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なぜ人を殺してはいけないの?

子供に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたとき、 どう答えるのが最良でしょうか。 なおその子供は義務教育(中学校卒業)程度の知識は持っているとします。

みんなの回答

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.29

>このような例を考えると、殺すという行為自体に善悪は無いようにも思えます。 十把一絡げ・・・違うな、味噌も糞も一緒・・・これも違うなぁ。 あなたの挙げた、少女が性的虐待をする父親を殺したのは特殊な例であって一般的では有りません。 非常に稀なケースで人を殺すと言う行為を一括りにするのは無理が有ります。 逆にこれは動物に対してですが殺しても良い(殺さざるを得ない)状況は何でしょう。 私が考えるのは「自分の命が危険になる」のと「生きるために食べる」です。 件の少女の場合は前者が近いと思います。 後者に関しては個人的にはスポーツフィッシング否定派で食べもしない魚の口や体に張りを引掻け引っ張り回した揚句自分だけが楽しんで傷つき疲れた魚をさも慈悲深いようにリリースするのは命に対する冒涜だと思っています。 これを人間に当てはめてみればどうでしょう。 まずは「なぜ人を殺してはいけないのか」ではなく「誰なら殺しても良いのか」から考えてみるのはどうでしょう。

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回答No.28

 なぜこうもみんながみんな、揃って“殺してはいけない”理由ばかりの回答を寄せるんでしょうか。  不思議、不思議。  バランスを欠いてます。アンバランスです。  殺したっていいじゃありませんか。  私を殺そうとしてきた相手には、殺されたくないので抵抗し、反撃して殺します。  そうしなければ更なる攻撃を受ける可能性があるから。生半可な抵抗では自身の身の安全は不確か。安心できない。  子供には、殺されそうになったら殺せ、と教えます。

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noname#123390
noname#123390
回答No.27

日本国憲法に「基本的人権の尊重」というある意味哲学的思想的な考えが述べられています。すべての国民には生きる権利があるということですが、これが法律で殺人者に厳罰を与える根拠になっているのでしょう。 つまり他人を殺すということは、そのひとの生きる権利を強制的に否定することだからやってはいけない、と一応はいえます。 これでだめでしょうか? 日本人でなければいいのかもしれません(戦争の場合など)が、査証を持っている外国人は日本国政府が生命を保証しているということかもしれません。 自殺は自分の生きる権利を否定することだから、かってにどうぞ、といえるのかもしれませんが、自殺幇助という罪もありますし、他人が自殺に手を出すのも、権利侵害ということなのかもしれません。 宗教によっては、生命は自分だけのもではない、あるいは神が与えたものだから死ぬのは罪だ、という場合もあります。

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  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2909)
回答No.26

「その人の自由を奪うことだから」です。 生きるのも自由、死ぬのも自由。 でも殺されたら自殺する自由も奪われてしまうから。

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noname#122035
noname#122035
回答No.25

最良の答えなどないので、何も答える必要はないですよ。

shirokujira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者が言うように、理想的な唯一の回答はないかもしれません。 しかし、その理想に近づくことはできると思うし、そのための努力が払われる価値があると考えています。というのは、この質問の回答が人間の行動に影響を与えると考えられるからです。 先に記したように、私は人間の行動は「価値観」に支配されているように感じています(例えば、定食屋でメニューを選ぶとき、A定食よりB定食のほうがおいしそうと思えばそちらを選ぶでしょう。このときA定食よりB定食のほうに大きな価値を見出しているわけです)。そして人間もまた価値を測られる対象になります。 殺すという行為は、ある人がある人の価値を著しく低く見積もったときに起こされる行動であると思います。しかし人それぞれの価値は定食のように明確に決めることはできず、このように低く見積もる場合も残念ながらあるのです。 この質問に対する回答は、完全に明確とは言わないまでも、人の価値をある程度明確にする助けになるはずです。このことは、近年良くある通り魔的な殺人のように、安易に殺人の起きない社会を作る手助けにもなると考えています。

