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「僕」と「俺」
日本語を勉強中の中国人です。男性の方はどのように「僕」と「俺」を使い分けるのでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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どちらも私的な場面での一人称です。 わたしの印象では、個人の性格によってどちらかを統一的に選んで使っている人が多いように見受けられます。 「僕」の場合、子どもっぽい・押しの弱い印象がある(他人からは「ボクちゃん」と呼ばれ侮られる場合がある)ので、 それを嫌う人は、より男らしく、力強い「俺」(「俺様」という言い方もある)を選んでいるようです。 同一人物が使い分ける場合も、このような性格の違いを場面に応じて活かすよう使い分けているのではないでしょうか。 たとえば、 「俺はやらないよ。」と言えば、誰がなんと言おうが「やらない」という強い意志が伝わるので、相手は「それなら仕方が無いね。」と諦めてくれそうな感じが漂いますが、 「僕はやらないよ。」と言うと、「そう言わずにやってくれよ。」と相手に粘られそうな感じがします。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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淡雪さん、謹んで新年を寿ぎます。 淡雪さん、そして淡雪さんの親しい方々のご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 浅草の戦災で焼け出され避難する先々の親類でも二回も空襲で焼け出され、敗戦後の日本でした。 中国の好青年と縁があり結婚したのです。それが勇気の決意だったのか、今度姉に聞いて見ます。 楚人の刻舟尋剣のように姉の記憶も推移していることはやむを得ないでしょうが。 10歳も上の姉、そして17も上の義兄は中学を卒える男の子にはすごい大人ですから、苦労しているという理解はできませんでした。 淡雪さんの暖かいコメントで、姉の思い出を聞いてみようと思いました。 義兄の最後は駒込病院の特別室でした。意識は最後までしっかりしていて、問わず語りに(日本語の慣用句ですよ)故国から日本にきて、貿易の事業を起すにいたる話を静かにしてくれました。 死ぬことを悟り、『毎朝、おぅ今日も生きているんだね』なんていうので、中国人の精神性のすごい伝統に家内と日日驚嘆していました。 日本語も日本文化も中国やインド、そして南アジアの方々との関係で展開してきています。 そういう経過が言葉や受け取り方、考え方の端端にしっかり匿われています。 ご紹介のサイトは保存していたと思いましたが、保存URLを今、探したのですが見つかりませんでした。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/databsmn.htmはあったのですが。 多分このサイトからもご紹介のサイトにいけるのでしょうが、行き方がわからなかったので教えていただいてとてもありがたいです。 そうなんです中国の発音は真似できないです。 文法は仰せのように複雑ではないのかもしれませんね。 むしろ一つの文化で塗りつぶされ、島国で独特の共通の思考形式で独特の感性を持ってきている日本語の方が、本当は難しいのかもしれませんね。 有り難う御座いました。ここでこういう友人ができた今年を嬉しく存じます。 ともに健康と無事を祈りつつ。
お礼
krya1998さん、度々ありがとうございます。浅草にも空襲があったのでしょうか。知りませんでした。義兄さんとの思い出はいつまでも心の奥に残り、大切にしておられますね。http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/databsmn.htmのページの一番下の「TOPトップ」という箇所を押したら、私の紹介するページに辿り着くことができます。私も日本の友人ができて大変嬉しいです。日本と日本語にとても興味があります。学校の勉強はもう終わりましたが、まだ勉強し続けたい気持ちが強いです。これからもよろしくお願いいたします。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.12における補足コメント:『東京の“ぼく”ちゃん』意味をせつめいされたい:にお応えして: 感覚的に通じ合ってしまう表現(言語、島国で一体的文化を育んできた日本ではそういうことが特に多いのですが)について、改まって説明するのはじんどいものです。 