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武将や武士は今の職業でいうとどんな仕事にあたりますか?

数年前から気になっていたことがありました 昔の侍や武士の人達は今の職業で言うとどんな立場の人達なんですか? そして武将と呼ばれた人達は今で言ったらどんな職業の人達なんでしょうか?ものすごく気になってしまい仕方ありません 私の出身が宮城県ですが、 先祖の一人が江戸時代に武士をやっていたそうです。ちょうど伊達政宗が活躍していたころです。 私なりに考えたのですが武士は市役所の職員?あるいは警察官でしょうか?それとも県議会議員でしょうか・・・ そしたら伊達政宗は県知事にあたるのでしょうか? 学がないため、どなたかわかりやすく教えていただけないでしょうか 本当によろしくお願いします

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回答No.4

何を中心に考えるかによってかわりますね。 天皇を中心に考えるか、将軍を中心に考えるか。。。。 それと建前と実質も入り乱れます。 天皇中心なら建前上、細かく言えばキリが無いので大きな部分だけ言うと将軍は防衛大臣、警察丁長官、法務大臣などの位置でしょう。 その職員が武士。 将軍を中心にするなら、将軍は全ての権限を持った大統領に近い 内閣総理大臣ではないでしょうか。 ただ、将軍であれその権威は天皇の名において朝廷から与えられた 立場なので難しいですね。 建前上は知事は山城守や筑前守といった『○○守』の官位を持った人です。 だから伊達政宗は生前の最高位は権中納言なので何かの省庁の 事務次官ですね。 ただ、僕の見方では、武士は巨大な力を持ったヤーさんですよ。 権威も無い武力集団がその力を使って徐々に大きくなって その地盤をつくり、武力で統治し、武力で攻め取り、自分たちの ルールが各集団内にあり、美学や暗黙の了解が全集団同士にある。 まさにヤーさんですね。 正式な権限はないが逆らうと何されるか分からなくて恐いから 朝廷は権限を与えてチヤホヤした。 そして正式に権限を委任されたのが幕府でそのトップが将軍です。 昔は武力による独裁統治の様なものなので、正しく現代に置き換える のは無理ですが、深く考えずに単純に考えると将軍が総理大臣で 地方の大名は知事でその家老達が市長で中級の家臣が町長とかで良いんではないでしょうか。

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  • ham64661
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回答No.5

今でいうと「軍人」でしょうね。ただ、純粋な「軍人」ではなく、平時は「公務員」で、なにかあると戦争を行う「軍人」になるという考えで間違って無いと思います。この場合の「公務員」というのは皆さんが書いているように職員等々色々兼務してます。 

  • aburakuni
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回答No.3

織豊時代の刀狩と徳川治世にによって、武士は公務員になりました。 それまでは、農民等が戦争が在る際には戦士として働き、一部の戦闘専門家がそれを率いて国を治めていました。 その戦闘専門家自体も、ごく一部の貴種が居るものの、元々は農作業を行なっていた中からのし上がって行ったものでした。 徳川時代には武士と言う階層が固定され、殆ど戦闘が行なわれなくなったため、行政を司る階層として存在して行きました。

  • kimari14
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回答No.2

領主は地方自治体の長 知事 石高によって 市長 町長 村長 区長のクラスに分けられるでしょう。 それぞれのエリアで 住民税の徴収 徴兵制 裁判 警察  地域整備の労働力の供出 戦闘参加  独裁ですが あんまりひどいと住民はみんな逃げてしまいますので、そこが経営のむつかしさだったのでしょう。 それに、戦国100年間は飢饉の時代でしたので、どうやって食べていくかで、滅んだ国、生き残った国に淘汰されました。北条氏康は隠居の歳には早すぎるのに、息子に代を譲っています。交代しなければ、民衆の理解が得られなかったということです。信玄も親父を容易に追放できたのも、親父の失政が原因です。 つまり、民というか、領民の支持があっての、国の経営が成り立つまわです。武士は家内工業的職業軍人。 モノノフでして武士というものは江戸以降でしょう。

回答No.1

市役所公務員兼税務署職員兼警察官兼自衛官です。 ちなみに大岡越前の奉行職は都知事・東京消防庁トップ・警視庁トップ・最高裁判事長官を兼任しています。