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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神について
- ヴェーバーの説によれば、プロテスタンティズムの倫理は禁欲的労働によって社会に貢献し、神の栄光を示すことで自己の救済を確信することを意味する。
- しかし、禁欲的労働に従事したとしても、救済されるかどうかは予め決まっており、努力や善行によって変えることはできない。
- それでも、倫理的には努力や善行に励むことが美しいとされる。報われなくても正義が滅びても、努力すること自体が尊いのである。
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んーー その部分じゃなくて、その下に書いてある「救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済に与れた者は罪を犯しても、必ず神に立ち返るとされる」が重要だってことじゃないでしょうか。 えっとですね、神の愛は一方的だってのは、例えばカインとアベル。 カインは作物を育て、最初に採れたものを神に捧げた。 アベルは動物を育て、最初に産まれた動物を神に捧げた。 だったと思う。 で、神はアベルが捧げた動物だけ「ごっつあんです」ともらいうけ、カインの作物は「いらね」って受け取らなかったわけです。 何故そういう<差別>のようなことをしたのかは、聖書には書いてない。 で、そのことがあった後に、カインは神がアベルだけ愛しているといると思ったわけです。 で、「こんちくしょーテメーばっかし」と神が差別しなかったら、兄弟仲良く暮らせたでしょうけど、差別対応をしてしまったために、カインはアベルを殺してしまうんです。 で、全知全能でなーんでもご存知だけど、神様はアベルが最近見えない理由を知らなかった。 「カインどん 最近アベルちゃんの姿が見えないけど どなんしたか知りまへんか」と神はカインに聞いたら、カインは「俺はアベルの執事じゃありません(番人とも訳す)」と答えた。 ふむーー と神は思ったが、アベルは地面から「たーーすけてーーーー」と叫び、神は「なんてこった アベルが地面に埋っとる! こんなことをしたのは、、、、カーーーイーーン!! この腕白坊主がぁ こら まてーー 俺のいとしいアベルちゃんをよくもーーー」となったわけです。 で、愛するアベルを殺された神は、腹をたててカインを呪った。 そもそもことの原因は、神がアベルを選び、カインの愛のしるしである作物を断ったことに原因があるわけです。 「わしゃー 肉が好きじゃ すまんのう カインよ」ってちゃんと説明すれば、「それは失礼しました」ってカインは自分が神の好物を知らなかったのが原因だと、神が差別したとは思わなかったわけです。 ですが、キリスト教は、「神の愛は一方的で、人間側が何をしようと 神の一方的な愛がそれによって変化することは 無い」としているんです。 だから、アベルが何を捧げなくても、神はアベルしか愛さなかったわけで。 人間が何かやったら アベルのものだけ「ありがとよーん」とうれしそうに受け取ったわけで。 これはもう決まっていることで、他のどんなものも影響を神の計画に影響は与えない。 とここまではいいですよね。 で、心配性な人は「こんだけ神様に紙幣を捧げているが、本当に私を選んでくれるのだろうか もうちょっと金を積まないと駄目なんだろうか。 考えてみれば朝お祈りをしそこなったし。。。。 考えてみれば、ケチって100万円しか寄付しなかったし、、、、 考えてみれば他の女性信者に目がいき聖書を読みそこなったし、、、考えてみれば わーー もうだめだ 俺はきっと選ばれないーーーー」 と悩むわけです。 「あーた 神の計画は最初から決まっており、選ばれるために善いことをする者は、本質が善いからやっているわけじゃないので、選ばれない。なんの見返り目的もなく、ただいいことだと思うからやる人が選ばれる。 どうやってその人の本質がわかるか? そんなもん決まっとるがな、その人が元から善い人間だから善行をやっているのか、利得目的でいい人だと思われるためにやっているのか どっちか知るには、そいつの名誉(紫の衣)を剥ぎ取り、罪が無いのに罪びとだとして、十字架にかけて、鞭でひっぱたけばいいのさ、槍でつきさしても最後まで悪人のかけらのそぶりも見せなかったら(神よ 私にこんなことをするあの人たちを どうか罰しないでやってください というとか)、その人は利益目的ではなく、本質が善だから善しかしないってわかるのさ」と、えっと、、、、プラトン! プラトンがこの論を出したんです。 えっと ちなみに 紀元前400年代だったと思う。 善人の証明の理論。(国家) というわけで、本質が善い人は、他人の評価を期待したり、利益があるから善をやっているのではなく、本質が善なので、やることが善になってしまうわけです。 そのような人のみ神は選ぶとされ、だから自分は本質が善だって思う人は、朝お祈りを忘れたからもうだめだー と思う必要は無い。 翌日またお祈りをするようになるから。 ヨハネの洗礼は「自分は全くの善だ」と思う人に、確信を持たせるためにやってたらしいです。
