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戦後の日本 ってあんな酷い状態だったのに今は凄い発展していますよね

戦後の日本 ってあんな酷い状態だったのに今は凄い発展していますよね それってアメリカのおかげですか? どんな感じで日本がこんなに発展したのか教えて下さい!

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  • cyototu
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回答No.9

アメリカの影響が一番重要だったのは、アメリカと、中国ソ連が、朝鮮で戦争をやってくれた事でしょう。所謂、朝鮮戦争特需ですね。戦争では車や戦車や大砲なの兵器はは直ぐ壊れてしまう、それをアメリカまで運んで直している間が無かった。だから、日本で直したんですね。これで一気に戦前並みの経済力を回復することが出来た。もし朝鮮戦争が無かったら、復興には何倍も時間がかかったと思います。 そもそも日本は明治維新から50年もしないうちに、アメリカの助けを借りずに、国際連盟の理事国にまでなれた国です。何故なら、日本では江戸時代に外国から教わることなく、多くの技術的な下地が出来ていたのです。例えば、江戸時代までは時間の数え方は昼と夜をそれぞれ6等分することになっていたので、季節によって昼と夜で時計の進み方が違っていまいした。それを、江戸時代の中頃には浪板式尺時計と呼ばれる、コンピューターチップなしで自動的に季節による変化に合わせしまう時計まで作っています。開国の直後は、勉学の若い留学生ばかりでなく、多くの日本の時計師が欧米に派遣され、欧米の機械を勉強して来たのです。彼等は白紙で行ったのではなく、既に時計師の技術屋としての訓練を受けた後で留学していたのです。だから、あっという間に機械の本質を理解出来ました。 戦国時代の堺の町では、外国に教わる事なく現在の銀行制度の殆どを完成させています。冗談に、堺ではクレジットカード以外の全ての銀行制度が既に完備していた。何故クレジットカードがなかったかと言うと、その頃はまだプラスチックがなかったからだと言われています。要するに、日本が西洋に開国した時には、西洋から何か新しい事を教わった訳ではなく、日本に既にある物と西洋にある物との間の翻訳作業があっただけなのです。だから、維新後たった50年足らずで、西洋の列強と簡単に肩を並べることが出来たのです。ただ単に勤勉だったからと言うのでは、ほかの非西洋国家にも幾らでも勤勉な国民がいるので、そんな上っ面だけでは、非西洋国で日本だけが戦前も戦後も短い期間で驚異的な発展が遂げられた理由なんか説明出来ませんね。 もともと、日本は鎌倉幕府以降数百年に渡って軍事政権でした。すなわち、朝鮮のようなシビリアンコントロールの国ではなかった。このことが、日本にどれだけ幸運をもたらしたか計り知れません。軍人達は技術の重要性を骨の髄まで理解している。だから、日本では鎌倉幕府以来の長い間に技術を高度に進歩させていました。さらに、軍人達は列強の軍事的な恐ろしさを体で感じることが出来た。だから、それを体で感じることが出来なかったシビリアンの国の朝鮮のように列強に飲み込まれてしまうことなく、独立を守ることが出来た。 このように、日本の長い歴史的な経緯から、工業技術や資本主義の根幹である銀行制度などがとっくに西洋のレベルに達していた事、それに、幸運にも隣国で戦争が起こって特需が起こった事、そんな土壌と幸運が複雑に絡んで、既に戦前でもアメリカの助けを借りずに驚異的な発展があったのです。 確かに戦前には朝鮮戦争のような特需はありませんでしたが、それに似た幸運があったのです。戦前の欧米の列強は軍事的に属国に出来なくても、近代化にかこつけてその国に金を貸し、借金付けにして実質属国にする手があります。現在のアフリカなんて好例ですね。近代化の名目で借りた金で欧米の古い機械を買わせる。しかし、そんな古い機械で欧米並みの製品が出来る訳が無い。だから、幾ら近代化しようとしてもその製品を欧米に売って借金を返すことが出来ない。だから、皆失敗してしまうのです。ところが、日本は借金を返しきれたのですよ。でも、それは欧米から買った機械のお陰ではなかった。明治の初期に日本は独自の技術で、世界で最も高質な絹を生産することが出来ていた。その当時それに匹敵する絹を生産出来るのはミラノを中心にした北イタリヤだけだったのです。ところが、日本が絹を輸出し始めた頃に、イタリヤでカイコのウイルスが流行って、イタリヤのカイコが全滅してしまったのです。ですから、高質な絹の生産は日本が独壇場になった。まあ、これも他人の不幸でいきなり需要が増えたんだから、朝鮮戦争に匹敵する特需だったんですね。そんな幸運があったので、日本は西洋技術の助けを借りずに借金を返しきれたのです。そして、他の非西洋国には無かったその金銭的な余裕を西洋から輸入した技術の咀嚼につぎ込み、西洋の機械を凌駕する技術を戦前から開発していたのです。 だから、日本が驚異的に発展できた本質は、軍事国家であったこと、江戸時代までに社会的にも技術的にも十分進歩していたと言う歴史的な理由があったこと、それにイタリヤや朝鮮の例のように他国の不運を日本の幸運に代えるとが出来た運の良さにあったのです。

