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ここはなぜ【た】形を使ったのですか
ここはなぜ【た】形を使ったのですか 百年の後、この光の玉は八人の犬士となって甦り、里見の姫に奉じて、玉梓の呪いに打ち勝つでしょう。私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。 末尾の【あった】は過去ではないと思います、これは【た】の特殊な使い方と思います。 この【た】の意味は下の例文と同じのはどれですか 1 (鍵を探していて)あっ、あった!あった! 2 山田さんは旅行に行くべきたった 3 そういえば、明日は休日だった
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>という論理の展開を行なったつもりです。 それに対して「大した問題ではありません」と一蹴されるのであれば、これは、この問題に関する考察を放棄したと判断せざるを得ませんので、これに関して、これ以上追求することはやめましょう。 ・・・はい、結構です。 そしてまた、いつものように前言を翻して再開されても私はかまいません(*^^*)。 質問者さんに申し上げます。 ご質問の文体は、会話体です。会話体の文は論文のように説明的ではなく、文型もはっきりしないものが多いです。 このような場合は、しっかり全体を眺め、話者の表情まで思い浮かべながら、考えて行くことが大事です。 理屈をつけようと細部の言葉にこだわって、あれこれ原文をいじると間違えてしまいます。 新米の大工さんが張り切って、丈夫そうな家を建てようとして、必要でないところへ見せかけだけの補強材を入れてしまい、かえって強度を弱くするようなものです。 家では通し柱、人ではバックボーンがしっかりしていれば、ふらふらしたり、何度も修正工事をすることにはなりません。 どうぞ原文全体をしっかり読みなおして、間違いのない解を得てください。 質問者さんのご理解を得たいことがございます。 旧日本軍に関するお話です。 これは、ご質問の「た」の話に直接関係することではありませんが、日本人として看過できないことがございましたので、少し申し述べさせてください。 どなたかがご自分の行為、すなわち間違いと訂正を繰り返すことの弁明のために、こともあろうに旧日本軍の玉砕を引き合いに出し、軍トップが誤りを訂正しないから、兵隊が無駄死にした(させられた)、自分は必要があれば何度でも修正する、・・・と、軍トップへの悪口と兵隊さんの無駄死を踏み台にして、自分の行為を正当化されています。 このことについては、いくつかの由々しき問題が存在しています。 1.一個人の間違い訂正の是非という卑小な問題のために、こともあろうに旧交戦国の中国の方に、先の大戦のことを持ち出す必要性があるのかということです。 本人は「お詫びのしるし」として、旧日本軍の問題を持ち出しています。 「謝罪外交」のつもりか、ご機嫌をとって「ポイントが欲しい」のかよくわかりません。 いくらなんでも「ポイント」ではないと思いますが、一個人が「謝罪外交」するのも変です。 「お詫びのしるし」として、中国の方に旧日本軍のお話をされた事実は消えません。 2.先の大戦の事実誤認の問題です。 玉砕が軍のトップの体面のためというのは、事実誤認です。ごく一部にNHKのいうようなことがあったかも知れませんが、あったとしてもそれは稀な例でしょう。 そういうものを虫眼鏡で拡大してあたかも軍全体がそうであるかのようにして、外国の方に教えるなんてことはとんでもないことです。自虐史観どころの話ではありません。 玉砕戦死が「無駄死に」とされてしまった戦死者や遺族の方は、何と言ってお嘆きになるでしょうか。 先の大戦でお国のため、家族のためにささげた兵隊さんたちの尊い命の上に、今我々が生きていることを忘れてはいけません。 それを「無駄死に」とは・・・、何と心無い、酷な方なのでしょうか。 戦前の天皇と金正日には大差がないというご意見には驚きました。馬鹿馬鹿しくて反論する気も起りません。 戦前の日本は暗黒の時代だったという間違った話が、世の中に出回っているようです。 戦前に取締りに遭ったごく一部の左翼言論人が、戦後になっていろいろ喧伝しました。それが誇大に伝わっているだけのことです。 一般人には明るいいい世の中でした。戦前に大人になっている人から話を聞けばすぐわかることです。 3.間違いがあったら即座に訂正すべきです。隠したりしてはいけません。 「過ちては改むるに憚ること勿れ」と古来よりの教えもございます。 「改むるに憚ること勿れ」です。 しかし、これは過ちを奨励しているわけではありません。普段より過ちを起こさないように努め、万一起きた時には憚ることなく改めよと言っているのです。 しょっちゅう過ちを犯し、しょっちゅうしゃあしゃあと平気で訂正したり、前言を撤回したりするのは「恥ずかしいこと」です。厚顔無恥と言われる行為です。 質問者さんに申し上げます。 旧日本軍に関する話は、あなたのご質問とは全く関係がありません。 きれいさっぱりお忘れになってください。 そして、もし、このような話に興味がございましたら、歴史カテなど別のところへお尋ねください。
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- bacaisao
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『「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにある、と認められる状態にあった」ということを、今再確認できている状態です』 そんなに原文に手を加えたら、何でも「確認」になってしまいます。 以下のように。 1 (鍵を探していて)あっ、あった!あった! ・・・鍵を探していた人は、鍵を見つけ、「あった、あった」と、鍵があることを確認しています。 2 山田さんは旅行に行くべきたった ・・・山田さんは旅行にいきませんでした。しかし、それは間違いで、やはり行くべきであったと今改めて確認している状態です。 3 そういえば、明日は休日だった ・・・そういえば、明日は休日だった ・・・と確認しています。 作文すれば何だって確認になります。 >「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。」 これは、「(鍵が)あった!あった!」や「そういえば、明日は休日だった 」のような、お気楽なセリフではありません。 ★話者が断言しています。強い意志や自信の表現で「2 山田さんは旅行に行くべきたった」が正解。 しかし、自分の回答を「個人的見解です」というのは便利なものですね。 何でも、恥ずかしげもなく訂正、修正できます(*^^*)。