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回答No.24

その子に銃を持たせ、使い方を教える。 銃を持たせたまま、目の前でその子の母親を殺す。 その子は、人を殺すべきか、殺してはいけないのかを学ぶ。

shirokujira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 この方法が法に触れるということは別にして、この方法で子供は人を殺して良いか悪いかを学べるでしょうか。私が子供の立場だったら自分の母親を殺したあなたを殺すかもしれません。そしてそのことに後悔することはないと思います。

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回答No.23

 こんにちは。  相手の子どもが何らかの極端な考え方をしていないなら――というよりも考えがとぼしいのでないなら つまりは思ったことを何の考えもなくそのまま実行に移すといった傾きを持たないなら――  そしてわたしとの関係が或る程度には深いものであるなら――ということは 見ず知らずの相手であるなら 時間をかけて知り合いになったあとでなら という意味ですが――  ○ ひとは自分も他人もひとをころさないものなんだよ。  ○ ただしひとは かなしいかな 考えや思いが移ろいゆき変わりゆくというようにも成っていて 自分や相手との間(間合い)をずらしてしまうことがある。この間の違いによって かなしいかな ひとをころすことを考えてしまうことがあり 果てはそれを実行してしまうことがある。だから そのためには世の中の常識として《ひとをころしてはいけません》というふうに掟を持つように成っているんだ。  ○ ・・・  ☆ といったふうに話し始めます。 

shirokujira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃっていることはわかりますが、中学校卒業程度の子供であれば、人を殺してはいけない掟があることは知っているはずです。 私がその子供だったら、なぜその掟を守らなくてはならないのか、掟を破る必要がある場合もあるんじゃないのか、といった疑問がわいてきますが、そういった疑問についてはどうご解答されますか?

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  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.22

 良くある議論ですね、やはりすごく多くの回答があるようですが。 私が仮に聞かれて答えるとするならまずは、「いけないとおもうか、いいと思うか」を本人に考えさせます。「じゃあ、人を殺してもいいとおもうの?」とでも聞き返してみますかね。いいといえば、反論を、良くないといえば、こういう場合は?どうなのとつづけていきますか。 質問にいろいろな論理でこたえることは可能でしょう。そういう仕組みだとか、「目には目を、、、」ってのが良くないとか。ですが、結局それで納得するかどうかなんてわからないのですよ。 「屁理屈」って言葉がありますよね。要するに「詭弁」のようなものですが、それでも一応筋がとおってるものもあるんですよ。ただ、「屁理屈」だとすると、それをいくら言ったところで説得力がないんですね。だって、本人が納得する気がないから。つまり、そうでないと信じてやまないからです。 子供にとって、「人を殺してもいいか」という問いの真意はわかりません。ですが、ひとつだけはっきりしているのは「人を殺してもいい、と思うような人になってほしくない」ということです。理由は「屁理屈」だろうが「そんなの知るか、いけないものはいけないんだ」と思おうがなんだって構いません。要するに「いけない」ということがある。「人が人を殺すことは悲しいことなんだ」ということを理解してほしいのです。それは、説明でわかるもんではなくて、感じとってもらう(悟ってもらうというのにちかいか)ものだと思うからです。その上で、倫理学的な根拠に興味を持つならば多いに議論してあげたいとはおもいますけどね。 「命はお金で買えない」とか「医者が患者の優越をつけてはいけない」とか、倫理上タブーとされていることって、論理でできそうでできないものって多いんですよね。もちろん、自由な意思の元で議論したり、学問するならば、一般的に納得のいく論理展開はあるでしょう。同時に反論も可能でしょう。ただ、それでは本質的な何かをみうしなってしまうようなきがするのです。倫理的な基盤といいますか、そういうものを敬う気持ち、「結局わからないけど、僕/私はいやだ」そういうものを感じ取ってほしいからです。人なんだから、そういう直感を大切にした上で論理的な議論をしてほしいとおもいます。 自分の子供であろうがなかろうが、「人を殺すようなひとではなくて、困っている人がいたら手を差し伸べてあげたい」と思えるような人に成長してほしい。それに共感できる人になってほしい。それで十分なのではないか、いやそれが前提なのではないか、ということです。 

