異常(気に障ったらごめんなさい)だと思います。 周りの人が皆、苦しんでいるときに、自分のことしか考えない人たち…。ぞっとしませんか?…世の中全体が、異常になりつつあるのだと思います。 ですから、問題は、いかにして、この狂気、自分のことしか考えない人々の輪の中から、一歩抜け出すか、ということではないでしょうか。おそらく、何も考えずに抜けたとしても、あなたが犠牲になって終わるだけかもしれません。 いかにして、「利己(自己中心)」というこの牢獄(ろうごく)から抜け出したら良いのか…。おそらく、それは、完全な「安全」があるときにのみ、可能になるのではないでしょうか。 どのようにして、「安全」を作り出したら良いのでしょう?…どのようにすれば、私達はお互いに傷つけ合うことなく、暮らせるのでしょうか?…一体、何がこのひどい争いを生み出しているのだと思いますか? …もし、あなたが争いの原因になるようなことをしなければ、おそらく、あなたの周りには「安全」が生まれるはずです。おそらく、そのとき、あなたは「共感」の何たるかを知ると思います。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も、自分のことばかり何故考えるのかを知りたいです。争いを回避するのも自分のためですし、人助けも、もしかしたら他人のために命を投げ出すのも、自己満足です。 「利己」と仰いますが、私はコレがなくなれば人間は生きていけるのかとすら考えています。命をつなぐということは、それが死にたくないことの裏返しであり、つまりは利己と考えられると、私は思うのです。 偉大な宗教家も、偉人も私も、みな利己の塊とすら、私は言うことができます。 くさっていますよね。生きるも死ぬもみんあ利己でそれ以外に無い。でも周囲の人はそうではない。 最悪の人間です、私は。 どうすれば仏の人のように利己を捨てられるでしょうか? 回答ありがとうございました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.4

 共感することは、仲間や周囲と合わせる事です。アスペルガーであれば非常に難しい所だと思います。  我が子もアスペルガーですが、小学校で様々な対処方法を先生及び私自身が伝えてきたものがあります。  パターンを覚える。人の行動は同じような事を繰り返していることも多いです。学校ではこういった時にはどうするか?という問いかけで、複数の答えを用意してあげます。その時々で考えるのではなく、このときはこうするのだという決まった形を行う事で見かけ上は問題無く出来る方法です。  直ぐにでも無くても良いでしょう。後からあなたの事を分かってくれる人が居れば、その人に説明をしてもらう事も大切かな。感情より知識で対応するのです。  その繰り返しがあることで、次第に理解してきて共感出来る事も増えてきます。  それと、似たようなケースで理解出来る物と置き換える事です。全く感情がないわけでもない。理解出来る部分は出来るはずなので、このパターンはこのパターンと良く似ているという物が有ります。それを持って来ることで、理解出来る事もあります。  我が子にはこのパターンで伝えて理解してくれることも多いです。  頭で考えず、形にする、絵にするなどで理解出来る事もある。切っ掛けとかも大切なのです。例えば文学小説とかあるけど読解力がない。話しが分からない。でも漫画やアニメにすると分かることも有る等です。  とりあえず経験を知識として覚えていくと何となくですが生活できます。自分で自分のマニュアルを作るような物でしょう。あなた一人ではなく家族や理解出来る人と協力することで可能です。  それとカウンセリングも有効です。アスペルガーと分かっているのであれば、対処の仕方や教え方なども理解しています。  それと、アスペルガーも子ども関係ですけどまだまだ理解されていないこともあり予約待ちも多い状態です。  一度病院を変えるのも良いかもしれません。  子どもには先手必勝として、予備知識を入れる事も多いですよ。変化が苦手だと思うので、思いつく限りの事を考えて伝えます。  後、苦手な部分と、得意な部分を見極めることで仕事も上手に出来ると思いますよ。出来る事であればとことんがんばれますからね。  周りに影響のある発言は自分を守る行動の一つです。発言する前に、落ち着ける場所。行動などがあれば、一旦そこでクールダウンして、ゆっくり考えてから話すなども大切かなと。  発達障害ということも最近になっての事です。対処の仕方が分からない人も多いのが現状ですが、分かる人は居ますので、友の会などの集まりに参加して落ち着ける場所を見つけましょう。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 様々な工夫を教えていただきありがとうございます。 私もパターン化やマニュアル化などを試しておりますが、先日主治医より「無駄」と一刀にされました。主治医が言うには「人間の感情はそんな単純なものではない。対応は出来ない」とのことでした。私の努力や構成不足が故のこととは思いますが。 知識の対応では、相手の気持ちを逆なでし、情で動けば叩かれる。これはもしかしたらアスペルガーではなく渡し個人に由来するおろかさなのかもと思います。 回答ありがとうございました。

