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なぜ現在形を使いますか?つまり“る形”
《北斗の拳》からの場面です 鞭が得意な手段での悪者は健四郎との戦いの最後、鞭を見破られて倒された。 悪者はその時、“鞭を見切るとは!”と言って,後は戦っていかなかったのです。 質問: なぜ“鞭を見切たとは!”と言わないのですか?なぜ現在形を使いますか?
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- fujic-1990
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たしかに。 「走る」とか「歌う」などのように、何秒か何分か動作が続いていることを表す「動詞」なら、走っている間に「あんなに速く走るとは!」と言うことができるし、歌っている間に「あんなにうまく歌うとは!」と言うことができるのですが、「見切る」というのは一瞬のことなので、「鞭を見切るとは!」と"言った時"には、すでに"見切った瞬間"は過ぎていますね。 だから過去形であるべきではないか、という疑問はもっともな疑問です。 しかし、悪者が「鞭を見切るとは!」と言ったほうが、あの場面では正しいと思われます。 2つの説明ができると思います(多くの日本人は意識しないで使っています)。 (1)見切るという動作が、まだ強く印象に残っていて、その悪者にとっては、今、引き続いておこっていることのように思えたから。 これは説明する必要はないと思います。 (2)悪者は、鞭を見切るという動作に驚いたのではないから。 ケンシロウの鞭を見切ることのできる「能力」「力」に驚いたのです。そして、そこからケンシロウの実力を推定し、自分では勝てないと判断して、以後、戦わなかったのです。 この場合、長く言うとすれば、悪者は「鞭を見切る(能力を持っている)とは驚いた!」と言ったはずなのですが、戦いの場でそんな説明的な長いセリフをいう俳優はいませんし、漫画は、字が多いとおもしろさが半減しますので、ドラマよりももっと言葉を省略します。 見切る動作は一瞬で、悪者がつぶやく前に終了しているので過去なのですが、見切ったという動作から判断される能力、戦いの実力は、引き続いて今も持っています。 だから、ここは過去形ではなくて現在形になる。 どちらでも、わかりやすいほうでご理解ください。 ---- もし、その悪者にボスがいて、ケンシロウが鞭を見切ったという報告を聞いたとしたら、「なんと、おまえの鞭を見切るとは!」と言ったかもしれませんし、「なんと、おまえの鞭を見切ったのか!」と言ったかもしれません。 どちらの言い方も間違いではありませんが、ふつうは過去形のほうかな。ボスにとっては明らかに過去の出来事、過ぎたことだからです。ケンシロウの能力についても印象は強くないはずですから。
- ゆのじ(@u-jk49)
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「見切る」ということが行なわれたのが、いま(現在)だから。 「見切った」というと過去の話になってしまう。 「~る」は現在、「~た」は過去と覚えましょう。 いま現在の話ならば「~る」、昔の話なら「~た」というだけの理解で良い。 それより、マンガで日本語を覚えようというのが分からない。 現在形、過去形も大切だが、それ以前に、やるべきことが欠落しているように思う。
- tanuki4u
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鞭を見切ったとは! ※ この表現だと、過去のある時点で「見切る」ことができたが、今はできるかどうかに関しては表現していない。 鞭を見切るとは! ※ この表現だと、能力として鞭を見切ることができることが「過去」も「現在」も「将来」もあることを表わします。 別の説明 『鞭を見切ったとは!』ですと、別の方法だったら見切られない可能性が出てきます。なので、悪者は「後で戦えば勝てるかも!」と思うことができます。 『鞭を見切るとは!』ですと、時間に関係なく見切ることができるので、悪者は「あとで戦っても勝てない」と考えるので、二度と戦うことはありません。 ※ 中国語版では「健四郎」なのですか? 蒼天の拳、霞拳志郎の影響や北斗四兄弟 ラオウ → 羅王 原作者の武論尊は、名前は修羅の王様という意味で付けたと語る などから ケンシロウ は 拳四郎 じゃないかなぁと思っています。