いいえ、今でも漢字は日本の発展に本質的に重要な役割を演じているのに、最近ではカタカナ文字が氾濫してしまい、日本の発展に障害になりつつあります。なぜ漢字が日本の発展に重要で、カタカナが良くないかの説明を以下にします。
漢字には仮名やアルファベットにはない、「意味の透明性」と言うのがあります。それは一度漢字を覚えていしまったら、素人でも難しい専門用語を理解することがでるということです。以下に幾つかその例を並べてみますが、多分質問者さんはその意味を全部判ると思います。以下の括弧の中にアルファベットで書いた同じ意味の専門用語を載せておきますが、専門用語は主にラテン語で書かれているので、欧米では専門家以外は先ず判りません。私はアメリカに住んでいますが、以下の表で約50個程の言葉が載っている物を、日本人の高校生に見せたら、ほとんどの方が、何となくその意味が判るのですが、それをアメリカ人の博士課程の大学院生に見せたら、ほとんどの方には何のことだか見当がつかず、せいぜい20%位分かっただけです。
閉所恐怖症(caustrophobia), 耳鼻科(otorhinology), 地震計(seismograph), 盗癖(kleptomania), 鳥類学(ornithology), 眼科( ophthalomology), 貧血(anemic), 産科(obsterics), 魚類学(ichthyology), 乳酸菌(lactobacillus)
このように漢字に書いてしまうと、素人でもその意味が判ってしまうので、日本では西洋のように知識人たちが知識を独占することが出来ないようになっております。そのお陰で、日本人は普通の巷の人でも、世界的に見て大変教養が高いのです。例えばこれを、「じびか」だとか「がんか」あるいは、「ヘイショキョウフショウ」などと全てひらがなやカタカナだけで書いてしまうと、特に新しい言葉は何の意味か素人に分からなくなって、西洋人のように知識人に知識を独占されてしまうことになってしまいます。その結果、「インセンティブ」や「マニフェスト」が判らない奴は馬鹿だなどという馬鹿な連中が出てきてしまいます。このように、カナやアルファベットは大変不透明な言葉なのです。それに対して漢字は、すごく民主的で透明な文字なのですね。
また、漢字と仮名を混ぜて使う書き言葉の表現は、人類史の中でも稀で特異な方法です。その結果、日本人は日本人以外には出来ない思考の次元を持っています。たとえば他の民族が3次元の世界に住んでいるのなら、日本人はもう1次元多い4次元の世界に住んでいるようなものです。ですから、他の民族には見えない物、あるいは思いもつかない物を日本人が見いだすことが出来る可能性を持っているわけです。したがって日本人のこの特異性は人類の多様性や豊かさの一例であり、人類の財産として掛け替えの無い物です。
今までのところ、指導者として特別に教育を受けた連中ではない一般の日本人の知的水準が、世界的に見て大変高く評価されている理由の大変大きな部分を、この漢字の意味の透明性と漢字と仮名の併用が担っていることがお判りでしょう。
韓国のハングル文字のように漢字を追放してしまい、長い歴史の中で自分たちの先人達のが血の涙を流して手に入れてきた智慧を、翻訳無しには読めないようにしてしまったり、あるいはアルファベットだけしか使わない、その他大勢の国のようにならないためにも、漢字は是非必要なのです。ところが、最近ではカタカナ語が多過ぎて、日本人の一般的知的水準を押し下げておりますね。
日本語はその構造上、発音の種類が人類の中で極端に少ない言葉です。従って外国語を一旦カタカナに変えてしまうと、もとの国の人にはまず通じません。例えば、マクドナルド、カリフォルニア、ボストン、オースチン、モンゴメリーワード、ガレージ、ドル、ウッド(木)、グラス(単葉植物)、どれもこれもアメリカ人にもイギリス人にも通じません。ですから、カタカナ語を使ったからと言って、日本人は外国語を学んだことにはなっておりません。一旦カタカナに直したら、それは日本語だと思っていた方が間違いありません。
このように、貴方が考えているのとは反対に、漢字を使わなくなりカタカナが氾濫していることで、高度な知識がごく一部の知識人達に独占されてしまい、戦後60年経って、いよいよ日本の発展の障害になり始めているようです。
貴方が言うように、漢字と仮名を混ぜて書くという、こんな大切で世界に誇るべき日本の文化を捨てて、漢字を廃止して、日本もその他大勢の残りの連中の一つになってしまえと唱えた、程度の低い馬鹿な連中がかつての日本には一杯いました。漢字廃止論は戦後ばかりでなく、明治維新後にもありました。その馬鹿な連中とは、
前島密の漢字廃止論(「漢字御廃止之議」、1866年)
西周のローマ字化論(「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」、1874年)
森有礼の英語公用語化論(1872年頃)
福沢諭吉の「文字之教」(1873年)
です。そんな馬鹿どもの言うことを聞かずに、自分たちの祖先の作り上げた深い文化を大事に保ち続け、こんなに民主的な文字を後世の人達に伝えてきた日本人は捨てた者では在りませんね。
確かに、大人に取っては新しいことを覚えるのは大変なのですが、子供の脳味噌は大人とは全然違っています。小学生や中学生の頭では、漢字や新しい言葉を覚えることは、大人と比べて遥かに易しいのです。質問者さんにも覚えがあるでしょう。大人を基準にして子供の教育を考える程、馬鹿げたことはありません。子供に少し位の楽をさせることによって、大人になって手に入るはずだった程度の高い知識を失わせてしまい、他の国の人達並の程度の低い大人を育てるような教育はするべきではありません。日本人の持っている、この漢字と仮名の併用と言う人類の宝をなんとか遺して行きたいものですね。
お礼
ありがとうございます。 「英語単語」対「2字の漢語」 私は英語を知りませんのでなんともいえませんが、パッと見てわかるのは漢語の方ではないでしょうか。 2番さんの意味の透明性で漢字の勝ち。 ありがとうございました。