- hakobulu
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#10です。 もう少し補足させていただきたいと思います。 まず、#10で述べた、 『(自意識過剰な方が個人的見解としてお使いになる場合もあるでしょうが、)その場合でも、「一般的にそう認められているはずだ」という意図が含まれていることは明白です』 という箇所を訂正させていただきます。 「一般的」に限定する必要はないと考え直しました。 大変失礼しました。 しかし、「個人的見解」だけに適用するものでもありません。 つまり、その両方、どちらにても適用できます。 瑣末なことに注意が逸れて本質を見失うところでした。 以下に詳しく述べます。 結論としては、今までと同じで、「あった」は『「ある」を確認する用法』です。 原文の場合、これが、そして、これだけが重要な「た」の用法です。 一般的であるか個人的であるか、は関係ありません。 どちらでもよいのです。 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです」 は、 『「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにある、と認められる状態にあった」ということを、今再確認できている状態です』 という意味になります。 そういった血筋を引く「一般的に認められた内容」を言っているのか、あるいは、 単に個人的な、もしかすると妄想的な見解であるのか、ということは「た」の用法とは切り離して考えるべきでした。 その点に関しては作品の内容理解という問題に委ねられることになります。 私は前者という思い込みがあったので、勇み足をしてしまったようです。 仮に原文が 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあるのです」 という表現だったとしましょう。 その場合は、 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにある、と認められる状態にあるのです」 という意味だけで、そのこと(=「認められる状態にある」ということ)を確認しようとする意図は働いていません。 以上のことから、正解は、 「3 そういえば、明日は休日だった」 ということになります。 『確認しようとする意図があるか無いか』に注目すればよいのです。 この意図がない場合は、 「そういえば、明日は休日だ」 という表現になることは誰もがお認めになるはずです。 1や2は、この「確認の用法」が存在しないために、一般的見解であれ、個人的見解であれ、原文の用法には該当しないことになります。 自信がない、という表明であっても「逃げ」の要素は含まれているわけですから、どのように表現しても中身的には殆んど変わりません。 自信がないのは当たり前=間違うのは当たり前、という理屈がそれほど素晴しいものとは思えませんね。 単なる趣味の問題にすぎないでしょう。
- bacaisao
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辞書の例の「非は先方に―・る」「土地は高値安定の傾向に―・る」「大国の影響下に―・る」は、【ある】という単語の意味の解説です。 これは、「ある事柄がはっきり認められる。また、ある状態に置かれていると認められる。」ということで正しいのです。 「非は先方にある」というのは、話者がはっきりとそう認めているわけです。「ある」の用法としては、それでいいと思います。 しかし、問題はそこから先の話です。問題は「ある」の用法ではありません。「た」の用法です。 話者が「ある」とはっきり認めた後のはなしです。 話者が「非は先方にある」と言ったって、先方がそんなことを認めているわけがありません。 日本と北朝鮮がお互いに「非は先方にある」とお互いにハッキリとそう言っていますが、 これは、日本が、そして、北朝鮮が「非は先方にある」とお互いに言っているだけのことであって、それは全くの両者の個人的意見の主張!です。 こんなものを万人が認めるわけがないでしょ。 北朝鮮が「非は先方にある」と言っているのを日本が認めるわけぇ(*^^*)? そんなバカなことはありません。 「3そういえば、明日は休日だった」に関してですが、「一昨日8月29日は日曜日で休日」でした。 これは、日本も北朝鮮も認めます。万人が認めるだろう一般的な見解に該当するわけです。 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。」・・・これは話者がそう言って断言しています。 話者がハッキリそう断言しているだけで、そんなものを万人が認めるだろう一般的な見解ではありません。 本人が「万人が認めるであろう」と主張しても、それは主張だけのことです。 そういうことで、断言すなわち個人的意見の主張ということで「2 山田さんは旅行に行くべきたった」が当たりです。 回答の際、「これは個人的見解ですが」なんて変な逃げ口上を言うのは恥ずかしいことです。 ここは国語カテです。自信がないということであれば「自信がありません」とハッキリ言えばいいのです(*^^*)。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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dyttさん。こんばんは。 >私はそのために生き、 そのために死ぬ定めにあったのです。 :これは、今現在における、 個人的な「想像」「気付き」「確信」「感想」を、 (過去からそうであったかもしれないけれど) 「今、そう思った!」ということを 「表明するため」の「た」だと思われます。 (I notice that.......now ! I realize that..... now ! I asure that.......now ! I decide that........now ! I know that........now ! I understand that......now ! など) 1.2.3の中から、あえて選ぶとしたら、 近いのは、2.でしょうか。 この文は、 「山田さんは旅行に行くべきだった【と今わたしが思った】」 という個人的な表明になっているので。 例) わたしはあなたを見つけるために生まれ、 あなたに出会う定めに【あった】のだ!