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- tyr134
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マックス・ヴェーバーは、一見「禁欲的で抑圧的」に見えるプロテスタントの倫理が、実は資本主義発展を促す精神状態を生み出したという逆説的な説を唱えたんですよ。 彼のロジックを分析すると 救われているか、救われていないかは自分ではわからない→神からは天職を与えられているはず→禁欲的な労働に励むことで救われている証を得たい→(禁欲的でなければならないので)得た収入は享楽に向かわずさらなる投資に向かう→経済的な成功が神に救われている証である(救われているという確信を得ることで安心する) という精神状態を生み出した。 つまり、資本が消費ではなくさらなる資本獲得の手段に使われるようになるわけで、結果として資本主義を発展する結果となったわけです。 まぁ、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は上記の事柄を統計学という近代的な手法を用いて分析したわけです。 で、最初に述べたように「逆説的な説明」であったからインパクトが強く、賛否両論を読んだ近代社会学の必読書ですね。 ではでは、参考になれば幸いです。
- alwen25
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私は、予定説は正しいとは思っていません。 これでは、地獄に落ちるために生まれた人間が存在するということに なってしまいます。(その考えを使うと日本で生まれた人→地獄行き などというようなむちゃくちゃな理屈も可能です) 予定説をあまり使うと、うつ病などの精神疾患になる恐れがあるので 注意してください。 >【禁欲的労働(世俗内禁欲)に励むことによって社会に貢献し、 この世に神の栄光をあらわすこと】 宗教というより共産主義の思想に見えます。
- kigurumi
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再度投稿すいません。 神=真理=普遍=変わらないもの ということらしいんですね。 人間は死にますので、普遍じゃない。 聖書を読みますと、アダムは最初から成人として造られたという想定のようです。(誰かがあやしたり食べ物を与えたりしたという表現が無いので) この時点ではアダムは普遍(死なない)だったわけです。 ところが主人のルールに反したことをやったため、アダムは普遍ではなくなった。 アダムはかつては全くの善の属性だったが、神がその属性を奪ったため死ぬ運命を背負うこととなった。 キリスト教は男が普遍でなくなったのはイブのせいだと考えたために、キリスト教の支配下に産まれた女はかなり苦しめられた。 <女は糞尿の容器である>と説経が教会で行われていたし、<女は男の子供を生む道具にすぎない。難産で死んでも悲しむ必要は無い。>(ルター)、<夫は時々問答無用で妻を殴って調教するように>など。 すばらしいキリスト教の信者に対する教え。笑 古代哲学では、人間はもともと全くの善の世界にいたが(変化が無いから死も無い)、肉体という有限(変化し滅びるから有限)の中に入ってしまったため、全くの善ではなくなってしまった としたんです。 それで<何が善で何が悪なのか、分別がつかなくなった>としたんです。 プラトンは、善の世界を知覚できるものが、ほんのわずかにいるので、その人の言うとおりのことをやっていれば、善悪がわからず悪いことをやってしまうしかない人であっても、悪を行うこともなく、全くの善の状態の生き方なので、有限の肉体が滅んだあとも、魂は元いた善の世界に戻れる としたんです。 (全くの善の世界ですから、少しでも悪の要素があっては、属性が違うので入れない。神が人間の前に現れられないのもそういう理屈らしい) それでプラトンの言った有限の肉体を持ちながら、善の世界(イデア)を知覚できるのは、教皇だけってなったんです。 