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暴力団の救援活動が報じられる!考えさせられる二面性とは?
- 東北の被災者に広域暴力団が救援活動を行っていることが報じられ、注目を集めています。暴力団の活動に対し、私たちは複雑な気持ちになるでしょう。心の二面性を考えると、人間の心には善と悪があり、そのバランスは個人差によって異なります。私たちは彼らの善行を受け入れる一方で、彼ら自身も自身の心の向上に努めることが望ましいと考えています。
- 暴力団の救援活動が注目されています。阪神・淡路大震災の際にも山口組の活動が話題になりましたが、こうした暴力団の善行を理解するのは難しいものです。心の二面性について考えると、人間は善と悪の中間に位置し、個々の心のバランスは異なります。彼らの活動を受け入れる一方で、彼ら自身も自己の心を向上させることが望ましいと言えます。
- 東北の被災者に広域暴力団が救援活動を行っていることが報じられました。暴力団の活動に対しては複雑な気持ちになることでしょう。心の二面性について考えると、人間の心には善と悪があり、そのバランスは個人差によって異なります。彼らの善行を受け入れつつ、彼ら自身も自己の心を向上させることが望ましいと思います。
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追記 まあ、オレもあまり道を極めた方々のことは知りませんがね。堅気に見えるチンピラであればどこにでも歩いてはいますが。
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- heartmind
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広いとは、先の回答にも書いたように、空間的にも、時間的にも ということと考えていいと思います。 小さなコミュニティーのなかの倫理観があって、 それを取り囲む大きなコミュニティーの倫理観があって、 またそれを取り囲む.........となって、 人類の倫理観。
お礼
恥ずかしいけど、倫理という事を勉強しなければ、なんて思いました。 ありがとうございました。
- yaminoukon
- ベストアンサー率25% (2/8)
困った時は助け合う。 別に、職種や役職など関係ないのでは? 人としてやった事なのだから。
お礼
彼らの行動を、一般的に使われる「助け合いの精神」からと受け止めることに、少し疑問を感じるので、さらに考えてみようと思います。 ありがとうございました。
- heartmind
- ベストアンサー率14% (32/226)
評価されるか、批判されるかという当事者への社会的ご褒美に ついては、とりあえずおいといて、何人かが凍える夜をすごさ ずにすんだという社会的利益を先行させた行動だと思います。 その行動を社長が認めたとすれば、経営者の立場として長期的 な営業費を取り崩したと見たのではないでしょうか。つまり目 の前の利益より、長期ビジョンからみた社会的信用というリソ ースを買ったという理解だと思いますが。 その会社が「結果オーライ」かどうかはまだこれからだと思いま すが、その時灯油を貰えた人にとっては勿論だと思います。
補足
前回の捕捉質問はちょっとずれたかと思い、言い換えて再度伺いたく思います。 「普通の堅気の人よりも倫理観が少し広い人達」とは? 彼らの倫理観が堅気の人の倫理観よりも広いとは、どういう事なんでしょうか。 ぜひ、伺いたく思うのですが。 よろしくお願いいたします。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>役人の融通性のなさに不満。でも、これは日本人の特性かも。 いえいえ、これは世界共通のことです。役人は自分の保身が全てに最優先するのです。役人は規則通りにやっていれば、どんなに不合理や悲劇が起こっても、自分の身分が危うくなることが決して在りません。だから、世界中の役人は、自分の保身のために徹底的に規則に従うことを最優先させます。そして、規則内で自分の立場に不安がないときのみ、人の役に立つことをやろうとします。これはそのような状況に置かれた者なら誰でもそうなってしまう人間の性ですので、制度上の結果であり、その人の人格には関係ありません。 また、規則は役人が作るものではなく政治家が作るものですから、役人が勝手に規則を無視して善行を行ってしまうと、世の中が混乱してしまい、大局的にはおかしな世界になってしまいます。所謂、三権分立の原則ですね。 ですから、どんな組織にも規則を柔軟に解釈して、時には表向きの規則を破ってもその人の身分が保障されている人が、所謂上層部の人間や指導者として用意されています。もし、役人が余りに杓子定規に動いておかしなことが起こった場合には、批難されるのはそのお役人そのものではなくて、それを指導する上層部の人間です。