- hakobulu
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#7ですが、少し補足しておいたほうがいいようですね。 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。」 の「あった」は、あくまで「一般的にそう認められていた」という意味で使うのが正しい使い方です。 辞書の例でもお分かりになると思いますが、 「非は先方に―・る」「土地は高値安定の傾向に―・る」「大国の影響下に―・る」 などと同様に、個人的見解ではありません。 無論、自意識過剰な方が個人的見解としてお使いになる場合もあるでしょうが、その場合でも、「一般的にそう認められているはずだ」という意図が含まれていることは明白です。 ゆえに、 「3そういえば、明日は休日だった」は、という万人が認めるだろう一般的な見解に該当するわけです。 このサイトの中にも専門家はいらっしゃると思います。 余程自信のある場合以外、そういう専門家ではないので間違っているかもしれません、と一応お断りすることにしています。 無論、一種の逃げであることは否定しませんが、間違っても素人なんだから当たり前だろ、回答してやってんだから文句言うな、的な姿勢は、個人的見解ですが趣味ではない、というだけのつまらない理由なんですけどね。 まあ、人間それぞれ、でよろしいんじゃないでしょうか。 大した問題でもないことに目くじらを立てるのは恥ずかしい、ということで。^^
- mo6644
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NO4です。意見が分かれているようですね。 「た」は基本的に過去か完了を表します。その動作内容によって同時に話し手の「た」に発見、確認、決意、満足、後悔などの気持ちが発露されます。気持ちは動作内容によって左右されます。しかし「た」について言うと、いつその動作が完了するかが本来のポイントです。 それぞれの問題を整理してみると、どれが同じものかはっきりするでしょう。 文末 動作 気持ち 完了時期 設問 死ぬ定めであった 定めである 確認・覚悟 まもなく 1 探していたものがあった 探す 満足 すでに完了 2 行くべきであった 行く 非難 完了しないことは確定 3 休日であった 休日である 確認・予定 明日
- bacaisao
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>「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。」 こう言っているのは話者だけです。本人の意見です。 誰かのお好きな「個人的見解」です。 「3そういえば、明日は休日だった」は、万人が認める休日という事実をいっているわけで、個人の見解ではありません・ 個人的見解は「2 山田さんは旅行に行くべきたった」です。 ゆえに「2」が当たり。 このサイトの回答者の中に専門家はいません。 こんなことは誰でも知っています。 素人の回答はみんな個人的見解です。 間違ったときの予防線なんて恥ずかしい(^^)。
- hakobulu
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「ある」の意味と一緒に解釈すると分かりやすくなるでしょう。 原文の「ある」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%82%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=00772500574400&pagenum=1 の、 3 ある事柄がはっきり認められる。また、ある状態に置かれていると認められる。 「非は先方に―・る」「土地は高値安定の傾向に―・る」「大国の影響下に―・る」 に該当すると思います。 この解説に沿って、 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです」を正確に言うと、 「私はそのために生き、そのために死ぬ定めに置かれている(=生まれついている)と認められる状態にあったのです。」 ということになります。 この意味から考えた場合、「あった」の「た」は、 「誰から見ても、私はそういう運命であったのだ」 という【事実を確認するという意図】で使われていることがわかります。 例文から同じ用法を探せば、 「3 そういえば、明日は休日だった 」 が該当すると思います。 専門家ではありませんので確信はありませんが(つまり、あまり自信はありませんが、という意味です)、個人的見解としてこのように思います。
- kitasan2
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1 (鍵を探していて)あっ、あった!あった!=発見・確認・想起 2 山田さんは旅行に行くべきだった=反実仮想(事実とは違うことを仮想して述べる) 3 そういえば、明日は休日だった=発見・確認・想起 従って、 私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。=発見・確認・想起 と考えると 1と3が同じということになりますね。強いて言えば、確認の意味と考えて、3でしょうか。
- bacaisao
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>1 (鍵を探していて)あっ、あった!あった!・・・・⇒動作・作用の完了 >2 山田さんは旅行に行くべきたった・・・・⇒強い決意・断言 >3 そういえば、明日は休日だった・・・・⇒物事や事態の確認 ★「私はそのために生き、そのために死ぬ定めにあったのです。」 これは、「死ぬ定めにあった」と断言しています。 話者の強い意志や自信の表現です。 従って正解は【2】 (回答者とあろうものが、専門家でないから・・・なんて恥ずかしい言いわけをするもんじゃありません。(^^))