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ストア哲学について教えてください。

ストアが信じる(nothing can  make you happy や unhappy without your con-sent) とは、全ての不幸は悪い考えの結果だと説かれていますがこの nothing can make  you happy とはどういう意味なのでしょうか?私は何もない事が私の幸せだとは思えません。何かがあっての人生なのではないでしょうか?

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回答No.5

ご質問の引用句、確認してみました。原文をまず正確に書くとこうなります。 Nothing can make you happy or unhappy without your consent. (あなたの同意のないところでは、何ものをもあなたを幸福にも不幸にもできない) セネカかゼノン、マルクス・アウレリウスあたりかと思って引用句サイトを当たってみましたが確認したところ、見あたりませんでした。 #2の方がおっしゃるようにエピクテトスであるのかもしれませんが、確認はできませんでした。 ただ、典拠ははっきりしないけれど、ストア学派の言葉ではあるようです。 さらに、consentをキーワードに探すと、こんな言葉が見つかりました。 No one can make you feel inferior without your consent. (あなたの同意なしには、だれもあなたに劣等感を感じさせることはできない) 元大統領夫人で市民運動家でもあったエリノア・ルーズベルトの言葉です。 おそらくこれは質問者さんの引用句をふまえた言葉であろう。となると、英語圏では比較的一般的な言葉なのかもしれません。 引用句に戻りましょう。 「あなたの同意なしには、どんなことも、あなたを幸福にしたり、不幸にしたりはできないのだ」 つまり、あらゆる経験は「あなた」というフィルターを通して感じられることである。 「あなた」というフィルターが、できごとを幸福と不幸に分類する。 この考え方は、それほど特殊な考え方でしょうか。 身近な例で考えてみましょう。 阪神タイガースが優勝した。 これは阪神ファンにとっては、幸せなこと。 巨人ファンにとっては、不幸なこと。 けれども、野球に関心のない人にとっては、どうでもいいことなのです。 つまり、あらゆるできごとを幸福にも不幸にも感じるのは、あなた自身である。 そういう意味だと理解できるのではないでしょうか。 ギリシャ時代、「幸福」が人々の最大の関心事でした。 いかにしたら、人は幸福になるか。 エピクロス派は「快楽の追求こそが幸福である」と考えた。 それに対し、世界を動かす原理=ロゴスに従って生きることこそ、幸福である、と考えたのがストア学派です。 人間の魂とはこのロゴス(理性と訳されることも多いです)の現れである。このロゴスに従って生きるのが、人間の努めである。日常生活にあって、情念や欲望によって、このロゴスがくもらされてはならない。そのために、節制や自制心が必要なのだ、と考えたところに特徴があります。 そうしたストア学派の考え方が、時を越えて“ストイック”という言葉として、いまに残っているんですね。 引用の言葉も、幸せだ、といって、舞い上がり、なんて不幸なんだ、と落ち込む人間の気持ちの揺れ動きを戒め、理性を取り戻すように、とした言葉なのではないでしょうか。 (なお、いろいろ書きましたが、理解の至らない点、誤った点があるかもしれません。その際はどうかご指摘ください)

darakun2
質問者

お礼

すごく良く分かりました。<あらゆる経験は「あなた」というフィルターを通して感じられることである。 そお言う事だったんですね。 どうして”ストイック”という言葉を使うのか意味が理解できなかったのですが全て繋がりました。回答有難うございます

その他の回答 (4)

noname#6420
noname#6420
回答No.4

ネットの調子が悪かったのか、一度投稿したにもかかわらずアップされていなかったので、もう一度投稿し直したところ、しっかり同じような内容が二度アップされてしまいました・・。すみません。