こういうことは随筆などで四方山の話で語るべき性格性のものです。 日本と日本語に慣れていただくことで、語の感覚的意味について更にご理解ができてくると思いますが、一応、外郭的意味(事柄)を申し上げます。 単に、【子どもっぽくに見られた】という事ではありません。 無論、“子どもっぽい”という様態を含意してはいますが。 今は相当辺鄙なところも、テレビもあるし、電話や新聞、そして交通も便利になってきている。 しかし私の青年期を迎えた60年前に出会った、東北などから進学や就職で出てきている青年たちは、言葉も地理も不案内であるし、知人や頼るものもない。 私みたいな浅草とはいえ東京生まれで東京育ち、そして一歩も外に出て生活をしたことない苦労知らずの同年のものが“ぼく”なんて自己指示の呼称をしていると、『ふん、離乳(ちちばなれ)をしていない“ぼくちゃん”だ』と片腹痛くおもうわけです。 幼い子を呼ぶ時や指示呼称するとき、『まぁちゃん』とか『ようこさん』とかいいます。 そして男の子には往々にして、『はぃ、これがぼくちゃんの分よ』とかいいます。 そういう使用場面を頭においての、地元にいて苦労知らずの『“ぼくちゃん”だなぁ。年からいってもぼくちゃんではなかろう。』という批判の表現がこの“東京のぼくちゃん”です。 無論、友人同士ですし、“ぼく”という自己指示呼称は通用しているのですから、私に対して直接、投げかけた皮肉と批判のことばではありません。 場面は大学の授業で、教授が“ぼくは、・・・”といったときに、彼は『いい年して何が“僕”だ、所詮東京の“ぼくちゃん”じゃなぁ』と漏らしたのです。 言語のイントネーションや語尾とか言い回しで、どう慣れても出身ちや生まれ育った場所はわかってしまいます。 東京生まれで東京育ちの私は東京の言葉に敏感ではありませんが、東北や茨城、栃木、関西などは直ぐにわかります。九州もわかります。 私たちは、最近まで、火鉢(しばち)、質屋(ひちや:これはもう漢字変換が出来なくて、そうか“しちや”かと、最近、理解しました)、広い通り(しろい通り)など区別が付けられず、それで通じ合ってきました。 友人が東京に来太日、道を聞いたら『ずぅっといくとね、広い(しろいと発音する)通りにでるからさぁ、・・・』と教えられて、白い通りを探して歩いた、という。 私たちは馬鹿馬鹿しいと思うが、そういうことです。 12上の親代わりの姉。1951年、中国の青年と結婚しました。 日本の大学を出て、貿易をしたいました。 姉は旧財閥系の貿易会社に語学の仕事で勤務していました。 小学校、中学校、そして高校と姉夫婦に世話になりました。兄は“うち”と自分を呼称していました。 時には僕です。 自己自身も、そして相手の指示もあまり際立って指示したり、呼称しないという傾向が日本語にはあります。 兄もどういうわけか、いつの間にかそんな会話感覚で、余り“自分”をわざわざ触れないで会話していました。 中国人は日本語も中国語もできてうらやましい。 5年くらい前に兄は86でなくなり、分骨に姉一家と兄の郷里に行きました。 そのときの私の感想は、何か日本のどこかの田舎にいったみたいな気持ちでした。 82の姉は兄の田舎の人との付き合いなどで、今、中国語を勉強しています。 詩や歌が“素敵だ”なんていっているが、漢詩は日本語でしか、私は鑑賞できない。 でも中国語は勉強したい。やはり文化と心性、思想を翻訳ではなく触れたい。
お礼
明けましておめでとうございます。ご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 『東京の「ぼく」ちゃん』についてご親切に教えていただき誠にありがとうございます。よくわかるようになりました。50年前に中国人と縁を結ぶことは相当勇気がいりますね。お姉さんもきっといろいろ苦労をされたと思います。尊敬いたします。私は日本語を勉強すればするほど中国とのつながりを感じています。次のサイトはとてもいい漢詩鑑賞のサイトです。私はときどき漢詩の日本語訳を読みたくて見ています。おすすめいたします。http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm中国語の文法はそんなに難しくありません。主語+述語+目的語のような基本的な構造です。発音のほうが日本の方にとって少し難しいかもしれません。要するに、楽しく勉強するのは一番いいと思います。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