その緊急時のために、上層部は普段から税金で高い給料を貰っているのですから。 別な言い方をすると、ある意味で上層部の人間は平時のときには何もせずに高給を貰っていれば良いのです。そして、いざとなったときにその高給に見合った仕事をしてくれれば良いのです。もしそれが出来なかったら、その人が平時のときに貰っていた給料の一部を国民に返すのが筋なのですが、上層部に上がれる人間は世事に長けているので、なかなかそうも行かないようですね。 ヤクザだって、役人だって、誰だって、出来るときには人の役に立ちたいと思っているのです。人間て、自分のためではなくて人の役に立ったときにだけ幸福感を味わえることができると言うことを、誰だって知っているからです。それが人情と言うものです。ヤクザは制度上そんな役人のような保身のことを考えていないので、いざとなったときには役人よりも融通が利くのでしょう。
お礼
“役人”の身になって・・・・・ 「こうした立場に立てば、そうせざるを得ないのだ」という言い分も聞こえてきそう。 とは言っても、世界共通であるという説明は私には十分すぎる回答です。 ありがとうございました。
補足
役人の融通性のなさは、世界共通なんですね! なるほど。 東洋と西洋では人間の性格が、だいぶ違うようですが、“役人”には同じ傾向が現れる。 という事は、もしかすると、役人に原因があるのではなく“国家としての組織”に原因があるのかも知れない、なんて思いました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
浮気した旦那ががプレゼントを(奥さん、あるいは恋人に)贈った! と同じ自然な心理のように思います。 心理とは原理なので、つまり満たされないものを抱えている人ほど他者を救いたがるということです。 むろん「満たされないもの」の質は多様ですので一概に同一視することは無謀(とは私自身は思っていませんが)かもしれませんが、何もない人々が共感なり同情なりして物資を送る以上の激しい心理がそこには働いているはずと思います。 >☆ こうした思いは、よく云う処の“希望的観測”でしかないのでしょうか。 : いわゆるカタルシスの発散という意味で精神衛生上の効果は大いにあるでしょうね。 しかし、「仕事」をやめるほどの威力はおそらくないでしょう。 それは、坊さんや牧師(というのか神父というのか知りませんが)が自ら食うために人を救うという欺瞞性に気づいたとしても、その職をやめることが難しいのとほぼ似たような理屈だろうと思われます。
お礼
カタルシスの発散で終わってしまうのでは、希望的観測も無いんだから、がっかり。 指摘は、当たっているかも。 回答ありがとうございました。
補足
回答を頂いて今は、ある意味において彼らへの同情の気持ちが起きてきました。
- heartmind
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例えば、ガソリンスタンドの社員が社長のゴーサインもなく 勝手に灯油を困っている人に配った話がありましたが、これ なんかは平常時だったらただ組織の秩序を乱すスタンドプレー な行動としか思われません。しかしこの行動は社内倫理という 狭い範囲の倫理観では良くないかもしれないけど、もうひとつ 外側のくくりの倫理観からみたら、人道的な行動です。 というようなことがいいたかったのですが。
お礼
上手く表現できませんが、ガソリンスタンドの社員の行動に限って言えば、世間に評価される行為かもしれませんが、結構微妙な“行動”ではないかとも思いました。 “職務”から外れる行為だと思うので、評価されるかもしれませんが、否定されてしまうこともありそう。 もしかすると「結果オーライ」的行為なんだろうか。 回答ありがとうございました。
補足
いただいた二つの回答をもう少し、吟味してから、感想を述べようと思います。
- heartmind
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仰る通り >心が持つ二面性の現れ だと思います。普通の堅気の人よりも、倫理観が少し広い人達 というのは、それだけ行動の幅も広く柔軟になる可能性がある ということだと思います。 スマトラ沖地震で被災者の方が、津波のすさまじい映像をDVD にして商売をしている光景と少し似ていると思いました。 また、風評被害にあっている農家のキュウリを買い取って、物資 として送っている人もセンスいいなあと思いました。 風と共に去りぬでも草の根かじりながらタラが 「人を騙したり、人の物を盗んだり、人殺しをしなければならな くても、二度と飢えて泣きたくない」 という場面がありましたが、極端な例えだと思いますが、きれい ごとや形骸化した倫理観で飢え死にしたらなんにもならないって いう。私はすごく好きな場面なんですけどね。
補足
「倫理観が少し広い人達というのは、それだけ行動の幅が広く柔軟いなる可能性がある」 これを具体的に説明していただきたいのですが。 どういう事なのかよく分からないので。 よろしくお願いします。