noname#6420
noname#6420
回答No.3

 ストア哲学は、ギリシアローマに渡ってとても息の長い哲学なので、同じストア派でも、人によってかなり哲学の内容が違っています。ですので、同じようなフレーズでも人によって少しずつ意味が違ったりすることがあります。  「nothing can make you happy」という、この言葉の意味を厳密に考えるならば、まず誰が言ったかということを明確にしなければならないのでしょうが、例えばローマ時代のストア哲学者エピクテートスも同じようなことを言っています。彼が言うのは次のような意味です。  この世の中にあるものは、自分の思い通りになるものと自分の思い通りにならないもののどちらかである。そして、自分の思い通りになるものとは自分の内側(=精神のあり方)であり、自分の思い通りにならないものとは自分の外側(=精神のあり方以外のもの全て)である。  ところで、確実に幸福になるためには、自分の思い通りにならないものに幸福の基準をおいてはならない。なぜなら、自分の思い通りにならないものに幸福の基準を置けば、いつ何時、自分の力の及ばないところで、それらが自分から逃れ去ってしまうかわからないからである。  ゆえに、幸福の基準は自分の思い通りになるもの(=自分の精神のあり方)にしか置いてはならない。それが幸福になる確実な方法である。  つまり、「nothing can make you happy」の「Nothing」は、この場合、「自分の精神のあり方以外の、自分の外側の世界にある全てのもの」という意味だと思います。彼にとっては、それらは幸せの基準として置かれるべきものではないのです。だから、「それらはあなたを幸福にはしない」と。  つまりこの哲学は、幸福=不幸のない状態、なのです。不幸のタネになりそうなものを幸福の基準にするな、と言っているわけですから。決して積極的に幸福を求めているのではないと思います。  それには、彼の生きた時代が関係しています。彼の生きたローマ時代、彼は積極的な幸福などなかなか求めることができませんでした(事実、彼は奴隷出身です)。それで、「幸福であることは不幸をできるだけ避けることだ」という発想が出てくるのでしょうね。現代に生きる我々にとっては、その時代的な背景を考えにいれないと、この哲学はぴんと来ないかもしれません。

noname#6420
noname#6420
回答No.2

ストア哲学は、ギリシア・ローマでとても長い時代にわたってけっこう人気があった哲学なので、 同じストア派でも、人によって哲学のかなり内容が違っていたりします。 ですので、厳密なことを言うと、誰がそれを言ったのかによって意味も違ってくるのでしょうね。 「Nothing can make you happy」というのが一体ストア派のうちの誰がいったのか、 ぼくにはちょっと分からないのですが、 ローマ時代のストア哲学者であるエピクテートスも、やはりそのような事をいいます。 彼がそれを言う意味はおそらくこういうことです。 世の中には、自分の自由になることがらと自分の自由にならないことがらの二つしかない。 ところで、自分の自由になることがらとは自分の内側(=精神のあり方)であり、 自分の自由にならないことがらとは、自分の外側(=自分の精神のあり方以外のもの全て)である。 ところで、確実に幸せになるためには、幸せの基準を、自分の思い通りにならないものにおいてはならない。 なぜなら、自分の思い通りにならないものに幸せの基準をおくと、 いつ何時それが自分の意志に反して自分から去っていくかもしれないから。 ゆえに、自分が幸せの基準としておくべきものは、自分の自由になることがら(=自分の精神のあり方)のみである。 ということになります。つまり、この哲学は、幸福=不幸のない状態、なんです。 不幸のネタになりそうなものを幸せの基準にするなっていうわけです。 これには彼の時代が関係していて、彼の生きたローマ時代においては、 不幸のない状態が最高に幸せ、、ということだったのでしょうか。 現代に生きる我々にとってはちょっと納得するのが難しいところかもしれません。

darakun2
質問者

お礼

エピクテートス!この言葉を言ったのはその人だと思います。<彼の生きたローマ時代においては不幸のない状態が最高に幸せ、、>そおいう事だったのですね。この言葉だけを見ていてエピクテートスを取り巻く状況(ローマ時代)をまったく見ていませんでした。これから勉強していきたいと思います。有難うございました。参考になりました。

  • RNase
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回答No.1

哲学を専門にしているわけではないので間違っているかもしれませんが、この一文はまさに精神文化の象徴ともいえるのではないでしょうか? ものの豊かさではなく、ココロの豊かさに重きを置くので、物質文化の日本にいては理解しにくかったのでは?つまり物じゃなく、ココロを豊かにしましょうということでは?

darakun2
質問者

お礼

なるほど!心の豊かさですか。そおいう捉え方もあったのですね参考になりましたありがとうございます。

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