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戦国時代の早馬(伝令)が指していた旗について
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こんにちは。 画像が闇くて分かりずらいのですが、 たぶん「母衣」(ほろ)でしょう。 平安期~室町あたりまで、伝令が背負う「母衣」は 袋状になっており敵の箭(や)を防ぐ役割がありましたね。 あのころは、戦国期よりも戦いが原始的だったので、 本陣も箭が飛んでくるほど前線に近かったんですよ。 あのころは参りました。初期の母衣は鯉のぼりのように長く巨大でしたからね。 戦国期になると、本陣を遠い山上に置いて前線を指示することになってきましたから 箭が飛んでくることも少なくなりましたね。 だから空気抵抗の多袋状の母衣は次第に廃れ、目立つよう色分けがなされ、 母衣も旗指物(所属の目印)的な役割になってきたんですよ。 や~あだいぶ楽になりました。 この頃から伝令は母衣衆などといわれてチヤホヤされました。 それでも大将の口上を伝える役目ですから、一応ひとかどの武人でしたよ。 うむ。さようか…懐かしいのぉ… (あれれ…なりきっちゃってる)
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- neochi_life
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動画からはこれが誰だったのか?がわからないのですが、恐らく、あれは旗ではなく母衣でしょうね。(早馬とは違います) ・母衣衆 http://www1.clovernet.ne.jp/kurohoro/his/oda/horos/index.htm ・母衣(ほろ) http://kazeoto.com/horo.html ・信長の家臣団 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/7858/rekisi63.html この動画(同じ大河ドラマ 信長 の一部)の4:10秒あたりに、信長の後ろに質問主様が「旗」と表現しているものをつけた人物が4名だけいて、他は軍旗を指しているような部分があります。これも人物が誰なのかはわからないのですが、特別な位置づけの人物であると考えられます。 このあたりからも、これは赤母衣衆だろうと想像します。ただ、TV的にデザインを変更したのではないでしょうか? これが、誰の役をやってるのかがわかるなら、母衣衆一覧の中からその人物を見つけることができるのではないかと思います。 母衣の目的は ・風をはらませて大きく膨らませ、後ろからの矢を防ぐ目的だった ・後には、信長家臣団の中から選抜されたエリートの象徴的な意味合いもでてきた ※使い番・伝令将校は、敵に倒されることなく間違いなく情報を伝えるのが任務なので武勇に優れたものを選抜したので、母衣衆に選抜された者=武勇に優れた勇者=軍団のエリート と考えられたということです
お礼
回答ありがとうございました!また、映像を用いていただいたこと感謝いたします。
お礼
回答ありがとうございました!