shirokujira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者は「殺していいと思うか」とまず子供に聞き、いいといえば反論すると書いていますが、私はその反論をぜひお聞きしたいです。子供が納得するかわからないなどといわずに、納得させるための反論をするべきだと思います。 また、「人を殺してもいい、と思うような人になってほしくない」というのは回答者の(また多くの親の)「希望」であって、子供がそのとおりに育ってくれる保証はどこにもありあせん。多くの子供は成長の過程で社会に「人を殺してはいけないルール」が存在することすることに気づくでしょうが、そのルールの重要性、存在意義についてまで気づくでしょうか(これに気づかなければこの「ルール」自体を軽視してしまいかねない)。この質問はまさにこのことについての解答を求めています。 回答者が「困っている人がいたら手を差し伸べてあげたい」と思えるような人であるならば、この難問に突き当たった子供にどのように手を差し伸べてあげますか?

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.21

子供に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたとき、どう答えるのが最良でしょうか。 なおその子供は義務教育(中学校卒業)程度の知識は持っているとします。 ○ 人を殺すことは同時に自分自身を殺すことなのです。 おのおのの目には他人に見える存在、自分とは違って見える存在でしょうが、実は根は同じなのですね。 一本の枝についた無数の葉の一つ一つが各々なのですね。一つの葉が他を傷つけたり殺したりすることはつまり自分の小枝を傷つけたり殺したりしているのですね。 この例ではピンとこないかも知れませんね。例えば、空気が船上のポンプからチューブを通して送られる潜水服を着て海中で働いている存在としてみましょう。複数の人が同じ空気を吸って働いている場合、一人が他を殺そうと空気チューブを切れば、あるいは他の潜水服を傷つければ同じ空気を吸っている自分も空気が無くなって死にますね。 ・・他人を殺しても俺は生きているじゃないかというかもしれませんが、潜水服の例えであれば、確かにあなたの潜水服が壊れたわけではないのですね。潜水服の中にいるあなたは死んでいるということなのです。 これが説明ですが、一般的には心ではなく物理的な人生が壊れるといいますね。人を殺せば当然罰せられますので人生も死にますね。でも人生は80年そこそこですが心の死は恐ろしく長いのですね。それに耐えられる人はいまだかっていないということなのですね。 ・・・まあ、そんなところですかね。 参考程度に

shirokujira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者の言う例えが、#14さんの言う「人類は社会生命」であるからということでしたら、わたしも賛成です。 ですが、人とのつながりの強さは(数字では表せませんが)人によって千差万別のようにも思われます。例えば先に記した身寄りのないホームレスの方々の場合などは、社会において孤立しているとも言えます。このような方々も「社会生命」に含まれるのでしょうか。

shirokujira
質問者

補足

だいぶ回答数が増えてきました。 こちらの時間的な関係上、 お礼が遅くなることをお許しください。

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  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.20

殺す理由や殺される理由のほうがずっと問題である、と答える。 金銭欲、情欲、異常心理(快楽、解離)、自己防衛、復讐、戦争、国際政治、経済などについて学ぶ機会とする。 この延長にあるだろう人間の主体的行動、人間の意思と自由、人間の真の尊厳について、わたしも答えを持っていない、という意味が通じる子供ならそのように言う。

shirokujira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 殺すという行為自体よりも、その理由のほうが問題であるという 回答者の意見にはわたしも賛成できます。 しかしこの回答は、「なぜ人を殺してはいけないの?」という 子供の質問の回答にはなっていないと思います。 問題がすり替わっただけではないでしょうか。

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