たしかに。
「走る」とか「歌う」などのように、何秒か何分か動作が続いていることを表す「動詞」なら、走っている間に「あんなに速く走るとは!」と言うことができるし、歌っている間に「あんなにうまく歌うとは!」と言うことができるのですが、「見切る」というのは一瞬のことなので、「鞭を見切るとは!」と"言った時"には、すでに"見切った瞬間"は過ぎていますね。
だから過去形であるべきではないか、という疑問はもっともな疑問です。
しかし、悪者が「鞭を見切るとは!」と言ったほうが、あの場面では正しいと思われます。
2つの説明ができると思います(多くの日本人は意識しないで使っています)。
(1)見切るという動作が、まだ強く印象に残っていて、その悪者にとっては、今、引き続いておこっていることのように思えたから。
これは説明する必要はないと思います。
(2)悪者は、鞭を見切るという動作に驚いたのではないから。
ケンシロウの鞭を見切ることのできる「能力」「力」に驚いたのです。そして、そこからケンシロウの実力を推定し、自分では勝てないと判断して、以後、戦わなかったのです。
この場合、長く言うとすれば、悪者は「鞭を見切る(能力を持っている)とは驚いた!」と言ったはずなのですが、戦いの場でそんな説明的な長いセリフをいう俳優はいませんし、漫画は、字が多いとおもしろさが半減しますので、ドラマよりももっと言葉を省略します。
見切る動作は一瞬で、悪者がつぶやく前に終了しているので過去なのですが、見切ったという動作から判断される能力、戦いの実力は、引き続いて今も持っています。
だから、ここは過去形ではなくて現在形になる。
どちらでも、わかりやすいほうでご理解ください。
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もし、その悪者にボスがいて、ケンシロウが鞭を見切ったという報告を聞いたとしたら、「なんと、おまえの鞭を見切るとは!」と言ったかもしれませんし、「なんと、おまえの鞭を見切ったのか!」と言ったかもしれません。
どちらの言い方も間違いではありませんが、ふつうは過去形のほうかな。ボスにとっては明らかに過去の出来事、過ぎたことだからです。ケンシロウの能力についても印象は強くないはずですから。