noname#213996
noname#213996
回答No.3

同じ苦しみを味わう。 同じ山を登り 同じ苦しみをし そして 困難な時に助けてもらう。 自分が本当に苦しくつらい時に助けてもらった時ほど感謝する時はない。 あるいは映画で敵に追われてる時ほどケンカしてた男女が結ばれやすいのもよくある物語だ。 死ぬ気で追い込まれないとなかなか共有関係にはならないのかもしれない。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お互いの死を意識するほど危機が迫っていれば、自分が助かるためにも相手と協力するのでしょうか。私は、正直その自信がありません。自分が拷問の末に殺されるか、目の前の誰かが頭を打ち抜かれるかのときに「私を拷問してくいださい」といえるか、無理かもしれません。卑しいですね。 共有や共感が本当に無いのだと痛感します。 回答ありがとうございました。

noname#202141
noname#202141
回答No.2

おっしゃっていることが何となく分かります。 ご自分の性格や行動パターン、しっかり理解されているじゃないですか。 それだけでも先ずはご自身を認めてあげて、少しでも楽にしてあげればいいのではないでしょうか。 私は自分で病気だとは思ったことはこれまでありませんでしたが、当たり前のことを当たり前にできない人間が許せなくなり、攻撃してしまう(言葉で)ことがあり、それが気になっています。 ただ、人を思いやる気持ちが全くないわけではないです。 困っている方や辛そうな方、悲しそうな方を見ると放っておけなくなるようです。 貴殿の場合も、相手のことを心から考えて行動していないとは言いつつも、結局は相手のために役立っているのですから、そうだとすると、相手の方は迷惑するどころか、きっと感謝してくれると思いますよ。 あとは気持ちの問題だと思いますが、少し感動すると一般的にされている映画やドラマを鑑賞されてみてはどうでしょうか。 またまた私事で恐縮ですが、疲れたときは映画や音楽を鑑賞して、心を癒すようにしています。 そうすると、過去の思い出や映画のワンシーンを自分自身の過去に当てはめた情景を想像すると、とっても悲しくも切なく、さわやかな気持ちになります。 実は感動して涙を流すことは、精神的にとても良い影響があるとも言われていますので。 共感するということは、感銘を受けて、その後どのように行動するか、考えるか、相手に伝えるかだと思います。ご自分自身で気にされているのですから、全く共感するお気持ちがないわけではないと思いますよ。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 当たり前のことを当たり前にできないのは、怒っても当然だと思いますよ。だから私はいつも怒られるわけですし。 最近は、辛いことばかりで心の琴線が鈍化しているようで、感動したり喜んだり、そういう情動が薄くなっているように思います。休息が必要でしょうか? 私の善意というのは、相手の方には「当たり前のこと」とうつるようで、気がつくとそれを「しない」事で相手を不快にさせています。これも上辺だけの取り繕いが原因でしょうか。それとも私が歪んでいるのでしょうか。 上手く相手に伝えられるといいのですが。 回答ありがとうございました。

回答No.1

回答になるかわかりませんが。 共感という言葉は共に感じる事ですよね? 私の中で共感は2種類あります。 一つは、本当に自分も経験したからその気持ちがわかる、その事に対してそれを共に感じる事ができる。 これは、例えば私の場合だと鬱になったものにしか、その本当の辛さは共感できない、ということです。私が癌患者さんの痛みがわからないから、共感できないということと同じです。 二つめは、想像して共感できるというものです。立場を入れ替えて相手を見て、私でもこう感じるだろうなぁという事です。 これは厳密に言うと共感ではないかもしれない、と私自身は思ってます。 自分が体験して、何らかの感情がそこに入って初めて本当の意味の共感になるのではないかと思うのです。 文面からですど、自己的であろうと端から見たら、とても親切な行為をされてると思います。 簡単に共感できるー!と言う人の方が私は本当に?と思います。 心から相手の為になってなくても、相手を結果的に助けたというのは事実ですから、それでいいんだと肯定してください。 誰しも人から良く思われたいんです。 あなただけではありません。 酷い人は恩を着せて助けようとします。 そんな人より、むしろサッパリしてる行為だと私は思います。 あまり共感に拘らず、掘り下げず、他人とそこそこ距離を持ちながらお仕事出来てたら良しとしませんか? 納得いく回答でなかったかもしれませんが、少しでも参考になれば幸いです。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 二つの共感の考え方は理解できます。私が行うのは主に後者で、やはり本当の共感ではないのだろうと自分でも思います。では、前者が出来るのかと問われると、気がつけば自分の主観や立場で物を見ています。 人との適度な距離が取れれば、いいのですが、中々上手くいきません。恩を着せるつもりは無いですが、気がつくと「やって当たり前」と相手に捕らえられ、しないことを責められてもいます。私の不徳のですが、上手くいかないことばかりです。そこそこの距離感、がんばってみます。 回答ありがとうございました。

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