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日本の戦後の経済成長

僕は日本がこれほど成長できたのはアメリカのおかげだと思っています。ただ、そもそも日本はアメリカに負けたはずなのに、なぜアメリカはここまで日本を成長させてくれたのでしょうか? 昔、日本が韓国や中国に行った扱いとあまりにも違うのでわかりません。 どなたか、教えてください。

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  • aimaina
  • ベストアンサー率48% (70/143)
回答No.8

他の方の答と重なりますが。 1.アメリカに占領されその後自由主義陣営の道を歩んだ国と、ソ連に占領されその後社会主義陣営の道を歩んだ国とでは、西ドイツと東ドイツ、韓国と北朝鮮を見るように、違いは明らかです。 その意味で「アメリカのおかげ」というのは正しいです。これには、 (1)アメリカの経済支援 だけでなく、 (2)自由主義、市場経済システムが社会主義など他の政治経済システムより優れていた ということもあるでしょう。 経済支援ということでは、ソ連も、東欧や中国(対立する前まで)、ベトナム、キューバなどに、それなりにしてはいました。弾圧もしましたが。 2.とはいえ、アメリカに支援された国がすべて日本のように発展したわけではありません。中南米の国のほとんどはアメリカから多大な支援を受けたにもかかわらず、経済は不安定で、いまだ開発途上国のままです。 日本が復興し発展した最大の要因は、あたりまえですが、日本人自身の力(高い教育水準、勤勉性など)です。 それに加えて、戦後の経済民主化*、欧米からの技術の導入*、戦後平和が続き*、日本に決定的に欠けていた石油など原材料や食料*を安く輸入できたこと、朝鮮特需*など好条件が重なりました。(*印はアメリカに関係してますから、アメリカの力はやはり大きい!) 3.アメリカは、日本だけを特別に応援してくれたのではありません。 第1次大戦で敗戦国ドイツに過酷な賠償金を課し、それがナチスの台頭を招いたとの反省に立ち、第2次大戦後、戦勝国アメリカはドイツや日本にガリオア・エロア基金などで食料確保や経済復興を助けました。 さらには、他の方も答えてますが、その後は共産主義陣営に対抗するというアメリカ自身の利益目的も加わりました。

その他の回答 (7)

  • sudacyu
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回答No.7

 全く違う視点からの、要因をひとつだけ参考までに。  アメリカと言う巨大な大陸国家の場合、人や技術と言うものは一国として動けるのですが、鉄や大型生産設備・化学原料などの移動は特殊な要因があるのです。  アメリカの政治・経済の中心である東海岸と、もうひとつの軍事・経済の中心である西海岸との間の、このような物資の移動について、大陸横断鉄道による長大な貨物列車、コンボイと呼ばれる巨大トレーラーを使って物資移動を行っていますが、やはり陸上輸送はコスト高なのです。  日本からアメリカ西海岸まで、巨大船で物資を輸送するのと、アメリカ東海岸から西海岸まで、パナマ運河経由で海上輸送するのと、鉄道・トラックによる大陸横断輸送をする場合とを比較すると、『重厚長大』なものは、日本からアメリカ西海岸に輸送する方が、同じアメリカ国内でも東海岸から輸送するより安いのです。 (同様に、西海岸から東海岸に輸送するより、ヨーロッパから東海岸に輸送する方が安い。)  つまり、アメリカの重要な経済地帯である西海岸が発展すると、日本もその恩恵を受けるという形になります。  多くの要因の一つでしかありませんが、見落としがちの割りに重要な要因なので、ピックアップしました。

  • komimasaH
  • ベストアンサー率16% (179/1067)
回答No.6

共産主義国である、ソ連、中国に対する防波堤としての戦略的重要性が日本にあったということでは。 マーシャルプラン、ガリオアエロアなどの経済支援があったことが直接の復興要因でしょう。 また、団塊の世代ではなく、その一世代前の戦中派が死に物狂いでがんばったからでしょう。 団塊の世代は自分たちのおかげだと勘違いしていますが。

  • omeger
  • ベストアンサー率66% (204/306)
回答No.5

こういった見解は政治感によって隔たりがあると思いますが、私はGHQ側の意図した目的とその帰結は全く違ったものになったと考えます。 アメリカにとって日本は決して特別な存在ではないわけで、世界第二の経済大国にまでする意図があったわけではないはず。 (1)農地改革 意図:軍国主義を牽引した(とされる)寄生地主の排除 帰結:経済格差大幅低下。強引な手法に反発もあるが、とりあえず戦後の経済社会に大きく影響した。 (2)財閥解体 意図:軍国主義に加担した過度の産業集中を是正する 帰結:自由競争の促進 (3)平和主義 意図:日本の非軍事化 帰結:経済効果低い歳出(防衛予算)の大幅削減 (4)朝鮮特需 意図:安価で速い戦時物質の調達 帰結:工業復興の一因に 経済発展の原因が何かということは簡単には結論付けられません。 しかし、 (a)高度成長期までの日本は海外資本の受け入れは非常に少なく、アメリカ式経営とは異なるスタイルの国内資本で完結されていた。アメリカ政府が国内企業を対日進出させて近代化したわけではない。 (b)日本の高度成長期において、民間セクターによる欧米からの技術導入は重要であった。しかし今日の中国ほど輸出産業が独走する形で発展したわけではなく、国内投資・消費が牽引して成長を達成していた。 という前提を置くと、 (i)アメリカは戦後日本の成長を妨害しなかった とまでは言えても (ii)アメリカの成長計画に従って発展した わけではないと私は考えます。