自己指示の代名詞は自己をどう生きているかを主張する側面があります。 無論、二人称の表示語の選択も、相手との関係の認識を表示します。 私も幼いときは、近所(東京・浅草)の仲間と同じに俺という語で通していましたが、母が“僕”にしなさいというので学齢前に“僕”に変えました。 就職して東北などなどから単身で東京に勉強や就職で来ている友人達は、『東京の“ぼく”ちゃん』という印象や感想を持っていたのを知り、二十代で“私”に革めました。 使う人のお人柄次第でしょう。ですから誰もが、“あまちゃん”だなぁという印象を与えるものではないでしょう。 “僕”でいく人は自己指示代名詞を相手や場によって言い換える必要はありませんね。 目上にも、目下にも、公的な会議や場面でも“僕”で通せます。 しかし“俺”という語を使う人は、時に応じて“自分”という語に代えている人も居ます。 それは同輩同士の会話の同じ継続の中でも自己指示代名詞の言いかえをしています。 “私”や“僕”を使う人は、そういう必要性も変身もしないで通しています。 私は自己指示代名詞をいろいろ場面ごとに変える事は、自己の変身であり、器用に自己を生きる人で、時としては信用が出来ないようにも思います。 しかし、“俺”でいつでもやっていけというのではありません。やはり“俺”を使う人は時には昔の軍隊のように“自分”という自己指示代名詞を器用に使うことも必要です。 “俺”というのはやはり、職人さんや肉体労働者に多いのかもしれません。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。経験談をお聞かせいただき、大変光栄です。面白いと感じました。大変参考になりました。一箇所意味がよくわからないところがあります。もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>就職して東北などなどから単身で東京に勉強や就職で来ている友人達は、『東京の“ぼく”ちゃん』という印象や感想を持っていたのを知り、二十代で“私”に革めました。 『東京の“ぼく”ちゃん』はどういう意味でしょうか。子どもっぽくに見られたので、「私」にお変えになったのでしょうか。
一人称代名詞の使い分けですね。 【男性の場合】 わたくし:かなり改まった場面で用いる。 わたし:改まった場面で用いる。 ぼく:通常,これを用いる。 おれ:親しい間柄で用いる。 わし:親しい間柄で用いる(年配に限る)。 わい:関西で,主として不良が用いる。 うち:関西で,改まった場面で用いる。 【女性の場合】 わたくし,わたし:男性の場合と同じ あたし:親しい間柄で用いる。 あたい:主として不良が用いる。 うち,わて:関西で用いる。 日本語はこれら以外にもいろいろな一人称代名詞があります。一方,英語は“I”だけなので単純明快ですが,人情味がなく冷たいです。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。このようにたくさんの一人称の言い方があるのは、人情味があり温かいのですね。初めて知りました。本当にありがとうございました。
- kentaulus
- ベストアンサー率60% (1064/1746)
淡雪さん、こんにちは。 男性の場合、 私 わたくし - とても丁寧 私 わたし - 丁寧 僕 - 少し上品 自分 - 普通 俺 - 少し下品 わし - とても下品 女性の場合 私 わたくし - とても丁寧 私 わたし - 普通 あたし - 少し下品 うち - 下品 わて、あたい - とても下品 私は上記のように思っています。 ただし、親が自分の子供に対して使う場合に、 「家(うち)の子」と書く場合も有ります。 同じ「うち」でも字が違います。 仕事では男女とも「わたくし、わたし」を使うのが普通です。
お礼
kentaulusさん、こんにちは。ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
- kk0578
- ベストアンサー率46% (51/109)
個人的な意見では、 俺 ⇒親しい相手(友達や後輩)には使っても大丈夫です。 目上の人(先生や先輩)に使うと、少し気分を害してしまうかもしれません。少々威張った感じがあります。 僕 ⇒基本的に誰に使っても構いません。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- sak_sak
- ベストアンサー率20% (112/548)