神と地上の体現者で、唯一神と対話が可能で、神の考えと同じものは教皇ただ一人。 プロテスタントは牧師や信者一人一人が解釈が違いますよね? ローマ・カトリックは信者一人一人の解釈と教皇の解釈は一緒(システム上) 信者は神の言葉が理解できる教皇の指示通りにしていれば、必ず死後神の元に行けるとしたんです。 でも、信者に中には、言うはやすいが行いがたしで、やってしまう信者も多かったわけです。 その信者に対して、希望を与えるために、懺悔システムというものが作られた。 罪を消す能力を持っていると聖職者の前で罪を告白しさえすれば、100%罪が消える としていたんです。 信者はそれを信じ、聖職者を尊ぶわけです。 で、プロテスタントができた理由は、教皇のみが神と会話ができ、信者はしてはいけない とされていたんです。 ルターは、<信者が神と対話してもいいのではないか> と思ったんです。 そうなると聖職者の権威失墜だと思ったのか、ルターを破門した。何度も破り捨てましたが。 さらに教会が神の建物を新しく建築するという名目で、お金をとって懺悔サービスを提供するということを教会がやりだしたことに、「おかしい」とルターは思ったんです。 これじゃ 金持ちが悪事の限りを尽くしても、金で神は買収して清くなり、金持ちだけ天国にいけることになるではないか って。 プロテスタントができた背景には、そういうことがあったんです。 ダニエル書では、贖罪として神に捧げられた動物を、実際は聖職者が食っていているのも、ダニエルが「神はこんなに食べるのだろうか?」と疑問を持ってたことが発端となり、聖職者の着服犯罪を暴いた。 オズの魔法使いでは、偉大な魔法使いとされた者は、実際は人間で職業は詐欺師だった、ドロシーは暴いた。 疑って幕と中を見てしまったものがどうなるか。 知恵の実食べたものが、その後どうなったか。 知恵を実を食べてカトリックという楽園から出たものがどうなったか。 ドロシーの場合、「偽者だったけど、本物はどっかにいるはず」って探しにいった。 懲りてない。。。 まあ、子供が親から「お前は悪い。親は常に正しい」と言われ続けてきて、「あれ そういうパパは」と思ったとき、父親が神ではないと気づき、「悪い」と言われてきたが、実は悪くなく、権威を得るために子供に「お前は悪い」と言い続けていたってわかり。。。 子供は父親は偉大だと思ってきたが、実はとてももろく弱い存在なのだとわかり、弱すぎたために子供をを騙しつづけるしかなかったのかとわかり、父親を越えた存在になるわけです。 失楽園の箇所を読むと、この神は弱すぎる神って設定だってことがわかります。 人間が養ってあげないと一人では存在できない弱くもろい神。普遍じゃないですね。
キリスト教には『全ての人が救われる』という学派もあります。 異端とはされていますが、そういう考え方をしている人々もいるようです。 『全ての人が救われる』ではキリスト教の存在理由が無くなってしまうからかも知れませんね。 道徳観念も崩壊しますし……。 カプラン臨床精神医学という本には全ての人の臨死体験が同じ旨が記載されています。 よって私は全ての人が救われると信じてはいます。
お礼
ちょっと難しいですが、そんな考え方もあるんですね。 どうもありがとうございます。
- magnus4
- ベストアンサー率32% (65/201)
救済される人間は予め決定されている。 救済される人間は善行を積むものである。 だから、善行を積んでいるということは、将来救済される。 という三段論法ではないでしょうか。 「自分が救われているという確信を持つことができるようになる」の、「確信」というところがミソです。 神にお墨付きをもらったのではなくて、自分でそう信じたというだけです。 これによって、救済されるかどうかはわからなくても、善行を積む人間は救済される「はず」だから、善行をせよという主張ができます。
お礼
No2 の方の回答がかなりわかり易かったですが、 あなたの回答も多分理解できたと思います。 回答を下さりありがとうございます。
お礼
その事(本当に善いひとかどうかが問題だという事)を指していたとするならば、 カルヴァンの説明は、今となっては常識的に皆が考慮に入れるような事ですね。 カルヴァンが過去にそう主張したからこそなのでしょうけど。 となると、(自分の中で)話はかなりシンプルになったと思います。 この質問をしたのは、悪人(もちろん信仰もない)も救われると思ったからなんですね。 すべては神が何も考慮しないでただ単にランダムに救う人間を選ぶと。 つまり、何人も努力の余地は無いという説だと思ってたんです。 でも、この回答を頂けてカルヴァンの説明の真意が分かったと思います。 ありがとうございました。