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非純文学の定義
僕は最近小説を読むようになり純文学というものの存在を知りました。 辞書によれば「通俗文学・大衆文学と違って多く売れることを期待せず、純粋に芸術的な意図の下に作られている文芸作品」だそうです。 それはすごくすばらしい事だから純文学を読みたいと思ったのですが、何をもって多く売れることを期待しているかいなかを判断すればいいのか?という疑問がわきました。 その他にも純文学なのか非純文学なのかを判断するポイントがあれば教えてください。
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こんばんは。 読書好きの二十代後半の女性です。 「純文学」と「非純文学」の線引き、ですか。。。「多様な価値観」が叫ばれ「尊ばれるべき」とされる中で、語弊/誤解を恐れずにこれを語る事はなかなかに難しいな。。。と思えます。^^ ちょっと、ウィキペディアを覗いてみましたら、 「現代の主要な純文学作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。」となっておりました。「純文学」で検索したら出て来ましたので、参考になさると良いかと思われます。 さて、 「何をもって多く売れることを期待しているかいなかを判断すればいいのか?」を「中心」に、「純文学か非純文学か?」について、がご質問ですね。。。。 「評価」「分類」と言うものは、「過去に対して」のもので、「作家の意図/主題」と言うものは「未来に対する」ものです。そして、私が考える「純文学か非純文学か?」の違いは、この「作家の意図/主題」の違い、です。 故灰谷健次郎さんの「少女の器」にこんな一節がありました。。。。 「それで、何? パパ」 「なんだったっけな」 「人に認められるのはうれしいことだけど、しかし・・・とパパはいったでしょ」 ああ、と男はいった。 「つくり手はね・・・」 「芸術家という意味?」 「自分で芸術家というのは面映いだろ」 「分かる」 と絣はいった。 「つくり手というものは作品の値打ちと世間の評価は本質的に関係ないと思っていないと堕落するってことをいいたかったんだよ」 「純文学作家」は、 *「作家の意図/主題」先行 *この「意図/主題」に「流行」「人気」は加味されず、 *作家自身の「思考」「本質」「衝動」によって「生成」される *「商業面の成功」については「まあ、売れたらいいかな。。。」くらい 「非純文学作家」は、 *「意図/主題」に「流行」「人気」が多分に加味されて「選択」される。 *「商業面の成功」の目処が立っている。 *いわば「職業作家」という感じ。 いくつもお読みになって行くと、「重たい」と感じる作品に出会うと思います。私はそれこそが「純文学の必須項目」だと思えます。「重たさ」は「作家の人格の重たさ」だと思えるのです。「重たい人」って、昨今「人気が無い」ですよね。「彼女にこんな発言されたら重たくて嫌ですよね?」等と言うフレーズを良く聞きます。あまり「重たさ」って「好かれません」。 古くなりますが、夏目漱石の「我が輩は猫である」は「大衆小説」だと思われますが、「こころ」等はとてもそのような分類は出来ません。この「重さ」の違いが、「純文学と非純文学」の違い、と私は考えております。 これで回答になっていますでしょうか。。。
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- levitateme
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あまりはっきりとした線引きはないと思います。 本人が純文学として書いたつもりでも、 大衆文学として扱われることもあると思いますし・・。 そもそも純文学って日本にまだあるのかな??
お礼
そうですね。やはりはっきりとした線を引くというのは難しいのかもしれませんね。 本人の意思とは違う評価がされる事もあれば尚更ですね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
なるほど。 とても分かりやすくてかなり納得できました。 具体的に一節を用いてくださっていたり、作家名を挙げてくださっていたのでとても参考になりました。 ご回答ありがとうございました。