プライベートな場面で「僕」を使ったら マザコンで甘えん坊の男性と思われる可能性はあります。 かといって「俺」は最近あまり使われないような気もします。 自信の漲りを感じさせる言葉でもありますが 行動が伴わないとガッカリされるおそれもあります。 あなた(日本語に慣れていない外国人)が使うのなら 発音などですぐにそうだとわかりますから プライベートでは「俺」でも「僕」でも構わないと思います。 日本での生活の中で確立していけば良いですし 相手によって使い分ける必要も出てきます。 無難なところでは「私(わたし)」だと思います。 最近ネットでは「おいら」を見かけますが 一般的な社会生活ではおすすめしません。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
- don9don9
- ベストアンサー率47% (299/624)
皆が皆、同じ使い分け方をしているわけではありませんが 「俺」より「僕」、「僕」より「私」の方が、丁寧で礼儀正しい反面 少しよそよそしい、堅苦しいという印象がありますので フォーマルな場になるほど、相手が目上の人であるほど (つまり、丁寧さ、礼儀正しさが求められるときほど) 「俺」は使われない傾向があります。 ただし、子ども(男の子)に関しては、フォーマルな場であっても 「私」を使うことはあまりなく、「僕」を使うことが多いです。 例えば、私の場合だと ・職場で取引先の人と話すときは「私」のみで「僕」「俺」は失礼なので使わない。 ・職場で上司や先輩と話すときは「私」を使ったり「僕」を使ったりする。 ・職場で後輩や部下と話すときは「俺」を使うことが多い。 ・親戚のおじさんや、義理の兄などと話すときは「僕」を使う。「私」だとよそよそしい。 ・学生時代の友人や、趣味のフットサル仲間と話すときは「俺」を使う。 という感じですね。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。経験談も聞かせていただき大変嬉しいです。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
女性の側から見た俺と僕でもいいですか。 男の人は相手の女性と知り合ったばかりでまだ打ち解けていないとき「僕」 ある程度親しくなったら「俺」 全部が全部ではありません。「僕」という言葉しか使わない人もいます。個人の好みです。 会社内では俺という言葉は使いません。「ぼく」上司には「私」 会社を一歩出ると同僚目下には「おれ」という人もいます。 礼儀を守る時は「ぼく」「わたし」「わたくし」 くだけた場面 なれなれしい間柄、目下の人間にしか「俺」は使わないでしょう。
お礼
女性の側からのご意見ももちろんご歓迎しますよ^^。ご丁寧に教えていただきありがとうございます。ご意見はとても参考になりました。一つ意味がわからない文があります。もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>「ぼく」上司には「私」 この文はどういう意味でしょうか。入力ミスもあるのでしょうか。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「俺」 野性的・乱暴・やんちゃ・教養が少ない・仲間(男)同士・雄としての動物的力を強調・茶目っ気がる・男らしい 「僕」 理性的・普通・大人しい・教養がある・改まった場・社会的男性としての節度を強調・上品ぶっている・女々しい 長所も短所も含め、対応させつつ端的に比較するとこうなるでしょう。 これらの言葉を使う人がこういう性格だ、という意味だけではなく、このような気分のときに、このように(無意識に)使い分けている場合もあります。 「わたし(私)」という表現は、その中間になるでしょう。 ご質問文の内容は問題ありません。 プロフィールの写真はおいしそうですが、何のお料理でしょうか。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。 >プロフィールの写真はおいしそうですが、何のお料理でしょうか。 キムチ鍋です^^;。さらにおいしいところにご案内いたします^^。http://blog.goo.ne.jp/cherry41/e/3a6de96aa2afeaf2769af7faae939709
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お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。よくわかりました。とてもわかりやすいです。面白いと思います。大変参考になりました。本当にありがとうございました。