その他の回答 (9)

noname#125540
noname#125540
回答No.10

アメリカの影響はあったでしょうが、戦前の日本も、既にそれなりの文化や技術、教育があったのです。 都会の映画館じゃ西洋の映画も上映していたし、ダンスホールもあったし、ジャズも聴けたし。 英語他、外国語の出来るインテリもいたし、各国に日本大使館があったし、エリートやお金持ちの子女は海外留学してました。 戦時中だけああだったというわけで、土台はあったのでしょう。

  • nishikasai
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回答No.8

>それってアメリカのおかげですか? アメリカの援助はありました。大きかったです。第二次大戦終了直後のアメリカの国力は凄かったです。王様と乞食みたいな違いでした。しかしながら日本が回復したのはそれ以外にも理由があります。 1.日本人がもともと勤勉で戦後の貧乏から這い上がろうと馬車馬のように働いた。 2.日本人の平均的教育レベルが高かった。日本の軍隊は下士官と兵士は世界最高と言われていました。教育程度が高かったんです。 3.平和憲法があったので軍備にお金を使うことが少なく、戦争もしておらず経済だけにお金を使えた。

  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.7

 戦後の日本のあんなに酷い状態というのは、物質的環境のほうです。  しかし、戦火では破壊されない環境もあります。たとえば教育水準、社会制度、家族や地域のつながり、勤労意欲などです。これら経済発展の基礎となる無形の資産はソーシャル・キャピタルと呼ばれていますが、この種の蓄積は失われませんでした。  いくらアメリカが資金や物資で支援しても、ソーシャル・キャピタルが充分でない国々での経済発展は遅れがちでした。  また、敗戦によって市民生活の向上を妨げてきた時代遅れの慣習や制度が崩壊し、有能で野心的な事業家が活躍する素地が生まれたことも見逃せません。  物質的に反映しているように見える現代は、世襲制度の復活や格差の拡大、あるいはコミュニティの解体を通じてソーシャル・キャピタルが陳腐化し、社会の活力が失われています。

  • sotom
  • ベストアンサー率15% (698/4465)
回答No.6

国防・軍事面をアメリカに受け持ってもらい、戦争による特需もあって 日本は経済を発展させました。これを日本の自力と考えるのはおかしいです。 全てはアメリカの国益に適っていたわけですね。

  • mariocec
  • ベストアンサー率28% (15/53)
回答No.5

勿論アメリカが復興に寄与したのは間違いありません。 それもロシアの南下政策に対抗する必要があったというのは大きな動機です。 ですから共産主義の防波堤としてアメリカにとって日本は重要だったと思います。 そんな世界的な政治のバランスの上に対日政策は構築されたと思います。 一方で日本人の勤勉さを抜きにしてこれを語る事は出来ないと思います。 幾らアメリカが日本に肩入れをしたとしてもそれだけで日本は経済的にのし上がる事は 出来ず日本人の豊かな能力があったからこそ成し遂げられた発展でした。 けれど、経済発展だけでは片手落ちで、国際政治的にもしっかりした考えを持って 行かねばいつまで経っても「すごい発展」とも言えないと個人的には思っております。

回答No.4

えーと、ガロリアエロアっていうのが、あったんだで、 なんだか知らないけど、おいしそうでちゅ、 By hamutaro

  • yoshi1349
  • ベストアンサー率13% (91/673)
回答No.3

良いも悪いもアメリカですね、、、それに被爆の国は日本しかないので。

  • yoshi1349
  • ベストアンサー率13% (91/673)
回答No.2

良いも悪いもアメリカですね、、、それに被爆の国は日本しらないので。

  • YUNAS
  • ベストアンサー率27% (113/411)
回答No.1

 アメリカのGHQの指導等もあったと思いますが、日本人はそこまで頑張ってきたからではないですか?

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