- hanniyagi
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「かって、同情、ほど罪深きものがあったであろうか?」とニーチェの書にあったようですが。 日本でも「人の不幸は密の味(相対的に自分の幸せ」と言う、言葉=人の心、があり、 ネット上にも。被災の大きさに、よだれ、を落としながら、同情をしている。と見れる投稿、 おしゃべり、もあるようです。 寄付とか、支援、に偽善や思惑はつきもの。でもあるでしょう。 私の知る、その日暮らし、宵越しの銭は持たねえ、主義?の男が。 最近は、外食やコンビニでの買い物の度に、釣りはいらねえ。こっちにと、義援箱、に入れているようです。 彼の弁によると、今回の災害は、被災者生活への援助だけで、国民一人当たり、10万円、てして、 10兆円、数年に渡り必要だ。東電が10兆円は出す。政府は、50兆ぐらいは。紙幣を印刷する、 事になるだろう。 わしは、寄付、とか、支援、などは、出来ないし。する気もない。 しかし、わしも日本人だ。義(自分がやるべき事と、して)援、はする。 コンビニで毎日釣り銭を、100円づつ、入れれば。3年で10万になる。それなら、負担もに感じないし。苦にもならない。 と言っていました。 「いつまで、続くやら。それより、まだ3年も生きているつもりかい。」と言っておきましたが。 義援をするべきであり。義援は名が出ないようにするものです。 やくざからの支援物資、と聞いたら。そんなもの死んでも受け取れるか。と考える人も、多分、大勢 いるのです。何処からの支援とは、被災者には知らせないのが、思いやり、でしょう。
お礼
「同情は罪」「人の不幸は蜜の味」を同じ味とするならば、それは自己チュウ的味わい。 宵越しの銭は持たねえ、主義の人も“自己チュウ” なんてことを考えてしまいました。 回答ありがとうございました。
補足
週刊誌の記事によれば、何処から、とは分からないようにするとの配慮が当事者にあり、また政府からももそうした意向が、当事者に伝えられていたらしい。
- kigurumi
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日本のヤクザは敗戦直後、困った人たちを救済してできてきた。 困っている人を仲間にして、他の困っている人を助けていたのだそうです。 そうやって人数が増えていって、指揮系統がしっかりした救世軍になったり、弱い人を強い人から守って助けたりしているうち、組みたいな組織になっていったのだそうです。 敗戦後、道路を作る必要があり、困っている人に仕事があると声をかけて引き入れ、生活の糧を得る手段を分け与えて、世話してやっているうち、忠誠心みたいなものがあり、恩義があるからと、組織が他の組織からやられるのを防いだりしてきたのだそうです。 だから、まるっきり社会にとって悪の存在ではなく、弱いものを守ってきたという歴史が日本のヤクザにはあるらしいです。 ということで、日本のヤクザの伝統ですね。
お礼
とはいっても、弱い者いじめ、をしているという現実もあるのが、残念。
補足
なるほど。 ありがとうございました。 「仁義なき戦い」をよく見ていた私です。 この映画では、描かれていなかったようですが。 任侠の精神世界は嫌いではないので、こうした伝統が現在の“暴力団”に在ることを好ましく思います。 でも“暴力団”と云われてしまう体質が、残念。 こうした世界、或いは社会を、自分たちで作り上げて生きなければならない人たちに、私は同情の気持ちさえ起きてしまうのです。 社会が受け入れない、或いは社会に受け入れてもらえない性格に生まれてしまった人々に。
- miko-desi
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阪神大震災の時には高級公務員も税金で風俗行ってたりしましたし。 わかりやすい方が堂々と善行するなんて方が倒錯した印象も起きません。 目的と手段が逆転して堅気さんに迷惑をかけてるように映る世の姿。 「弱気を助け強気をくじく」元の任侠道の精神の目的を果たしているのではないですか? 任侠 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E4%BE%A0
お礼
“任侠道”を研究して見たくなりました。 もしかすると“自己チュウ”的世界か、なんてことを視野に入れながら。 ありがとうございました。
補足
暴力団、にも任侠の心が有る。 たぶん、彼らはその心を働かす事が出来ることに、喜びや充実感を感じているのではないかと想像します。
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お礼
おっちょこちょいな私に、愛のこもった回答をいつもありがとうございます。 そう思っているので、ポチを二十個。 これで「口」が止まるかなぁ。 希望的観測ですが。