  • hirosi3
  • ベストアンサー率50% (72/143)
回答No.4

 ●ヨーロッパ諸国に比べて自由経済だった●  第2次大戦後のアメリカの経済援助は日本だけではなく、ヨーロッパ諸国でも大きな影響力を持った。ドイツ、フランスを中心にヨーロッパ6か国による「欧州石炭鉄鋼共同体」はアメリカのマーシャルプランの資金によって機能した。フランスもイギリスも左翼政党が政権を握り、企業が次々と国営化された。ドイツではフォルクスワーゲンはその株式の20%を国家が、20%を州政府が持っていた。アメリカの経済援助は、対ソ連の関係もあり、日本よりもヨーロッパの方が積極的だった。  戦後の国家経済の中心は、石炭と鉄鋼であった。フランスとドイツは「欧州石炭鉄鋼共同体」という超国家国営企業が中心であり、イギリスの鉄鋼業は政権交代毎に国営⇒民営⇒国営⇒民営ともてあそばれた。石炭は強力な労働組合によるアナルコサンディカリズムがサッチャー政権まで続いた。  フランスでは、戦後のリーダー、ジャン・モネが「フランスは市場経済には耐えられない、国家が中心になるべきだ」と主張し、資本主義と社会主義を混ぜ合わせた「混合経済」を選択した。  ドイツはエアハルトの経済政策である「社会的市場経済」という、これもまた資本主義と社会主義を混ぜ合わせた経済政策を選択した。  イギリスは「ゆりかごから墓場まで」というスローガンで知られる、労働党の主張「ベヴァリッジ・プラン」というソ連とは少し違う社会主義経済を選択した。  日本では戦後の経済復興を引っ張った鉄鋼は、西山弥太郎という「官に逆らった経営者」によって勢いづき、世界のトップに躍り出た。  戦後、日本経済の成長に関しては広い視野で見て下さい。(1)アメリカは日本以上にヨーロッパの経済復興に力を注いだ。(2)戦後復興政策ヨーロッパは社会主義経済であった。 (3)「日本株式会社」と表現する人もいるが、日本には「官に逆らった経営者」が戦後経済を引っ張った、自由経済であった。

回答No.3

終戦後は食べ物がなく主食はまずい芋(家畜用の芋)だったんです。芋のつるまで食べ、御飯(白米)なんて夢の夢!今では懐かしくも悲しい思い出です。衣類はつぎはぎだらけの洋服を多くの人は着てました。~今の北朝鮮の映像を観るとそっくりです~ 前の回答者も書いてますが朝鮮戦争が始まると景気がよくなっていくのは子供でも分かりました。しかし皆低賃金で良く働きました!自慢ではありません。また今より希望もありました。働いて美味しい物たらふく食べて・・・ たわいない夢でもとにかくガムシャラに大人は働いてました。 就職し初任給は安かったがしばらく経つとドンドン昇給しボーナスも驚く位貰える時代がきたんです。結果よく働く!大規模なストライキも良くありました。賃上げのストライキなんです。時代背景が全く今とは違ってたんです。大規模ストライキなんて聞かなくなりました。当然落ちこぼれの人達も出ましたが、働く意欲があれば働き口には困らなかったんです。 アメリカもそれなりに援助はしてくれましたが基本は低賃金で皆良く働いたから復興も早かったんです。東南アジアを見渡しても良く分かるでしょう。 ~日本民族は何処か底力があるんだと信じたいです~

  • gootttt
  • ベストアンサー率61% (191/309)
回答No.2

戦勝国が敗戦国の面倒を見ないと余計酷い事になるという潮流はWW1の頃からありました(WW1後のドイツの教訓があり)。それらに加えアメリカが日本やドイツの復興を手伝ったのは社会主義国と対決する為です。 終戦当時のアメリカの日本占領方針は 1.国際経済から隔離し農業国へ 2.軍備を揃えるための重工業を規制し軽工業国にする 3.飛行機などの幾つかの産業のみを規制し後は自由にやらせる という三種類の方針が考えられていたそうです。終戦直後の政策はどちらかというと2でした。しかし、WW2後米ソの対立は日ごとに激しくなりました。欧州ではソ連は自分が占領した国々を次々と社会主義国へ転向させていましたし、アジアでは国民党が共産党に敗れるのは時間の問題になってきました。 このように、資本主義陣営にとって社会主義は現実的な脅威だったので、資本主義国はいち早く復興をすることにより資本主義のほうが社会主義よりも優れているという事を世に示す必要と、更に軍事的な防壁としても日本はアジア防衛の拠点にする必要が生まれ、その為には経済力をある程度つけてもらう必要があったわけです。 このようにして、アメリカの占領政策の目的は非軍事化(工業力の解体含む)→経済復興に移ったわけです。

  • akira-45
  • ベストアンサー率15% (539/3495)
回答No.1

昔、大学の経済学で習ったのですが、アメリカの本土爆撃は工業地帯は主だったのですが、復興が早かったのです。朝鮮戦争の軍需特需はさらに工業成長を後押ししました。 こんな感じです。

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