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足利幕府の守護大名の影響力の大きさについて
1)なぜ足利将軍家を圧迫するくらいの大版図を領有し得たのか 2)なぜ細川・斯波・畠山の三家のみ管領家と成り得たのか 3)なぜ山名氏だけが「六分の一殿」と称されるくらいの大版図を領有し得たのか 以上三点、なるべく簡潔な回答、お願いします。
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1)なぜ足利将軍家を圧迫するくらいの大版図を領有し得たのか 守護の権限なんてそうタイしたものではなかったから。 守護大名は戦国大名と違って、一円支配しておらず、「領有」という概念で考えるほど、権限は持っていなかった。 南北朝の騒乱をやっている間に、ジワジワと権限が広がって、気づいたら http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%AD%B7%E9%A0%98%E5%9B%BD%E5%88%B6 こんな感じになっていた。 参考 自民党幹事長 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E5%B9%B9%E4%BA%8B%E9%95%B7 戦前の政党の幹事長はそんなに権限を持っていなかった。 戦後の選挙制度が、中選挙区制で、選挙の取り仕切りをやる幹事長がジワジワと力を持つようになり、総裁は総理大臣ということになったため、いつの間にか自民党の事実上のトップが幹事長になった。 そんな感じ。 2)なぜ細川・斯波・畠山の三家のみ管領家と成り得たのか これは、たまたま高家が没落した後、執事として(自民党の幹事長みたいなもんですが)足利将軍を補佐できるような実力を持っていた、足利一門の分家が上記の三家だったから。 執事(=家来)となるのを潔しとしなかったので、斯波高経は、13歳の息子を管領にして、自分は実権を握るみたいなことをしています。 3)なぜ山名氏だけが「六分の一殿」と称されるくらいの大版図を領有し得たのか キャスティングボードを握って上手く立ちまわると、利益が大きいという例です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%90%8D%E6%99%82%E6%B0%8F 南朝方に一時付いた。返り忠ってやつですね。
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- amuro-rei
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学校の宿題のお手伝いかね?w 1)なぜ足利将軍家を圧迫するくらいの大版図を領有し得たのか →尊氏が守護大名に対して、力を削ぐ努力しなかったから。 2)なぜ細川・斯波・畠山の三家のみ管領家と成り得たのか →尊氏と弟の直義と後年は仲たがいをした結果、直義一派を倒すのに 活躍した3家に対しての、褒美だったから。 3)なぜ山名氏だけが「六分の一殿」と称されるくらいの大版図を領有し得たのか →山名が突出したってのはあるが、他の家についてもそれなりに一族で守護大名を出していた家が あった。(赤松、細川も・・) ちなみに六分の一と言っても一族でまとまりがあったわけではないので 山名の力がホントに強かったのかと言われればまた疑問がある。 最後はちょっと骨が折れるかもしれんが、Wikiにほとんど乗ってる内容だけどね。
お礼
ご回答、感謝します。
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