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修飾語(?)の質問です。
下記の文章があります。 --------------------------------------------- 数十年生きている私が拾ってきた猫がないている。 --------------------------------------------- 私の解釈は、「数十年生きている」は「私」にかかっていると思うのですが、 「私が拾ってきた猫」にかかっていると判断した人が多数いて、おどろきました。 正解はどちらになりますか?詳しい人、お願いいたします。
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あなたの感覚は正しいです。 もし猫にかけたいのなら、 私が拾ってきた数十年生きている猫がないている。 がよりしっくりきます。
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- nebnab
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この一文だけを単独で提示されたら、「数十年生きている」は「私」にかかっているとも「猫」にかかっているとも、どちらともとれます。 どちらが正しいかは、前後に文章を補ってもらって文脈から判断するか、この文を書いた人のおかれている立場や状況を知った上で判断するしかないでしょう。
お礼
>どちらが正しいかは、前後に文章を補ってもらって文脈から判断するか、この文を書いた人 >のおかれている立場や状況を知った上で判断するしかないでしょう。 ↑国語の時間によく言われた記憶が残ってます。これが答えのつもりなんでしょうが、 (学校の国語の先生が)この答えを発言しつつける限り、日本語は曖昧な表現の温床として進化していくのだなと感じました。
- cxe28284
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私がの助詞「が」が私を強調しているように感じるからで、私の拾ってきた猫にすると それほど不自然とは感じません。 数十年生きているは猫を修飾すると思います。 す十年生きているで、を入れると分かり易いとおもいます。 あの黒いガウンをきている、Aさんが話しているっ人が牧師です。
お礼
猫に修飾していると突っ込まれても文句が言えない文章ですよね。
チョッと見には、私も貴方と同じ意見です。 でも、会話の場合は異なる場合がありそうです。 例えば三十歳以下の人、あるいは、高齢者の人の“台詞”なら、 「数十年生きている、私が拾ってきた猫がないている」で、「数十年生きている」は「猫」にかかっていると解釈できます。なぜなら「私」は「数十年生きている」人ではないと分かっているから。 猫が「数十年」も生きる動物かどうかは知りませんが。 「私」が「数十年生きている」人でも、「数十年生きている私が、拾ってきた猫がないている」と書いたり、読んだり、(一呼吸を入れて)発言するのがよろしいかと。
お礼
この文章を見て、 「ねこは数十年も生きません」 というツッコミが数件ありました。 何にしろ、日本語というのは口語にしろ、文章にしろ主語がないことが多いと感じます。 困ったことです。
お礼
>私が拾ってきた数十年生きている猫がないている。 >がよりしっくりきます。 ↑ですよね。