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体内時計??
二度あることは三度あるとはよく言ったものだと思いますが、行き過ぎるとかえって不気味に思います。 というのも、私は夜中であろうと白昼であろうと、何も意識せずにふと時計を見て、必ず4:44を目撃してしまうんです。中学を卒業したあたりから、かれこれ5年目ぐらいでしょうか。 4という数字は死にまつわるから病院の部屋番には使わないという話を誰かから聞いてから、4という数字をある種特別に思っていますが、毎度4:44を見てしまうことと関係があるんでしょうか?体内時計?にインプットされているとか、そういうものなんでしょうか? ちなみに私はホラーの類が苦手で、何も無い暗闇を見てサダコみたいなのを想像して勝手に怯えている人間です。チキンでビビリです。 毎度の目撃はこういう人間の無意識が為す業なんでしょうか?(というかそんなことがありえるのか)当初はそれこそ恐ろしかったですが、今はただ疑問を清算したい心境です。 どなたか私に答えを下さい<○>
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- JidousyaGaisya
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其の時刻だけが「印象」に残るようになったのではないか、 という氣がします。
- amaguappa
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実際の時間というよりその数字がデジタル表示されているところを、その前でも後でもなくその瞬間に、視野の外だったにもかかわらず、くるりと振り向いて見てしまう。しかも往往同じ数列である。。。 これはシンクロニシティと呼ばれる出来事の一様相です。理論物理学の先生が回答なさったのは興味深いですね。ユングは小躍りして喜ぶことでしょう。 ユングとその信奉者はシンクロニシティをオカルト(秘学的)にしか解決へ導くことができませんでした。確率の理論を超越する原理を追求しようとしたとき、膨大無尽に積み重なる未知の規則の複雑さに耐える能力も記述する能力もなかったかわりに、確率を超越する出来事の普遍性を強く信じたからです。 シンクロニシティのウィキペディアの「ノート」を参照するとこんな上手な説明にあたりました。 【「(ユングの言う)個性化」とは、意味やイメージや概念などが、明確に分節化され、自我が、このような分節によって、ますます自我として個性的な存在となり、またこのような分節を「意識化」することで、「個性化」してゆく過程である。自我が「全体的に個性化」されて行くとき、自我の描くイメージ等は、集合的無意識に、その鏡像を生み出すのであり、集合的無意識を介して、この鏡像が、現実世界に、現実の像として、形成されることが確率的に高まるのである。】 心理学の仕事は図式化ですから、心理学カテゴリの質問には、上記で回答になっていると思います。 巷にはこの応用があって、上記の解釈にバイヤスをかけて単純化したのが、「念じて書き込めば叶う」式の手帳の様な考え方です。 また霊的オカルト味を増すと、天使とかハイヤーセルフなどとの交信という次元の考え方になります。 わたしは、これらの領域にはノータッチ・ノーコメントでいようと思います。 うまい商売を開発できてこそ心理学の王道ですから、きっとユングも言うことはないはずです。 さて、わたしも実は、時計が遅れている合っているにかかわらず、ある数列をわざわざのように振り向いてさんざん見てきた者です。そしてその数列との出逢いは4歳のころで、少し嫌な思い出にまつわるものです。 そのときのことはよく覚えており、瞬間的な違和感もはっきりと覚えています。 わたしはそのとき、未来の記憶をみたような無茶きわまりない錯誤感にとらわれたのでした。 実際のところわたしの見解はユングとは無関係なのです。確率でも意思でも偶然でもない問題について考えているのです。 わたしは梅花心易の才能があると言われたことがあるのですが、この易に仕組みなどというものがもしもあるとしたら、いちばんあの違和感と錯誤感をもたらす仕組みに近いにちがいない、と思っております。 わかりにくい話ですみませんが、世界が成るか、在るか、の両方にかかっている問題で、そのことをわかりやすくするなり都合の良い話になるのは心理学でも物理理論でもオカルト理論でも易占理論でも避けられないのではないかと感じています。
- cyototu
