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邪馬台国説

ここに邪馬台国の可能性とあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%BD%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4 内容は可能性では無く、 >黒板勝美が尻尾をつけて墓を捏造 >記紀による天皇家の出自も改竄で、現実は神武も卑弥呼も朝鮮半島からきた。 と、可能性では無く、2ちゃんねる顔負けに断言しています。 内容は、 南九州から青銅器が出土下と言う意味なのでしょうか? また、どう言った根拠がそれを断言させたのでしょうか?

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回答No.1

この「西都原古墳群wiki」の文章を書いた人は、多分、いわゆる『民間歴史研究家』と分類される類の人でしょうね。 民間歴史研究家の特徴は、思い込みが激しく、都合の良い資料を集めて来て編集する。自説に不都合なことは書かない。 このwikiの内容を見ても『・・・好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。』と断言していますが、中国の真面目な正式の研究者の研究により「『好太王碑文の改竄』は無かった」ことは明らかにされています。素人の私でも知っている周知の事実ですから、日本の学者ならば、このような初歩的な情報は知っているはずでしょうね。この改竄説を今でも言い張っているのは韓国系の民間歴史研究家ぐらいのものですよ。 同じくこのwikiには『・・・6 神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。』と書かれています。この記述の根拠は記紀の神代編の項目と字数を根拠にしているのだと思いますが、それならば、記紀記述で一番多い出雲・伯耆・因幡の遺跡、例えば「妻木晩田遺跡」等の存在をまず否定すべきでしょう。こちらには、古墳の古い形である「四隅突出型墳丘墓」も数多くありますね。 まあ、はっきりいってwikiの内容をそのまま鵜呑みにする人は少ないでしょうし、この内容を信用する人は特に少ないでしょう。論理の組み立てが幼稚すぎます。

isa-98
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 宮崎県の弥生遺跡は無となってはおりますが、弥生式土器などの出土はあるそうです。 中広戈の出土件数1も事実です。 しかし、青銅器の出土は殆ど無く、特に鋳型(製造)の痕跡など見当たりません。 http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/yamatai/yamatai4.html 弥生時代と古墳時代を都合よく同一年代視し、100年の違いが致命的である事は無視する。 特に、古墳を力説し、都の遺跡など発掘するつもりはさらさら無い。 この論法で国宝とも言える遺跡を暴けると思っているのがおかしいです。

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回答No.2

男狭穂塚古墳は、2004~2008年に地中レーダー探査によって墳形が「帆立貝形」だったと推定できるようになりましたので「黒板勝美が前方部を捏造した」という可能性はまずないと言ってよいでしょう。 そもそも「皇国史観」においては「魏に朝貢した卑弥呼」が天皇家につながることは忌むべきことなので「九州の女酋が倭王(あるいは神功皇后)を僭称した」という方が都合がよく、「卑弥呼の墓と確信した男狭穂塚」を変造する理由がありません。 ANo.1の回答にあるように「珍説」の類いです。 また古田武彦氏は「九州王朝一元史観」なので、「九州王朝が存在していた」と主張できそうな資料は針小棒大で取り上げ、「九州王朝など存在しなかった」と証明されてしまう資料は無視したり、解釈が違う(間違っている)としてしまいますので、これも「珍説」の類になります。 進化論を否定し、「人は神が作った」という主張と五十歩百歩です(笑)。 「明確な根拠もなく断定する」のはトンデモ説の典型です。

isa-98
質問者

お礼

ありがとうございます。 すげーのがいっぱいいます。

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