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戦後日本の急速な高度発展・技術革新の理由は?
戦後の日本は、奇跡とも呼ばれる超高度発展を遂げたと言われますが、 なぜ日本だけがこうした成長を可能にしたのでしょうか? また、自動車産業やカメラなど日本が世界のトップシェアを誇る分野は多くありますが 成長当時の日本が世界に台頭してきたとき、世界の反応はどんなものだったのでしょうか? 分かりやすくまとめてある本やサイトがなかなか見つからないので お勧めの文献などあればそちらも教えて頂きたいです。 分かりにくい文章で恐縮ですが、宜しくお願いします。
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素人ですので、常識的な回答を。 1.朝鮮戦争の影響。敗戦で産業が壊滅状態になった日本が急速に回復した第一の理由は朝鮮戦争に伴う、特需。後方補給基地として、アメリカが安心して食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などができる国は、当時近隣で日本しかなかった。中国は東側、台湾は政権が成立したばかりで産業基盤がない、朝鮮は戦争当事国。となると、日本しか無い。 2.安保条約による軽武装・産業優先政策。 東西冷戦の中で、日本がアメリカの傘の下、軍事費に予算を使わずに産業育成に資金を使うことが出来た。極東アジアは当時東側の影響が強く、日本はその防波堤の役割を担うため、アメリカが軍事的に保護政策をとった。そのため、日本自身で軍事費を負担することが最低限で済んだ。そのため、産業育成に湯水のごとく資金を注ぎ込むことが可能だった。 3.政府による産業育成、保護政策 「日本は唯一成功した社会主義国」と揶揄されるほど、大蔵・通産等の業界保護政策、金融保護政策は徹底していた。有名な「護送船団方式」、外貨割り当ての政策利用。また、1ドル=360円体制を死守するなど、輸出産業育成を政策課題としたこと。 もちろん、国の基盤として、義務教育が浸透し、良質で均質な労働者が多数存在したこと、そもそも戦前からそれなりの産業基盤があったこと、などがこれらの背景にはあるでしょう。 外国の反応ですが、60年代 made in Japan と言えば、「値段は安いけど粗悪品」の代名詞でした。少し前の、中国製品に対する私たちの反応を思い出してくれれば良いと思います。あれと同じです。また、「猿まねジャップ」ということも60年代から70年代前半には良く聞きました。これは製品だけではなく、テレビ番組や文化そのものへの批判です。 今、ネット右翼などという人達(たぶん若者)が、よく韓国に対して同じような発言をしています。当時を知っている我々からすると、「かつては日本も同じように欧米から言われてたんだけどな」と思い、痛々しく感じます。(だから、私は絶対にそういうことは言いません。それは国が発展するときに一度は通る道だと思いますので) 日本製品の評価が目に見えて「良くなってきたな」と、庶民レベルでも実感するようになったのは、70年代後半からですね。電化製品・車などドイツ製品と日本製品が、同じテーブルで比較の対象になるようになってきました。
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- kodon
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戦後急速に経済発展出来た原因に朝鮮戦争があり、日本が後方支援の役目を負わされたことは確かでしょう。この戦争が日本の工業の再建に役だたのは確かでしょう。その他にあまり語られていないことに石炭から石油の燃料転換が政府主導で強行転換が出来たことで日本の産業が急速に発展出来たことがあります。敗戦後政府主導で石炭産業が急速に復興して幅員兵を雇い入れ石炭産業が日本全国で巨大産業にのし上がり、昭和30年代初期までは大学新卒の主要就職先になっていました。 しかし燃料を石炭から石油に転換した方が燃費がすぐれていることは明らかであり、産業界全体が石炭より石油に転換したいとの要求があって もここまで大きく成長した石炭産業をいかに静かに引退させるかが当時の政権与党の自民党の役目であった。当時の自民党の支持母体は農協であり、石炭産業を支えていた炭労が社会党を支持していたので自民党は炭労(社会党)がいかに反対しようが石炭産業を終結させる政策を淡々と進めることが出来たが、農協の要求する米価値上げだけは毎年経済成長に見合う分だけ値上げしたのが今の米価で他国の約10倍の価格になっています。もし炭労が自民党支持で石炭産業維持したまま石油転換していたなら石炭産業に補助金をだして、今問題になっている夕張市のようなことにはなっていないだろう。