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西野カナさんの歌詞に共感してしまう自分が少し嫌です
タイトル通りです。 私は西野カナさんの『会いたくて会いたくて』を聞いて、 「『震える』という表現がすごく的を射ているな」「心に突き刺さるような唄だな」と思い、 結構共感したのですが(実は個人的にすごくタイムリーでした)、 世間の人はそうは思わないようです。 「会いたくて震えるとか何それ恐い、ストーカーですか?」とか、 「ウジウジしているだけで薄っぺらい」とか、 「そんなに言うなら会いにいけよ、会いに行かないのはお前に行動力がないからだ」とか、 「そんなに相手に求めてばかりだから、嫌われたんじゃないの?」とか、 「自分に非があるから振られたということが分からないの?相手に迷惑だというのが分からないの?」とか、 「あんな稚拙な歌詞に共感する人間は頭が悪い、人格が幼稚だ、さすがケータイ小説世代」とか・・・・・・ さて。 私がこの世で一番言われたくない言葉は、 「甘ったれ」 「弱虫」 「幼稚」 「自己中」 「薄っぺらい」 「ウジウジしている」というような、そういう言葉です。 要するに私は硬派でいたいし、強い、成熟した、思いやりのある、行動力(実行力)のある人間だと思われたいのです。 なのに現実では私は誰よりも甘ったれで心が弱くて実行力の欠片もなく、幼稚で薄っぺらい人間で、それが嫌で堪らない状態です。 「自分に非がある状態だったら、愚痴を言ってはいけない」というのも結構堅く思っています。 さらに、一般論として、「振られるのは振られた方に非がある」というのも、どうしても・・・・・・ (現実には、どうしたって「縁」というものがあるというのももちろん思っていますが、色恋とは勝負、 勝負ならば勝ち負けがあるのは当然、負けた者が低く見られるのは当然、私は結構負けが多いです) 要するに、西野カナさんのあの歌詞に共感した私は、甘ったれでストーカー気質で男からすると迷惑極まりない、そして行動力の無いウジウジした人間だと貶されているような気がしてしょうがないのです。 また実際、歌詞の言葉も稚拙といえば稚拙です。 でもあんなひねりのない歌詞なのに、ならば自分が推敲するならどうするか?と言われると、 これが手を入れる余地がどこにもないぐらい、ぴたっとまとまっているように見えます。 さらに、西野カナさんの、あの声、あのメロディ、あの歌い方に乗ると、 ビックリするぐらい、人の心に突き刺さるような唄になってしまうように感じました。 でも、あの唄をくだらないと思う人が数多くいるわけで、そうすると、 そんな風に評価した私の審美眼とかセンスとかも、レベルが低いというような気がしてしまいました。 それはあんまり嬉しくありません。 こんなことなら、あの唄を好きだなんて思うんじゃなかった、嫌いだと思えたほうが余程楽だったとも思います。 歌詞の内容が自己中で甘ったれてウジウジしているから、 ストーカーみたいで恐いから、 歌詞の言葉が稚拙だから、 嫌いになる理由なら、沢山あるんですから。 いっそ、私がもっと、私が願うとおりの、強くて成熟して、思いやりがあって、行動力のある人間になれれば、 自然とあの人の唄を嫌いになれるのでしょうか? もしくは逆に、西野カナさんの歌を嫌いになれれば、私はもっと私の理想の自分に近づけるのでしょうか? もしくは、私が立派な人間になれてもなれなくても、西野カナさんの歌が好きなままでも嫌いになっても、そんなことは関係なく、 こんなにグチャグチャ悩まずに済む方法があるものでしょうか? 自分でもどうしたいのか、正直分からないのですが、 とにかく、私は西野カナさんの歌詞に共感した自分を素直に受け入れられず、でも共感した気持ちを否定する事も出来ず、自分を持て余して悩んでおります。 どなたかアドバイスをいただけたら幸いです。
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- ka28mi
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捕捉拝見しました。 同世代くらいということは、せいぜい20代前半なんでしょうね。 40過ぎのオバチャンから見ると、「ウンウン、若いねー、青いねー、突っ張ってるねー、よしよし良い事だ」と微笑ましくさえ、感じてしまいます。 質問者さまが悩んでおられるのに申し訳ないのですけれど、そういう悩みって、若さゆえの特権でもあるのですよ。 30過ぎていれば、微笑ましいじゃなくて、ちょっと苦笑いになっちゃいますし、40過ぎて言ってたら、友人なら「悩むのは、そこかい!」と突っ込みますね。 質問者さまが「他人の弱さを指摘する」ことを強さと感じること自体は、不思議だとは思いません。たぶん、言ってるご本人も、「自分って強いな」と思っているかもしれませんしね。 でも「弱い犬ほどよく吠える」という言葉もあるでしょう。 本当に強い人は、そうそう他人を貶しませんし、弱いとかダメだとかいいません。嫌ったりしません。もちろん、厳しい事を言われる場合はありますけれど、それは、その指摘が相手にとって本当に必要な場合だけです。口で言ってる言葉だけを捉えてどうこう言うのは、まだまだ自分に自信のない人間のすることです。私自身も含めての話ですけれどね。 他人を批判する人間は、他人を批判することでしか自我を確立できていない、という面もあるのですよ。足元すくってみたら、簡単にひっくり返ったりとかね。 あとは、「いまどきの若い者」発言も、正直、微笑ましいです。 古今集とか新古今和歌集くらいを読んでごらんなさい。グダグダといつまで悩んでるんじゃー!と怒りたくなるくらい、恋愛問題でひとり煮詰まっていますから。 文化や技術は進歩しますけれど、人間の感性ってものは、古代からたいして変わっていないんですよ。 今のご自分をまっすぐに見つめて、自分の理想像になれるように、一歩一歩努力されることです。 5年後、10年後に、「あぁ、この歌を、あの頃の自分は好きだったな、あの頃より今の自分の方が理想に近付いているな」と思えれたら勝ちです。