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#1です。まだ思い当たりましあ。 6)4が三回出て来たのだから、貴方は資産家に成れることが予言された。 7)我々の生命は輪廻転生で、仏教で言う十界の中の最下位の地獄界から天界までの六道を生まれ代わり、その度に煩悩による苦しみを味合わなくてはならない。しかし、貴方の善行によってその六道から抜け出し、いよいよ仏様に昇華できるときがある。貴方は、あとたった三回そこを過ぎればその六道の輪廻から解脱できる須陀洹(しゅだおん)のことじゃとのお告げの可能性もあります。以下に、 『南方熊楠文集2』東洋文庫の中「自分を観音と信じた人」 からの抜粋を載せておきます。それによると何と、貴方は聖に入る初めだそうです。もし貴方が男性だったら、下の方の説明のように、精力絶倫な方で、いよいよ不死の命を授かる間近に居られる方だとの大変縁起の良いお告げだと思いますので、少々難しいですが、最後まで読み切って下さい。謎解きとしては、そこの始めの方に出ている「四果」すなわち、須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢と進むうちに、三回「死」を経験しなくてはならないと言うことです。正月早々、何とも目出度いことですね。 「常人が涅槃に達するまでに四果を証するを要す。まず須陀洹(しゅだおん)入流と訳す。聖に入るの初めで、これを証した者は天、人、修羅、地獄、餓鬼、畜生と六道の内、人より下の境界に再生する気遣いなきも、涅槃に達する前に、天と人の間に七度生まれ変わらにゃならぬ。第二に斯陀含(しだごん)、一来と訳し、宇治川合戦に軽業を演じた一来法師はこれ資った名だろう。もと一往来の義でこの果を証した人は、一度死んで天上に往き、そこで死んで今一度人間に来たり、さて衆苦を尽くすを得るのだ。第三に阿那含、こいつは死んで再び人間に生まれず、天上に生まれそれより阿羅漢となって涅槃に達する。この上、人と生まれ還らぬから、不還または不来と訳す。第四が阿羅漢で、不生と訳す。この上、六道のいずれへも転成せず、すぐ涅槃に達し得るのだ。」 「婦人いわく、わが夫は途方もなく多淫で、昼夜一件をつけ回し、食事も休息もさせず、それから疾みだして直る見込みなし、と。道人、婦人に告げたは、今度御亭主が貴女の身に近づき来たら、こちの人は須陀洹たるにそんな不作法をして宜しいかと言い給え、と。のち果たしてまた夫が妻に迫り来ると、妻が道人の教えのままに、あなたは須陀洹の身でもってそんなことをして宜しいか、と尋ねた。夫これを聞いてはなはだ然時入り慚じ入り、さては自分は須陀洹かも知れぬ、須陀洹とは何であろうと案じ出し、すなわち意を息めて閑静処にあり、思惟校計して須陀洹から斯陀含を経上がり、阿那含となった。」 因に、質問者さんは、南方熊楠をもうご存知かもしれませんが、彼は明治から昭和初期まで生きた、粘菌学者、日本民俗学の創始者の一人、日本最初の環境保全運動家で、ヨーロッパにもこれだけの人を探すのは難しいのではないかと言われている世界に誇る日本の奇人です。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
色々な理屈を見つけることが出来そうです。 1)4は、死に繋がっているので、貴方は呪われている。 2)4は、ヨンともシとも読むので、これは、善し善し善しと大変お目出度い言葉を何回も見ることが出来た。 3)ヨン様の追っかけをやっている奥様方が泣いて喜ぶことが、何の因果かその方に起こらずに貴方に起こってしまった。神様もっと真面目にやれ~~って文句言いましょう。 4)5年ぐらい前からとのことですが、その度にそれを見た時計に進みも遅れも無かったとは考えられないので、実は4時44分にそれを見ていたわけではなかった。 5)数学の統計学によると、滅多に起こらない事象の起こる確率はポアソン分布という分布関数に従っていることが知られています。この分布によると、滅多に起こらないことが起こる場合には、均一でバラバラに起こるよりも、それが続けて起こる確率がずっと高くなります。だから、その統計現象が具体的に起こっている例の一つと考えられます。この事実は、第二次世界大戦中にロンドンが繰り返しドイツの空襲を受けた時に、どういうわけか同じ家に何度も爆弾が落ちて来ることに気が付いたイギリス政府が、数理学者に分析してもらって発見された事実です。この事実は、お店のレジなどで店員をどう配分するかを決める時などに応用されています。実際、レジは殆どの時間暇そうにしているのですが、一度人が来始めるとあっという間に長い列が出来るなんてことを、貴方は何度も経験して来ませんでしたか。あれがポアソン分布に従っているときの典型的な現象です。 余談ですが、私は最近夜中に目が覚めた時に時計を見たら2:21でした。そのとき、あっ惜しい、と思いました。ところがその次の日も夜中に目が覚めたら、こんどは2:22でした。その後、そのことは起こっていませんが、今度は何時起きるか楽しみです。 またまた蛇足ですが、「何時起きる」を「いつおきる」と読むとこの文は意味が通じますが、これを「なんじおきる」と読んでしまうと、滑稽ですね。そんなことが、4:43に起きる筈がありませんからね。4と言い何時と言い、言葉の魔術って面白くて、人生が豊かになりますね。