「僕」という語は、「召使」「下男」などの辞書説明があるように、基本的な用法として、無意識的な「へりくだり」があるように思われます。
1.
大人に対して恒常的にへりくだる感覚で、小さい子供や若者が無意識的に使うのが一般的な用法でしょう。
昨今では、一部の若い女性が、気に入って使う場合もあるようです。
2.
普段、「私」を使うような人が、「僕」使う場合もあります。
どういう時に使うかというと、これも無意識的に使うはずですが、
a.自分を若く見せたい場合→「精神的に未熟であるとへりくだることによって、逆に、肉体的には若いことを表現する」
b.特に親しみを表現したい場合→「自分を低く見せることにより距離を縮めようとする」
c.甘えたい場合→「相手より無力であることを示して甘える」
などでしょう。
ですから、#1さんもおっしゃるように、公的な立場で発言する場合、「僕」を使う大人はまずいないはずで、殆んどは「私」と表現するでしょう。
「公的な」というのは、社会的に責任のある立場で発言する場合、という意味です。
作家や芸術家、芸能人など、自分の才能を売り物にしているような方であれば、社会的な責任というよりは、自らの才能に対する責任のほうが重視される傾向にありますから、「僕」も不自然な印象は与えないと思われます。
また、政治家などの公人であっても、私生活に関するインタビューなどで「僕」を使うことに違和感は覚えません。
実際、そのように使われる場合が多いと思います。
他にも、株主総会で「僕」と言う社長さんはまずおられないと思いますが、社員との懇親会などで「僕」と表現することは珍しくないでしょう。
ご質問文自体に問題は全くありません。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。大変参考になりました。まだ意味がよくわからないところがあります。もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>作家や芸術家、芸能人など、自分の才能を売り物にしているような方であれば、社会的な責任というよりは、自らの才能に対する責任のほうが重視される傾向にありますから、「僕」も不自然な印象は与えないと思われます。 「自らの才能に対する責任」はどういう意味でしょうか。なぜ作家や芸術家、芸能人は社会的な責任はあまりないのでしょうか。作家や芸術家、芸能人は「僕」を多用するということなのでしょうか。