- ka28mi
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40過ぎ、「薄情者」「キツい」「厳しい」と言われがちな女です。 「思い」と「行動」は違うでしょう。 「会いたくて震える」のは、思いですよね。 相手の都合も聞かずに押しかけるとか、相手に電話をかけたりメールしたりして、会おうとするのが行動。あるいは、相手が自分に気持ちがない、今は忙しいと知っているから、会いたい気持ちをグッとこらえるのも行動。 「思い」は「思い」として認めたうえで、それを行動に移す時に、どれだけ幅広く考えることができるか、相手や周囲の人の気持ちを考えることができるかが、子どもと大人の違いだと思います。 私自身は、西野カナさんの歌詞にあまり共感はしませんが、だからといって、あの歌詞や共感する人を幼稚とも薄っぺらいとも思いません。 「ああいう考え方は、私は嫌いだな~」はアリですが、 「稚拙な歌詞に共感する人は頭が悪い、幼稚」にいたっては、「自分がそれだけ誰かを好きになった事がないだけじゃないの?」「たかが一つの歌に対する共感度で幼稚とか大人とか判断できると思うなんて、単純な考え方してるねー」といじめっ子してしまいそうですね。 質問者さまが、客観的な立場だったらどうでしょう? お友達が「弱いのは分かっているけれど、この歌に共感しちゃうのよ」となっている時に、「そんな歌に共感するなんて幼稚ね」という人を、強くて成熟した思いやりのある人と感じるでしょうか? 自分の弱さを認めるところから、他者の弱さを許すことができる強さが生まれると思いますよ。
お礼
ありがとうございました。
補足
回答ありがとうございます。 実は数日前、(面識のある人ではありませんが)そういう状況になってしまいまして。 あの歌について、「あれは、『会いに行く』『スパッと諦める』などの具体的な行動を取らずにうじうじしている、行動力のない人間の歌詞だ、今どきの若い者(自分と同世代、と言っていました)らしい薄っぺらな価値観だ」という風に言う人がいまして。 その人は……思いやりには欠けているかもしれませんが、それは本人が(少なくとも私よりは)強いからこそ、成熟し行動力があるからこそ、弱くて稚拙でウジウジした人間の気持ちがわからないのであろう、と判断しました。 「強い人は、他者の弱さを許すことができる」というのが、あんまり実感としてないのです。 むしろ、他者の弱さを指摘できるのが強さだ、と感じています。 だって自分が弱かったなら、怖くて言えませんもの、そんなこと。 そんなことしようものなら、「お前はどうなんだ」と四方八方から叩かれて、返す言葉もありゃしない、それも自分の弱さゆえ…。
お礼
重ね重ねありがとうございます。
補足
はい、ご想像の通り、私も先方も20代前半です。 こういうことで悩んだり、逆に突っ張ったりというのが、若さゆえであってほしいなあ・・・・・・と思っているところです(私の場合、歳を取ってもあまり成長しなさそうなので・・・・・・今までの経験からも考えて)。 率直に言うと、最初にコテンパンに言われた時はショックでしたが、後で年齢を知り、 「ああ、うん、このぐらいの歳の人(私もそうですけど)って、このぐらい率直に言っちゃうんだよなあ」と思ったのは確かです。 その時は、最初は西野カナさんの歌詞そのものと、それに共感する人間への意見だったのに、気が付いたら(共感する)私自身の人格に対する話題になってしまっていました。 「他力本願」だの「他人に甘えないでください」だのと書かれた(ネットだったんですよ)時には、 「なんでバレた、なんで判ってしまったのだろう」とすら思いましたね、本当のことだったので。 なので、ある意味、私にとっては、本当に必要な指摘だったかも・・・・・・。 自分で判っていて、なかなか改善できずにいるところでしたから。 「今の若い世代」というのは、まぁ私たちの世代はただでさえ、上の世代から小馬鹿にされやすいもので (世の中は太古の昔からそういうもんだと頭で解っちゃいても、「ゆとり」という分かり易いキーワードがあるもんで、尻尾をつかまれやすいんですね)、そういう意味での突っ張りがあったのだろうとも思います。 これに関しては、私もそうなので。 古今集や新古今集(といっても、百人一首レベルの知識しかありませんが)とかは確かにウジウジと一人煮詰まっていますね。 男の人だったら、本当は悲しいのに「月が綺麗だから感動して泣いてるんだもんっ」と変な意地を張ってみたり。 これが万葉集あたりだったら、「堂々と会いに行く」なり「堂々と泣く」なり、もっと行動的なイメージですけどね(あくまでもイメージです)。 もう本当に、どちらにしろ、悲しいぐらいに変わらないというか、 ぶっちゃけた話、日本の恋歌の内容って、新古今集まででパターンは全て出尽くしてるっていうか。。。。。。 (これ以上)歪まずに成長していけますように、今はそれだけを祈っています。 努力どころか、毎日のあれこれを積み重ねるだけで精いっぱいかもしれませんが。 ありがとうございました。