このように石炭から石油への燃料を 転換を石炭産業の犠牲のもとに日本産業は発展しましたが、戦前は工作機械や主要な機械は主に外国製であたが戦後外貨も無く輸入できない時代が長くつずいたため外国製の機械をスケッチして外観だけは同じ機械を作って売っていた時代がありました、物まねをしていた当初は性能は外国製と同等の性能が出ないものを作りつずけると性能も向上して後には真似をした外国せいより性能のよい物ができることもあります。終戦当時工作機械で性能のよい物は輸入品と決まっていましたが現在の世界の工作機械は日本製が圧倒しているようです。ある所で聞いた話しですが工作機械で性能の良い機械は職人の腕による部分がかなり多いようです例えば平面を機械で削りだしても完全な平面は出来ないので最後には職人の腕で修正しなければならないように精密機械になればなるほど良い職人が必要となるようです。何故これほど日本製の工業製品が世界で受け入れられるのでしょうか、これは日本人の民族性にあるのではないかと思っています。日本の社会は職人を大切にする社会です、どの職種でも直ぐに名人を見つけ出して尊敬する風潮があります。外国のことは知りませんが日本のこの風潮は無くしてはならない伝統です。日本の自動車がアメリカに進出して行った時には一部のアメリカ人の反発をかって日本製の車を叩き潰すパーホーマンスをしていた映像がテレビで流れていた時もあり、かなり反発されていたときもありました。カメラは戦前はドイツ製のライカが有名でしたが戦後はニコンやコニカ、ミノルタ等は戦時中軍需産業をになっていて望遠鏡などを作っていた企業が職人が戦時中に育ってきていたのではないだろうか。 ドイツで日本のカメラがどの様に扱われたかは聞いたことがありません。
- jamiru
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元々、日本には反逆心が強かった事。 ttp://www.nagano-c.ed.jp/ueda-hs/kouka.htm 圧倒的な天下の徳川に挑み、家康生涯にただ二回の内の一回の馬印を蹴倒した真田の地の校歌です。 祭りも徳川に反逆し続けた真田を称える祭りです。 恐らく似た感じの中央への反逆を謳うモノが地方にはあると思います。 探せばたくさんあると思います。 どっかの学校みたいに中央の人間の像を置くというふざけた文化はありません。 しかも、その像に対して頭を下げるという愚行もしません。 こうした文化を幼き頃から教育された賜物ですね。 後、日本政府が積極的にどっかの国みたいに中央政府のお偉い方を称えさせたわけではないですしね。
- nemosan
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過去にこんな質問がありました。参考まで… 「日本が先進国へと発展した理由」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1227443.html
- hirosi3
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●政府の干渉が少なく、「官に逆らった経営者たち」がいた● 第2次大戦後の日本、フランス、ドイツ、イギリスと比べると、日本では政府の干渉が少なく、「官に逆らった経営者たち」がいたことが要因だったと考えます。 ●フランスはモネ・プランと呼ばれる、混合経済(半分社会主義経済)で、保守党と社会党の勢力が均衡していた。企業の国有化が進み、1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。 ●ドイツではエアハルトの「社会的市場経済体制」と呼ばれる、これまた「半分社会主義経済体制」をとってきた。戦後のフォルクスワーゲンは株式の20%を連邦政府が、20%を州政府が所有していた。戦後経済の先頭に立つ、石炭、鉄鉱は、ジャン・モネの考えとシューマン・プランによる、フランス、ドイツを中心にイタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの6ヶ国が参加する、石炭・鉄鋼の共同管理体制として「欧州石炭鉄鋼共同体」(ECSC)が機能していた。そしてその資金はアメリカのマーシャル・プランに頼っていた。「非社会主義経済体制」と言っても石炭・鉄鋼はアメリカとヨーロッパ諸国との共同事業であった。 ●ギリスは「ゆりかごから墓場まで」のスローガンであるベヴァリッジ・プラン(Beveridge Plan)を労働党が進めていた。ソ連とは違う社会主義経済を進めていた。鉄鋼産業は労働党と保守党との間で、国有化ー民営化ー国有化ー民営化ともてあそばれた。 ●日本には、「官に逆らった経営者たち」がいた。 政府の干渉が少なく、「官に逆らった経営者たち」がいたことが要因だったと考えます。
- tanuki4u
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お礼
多くのご意見大変参考になりました。 どうもありがとうございました。 ここでまとめてのお礼とさせて頂きます。