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宗教とは何か?
- 宗教の存在とは、人間が生まれながらにして持っている人生の意味や目的を追求し、神や超自然的な力との関係を築く信念や実践の体系である。
- 宗教は文化や歴史、社会と深く関わり合い、人々の精神的な安定や倫理観、社会の秩序を形成する重要な役割を果たしている。
- しかし、宗教の定義や内容は多様であり、人々の信仰や価値観によって異なる解釈や実践が存在する。宗教は人々に希望や救いを与える一方で、対立や紛争の原因ともなることもある。
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プロテスタントのクリスチャンです。 体系的な良く知られた宗教だけでなく、人里離れた未開民族の間にも宗教のようなものがあったようです。日本でも仏教が入ってくる前にまじないやある種の祭事を行う祭司が古代より発生していたことは歴史書の至る所に記載されています。 つまり動物と異なり知性が備わっていた人類は生まれた途端に自分は何者で、どこからきてどこに行くのかという人間固有の疑問にぶつかってきたと思うのです。そのような内的な知的欲求あるいは真理探究の心をあえてどこかに押し込めて、無神論を標榜してみたり、極端な例としても自分が神のごとく振る舞う人が多く出現したように思います。極論すれば人は何かを信じて生きてきたのであろうと想像する者です。確かに前に家で飼っていた我が家の犬は自分の存在について悩むような様子は一度たりとも見せた事はございません。 ご質問者さまのご意見とは反対に人は知らずに宗教的な解決策を求めていると述べさせていただきたいと思います。 そこで聖書は、あなたの心にある宗教的な思いや、神かもしれないと考えている事柄の関して、そこまで具体的でないにしても、科学や理論を超えたものを意識するときに、皆さんが探しているそのような事柄に「あなたの知らない神について」ご紹介しましょうというのが私どもの立場です。また聖書の主張は「真理はあなたがを自由にする」と述べているように強制的に信じる事を押し付ける事をしません。あなたのご主人はあなたかあなたの神以外におりません。牧師でも神父でもお坊さんでもありません。
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- freulein
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私を含めて世界はどのように成り立っているのか?どうあるべきか?私の苦しみの解決法は何か?という問いが人に生じることがあったとしましょう。しかも「何とか答えが欲しい」ほどに強い問いであったとします。対処法は大まかに二つになります。 一つは「物語(宗教)」で説明します。その物語の本当らしさについては説得や説明がなされますが「確実さ」と「証明」には疑問があるかもしれません。しかし一気に完全に答えが見つかったと感じられるでしょう。短く言えば「・・・・が答えであるとする物語」です。確認法はありません。直感的理解が可能でしょう。疑問も残りにくいです。 もう一つの流れは「・・・・であるとする認識」です。哲学と呼ばれることもあります。根拠と論議がはっきりと示されます。誤りがある場合には誰にでも確認・訂正が可能です。しかしその世界認識の程度は不十分です。疑問が残ることもあります。進歩はあります。 「どちらが正しいか」ははっきりしません。「どちらが私に納得できるか」で選ばれることが多いようですが、納得が充分でないこともあるでしょう。どちらの対処法にも立派(不幸)な実績があります。
宗教そのものの生成原理は、すでに19世紀の内にヨーロッパのキリスト教系の神学者たちが、解明してしまったようです。 ただしその内容は、宗教不要論を導きやすいものだったため、とても一般に開示できる物では無かったようです。 本論からずれるかもしれませんが、ダーウィンの進化論の発表や、マルクス=エンゲルスの共産党宣言、その後の社会運動などにも、そういった宗教そのものに対する疑問が含まれています。 その原理は、一言で言えるほど簡単なものではありません。 しかし、その原理への到達によって、宗教は酒と同じ様に、それを欲する人の心と身体を癒し、時には人を狂わせることもある。ということが、原理原則として分かったようです。 酒代を払わないで酔っぱらえるなんて、酒代のために日々苦労し続けている下衆に取っては、何と言う救いなのでしょうか。 もっとも、世界中のすべての酒を禁止したら、酒の生産や流通で暮らしている人たちの生活権を侵害しますし、宗教の禁止も同じことが言えます。 神学者たちは、己の存在自体を否定してしまったのです。 その学者たちは公表を望んだことでしょうが、彼の上司たちは、世界の混乱を恐れて、公表できなかったということだったようです。
人間が最初に全面的に頼りにするのは生みの親、母、父などですね。自分に対して絶対権力を持った偉大な存在です。長じるにしたがって親の存在よりもより偉大な部族の長だとか、更にその後ろにある精神的な存在を頼りにするようになるし、彼の親も家庭教育でそうしむける。行きつく先は彼らの集団が信じる宗教になるのでしょう。しかし現代人の多くはそういった宗教の中心に居る神だって、現実的にさほど頼りにはならないようだとわかっているから、無神論者が増えています。私はそれが人間のあるべき姿だろうと思います。 キリスト教社会の一部やイスラム社会は今でもシステム的に幼児のころから宗教教育をしているようです。倫理教育としては全否定はしませんが宗教自体はほとんどが無意味であり、私は懐疑的です。 批判精神のない幼児の心にゆがんだ世界観を吹き込むのは、百害あって一利なしというよりも危険ですらあります。宗教に接するのは少なくとも自我が確立した20歳以後でなくてはならないというのがいずれグローバルな規則になるでしょう。
>宗教のない惑星に生まれたら、その意味さえ感じないはず。 ご自分で答えていらっしゃるではありませんか。 宗教は意味ないものです。すばらしい終着点かと思います。
お礼
ご回答ありがとう。 非常に難しい問題かな、と思っております。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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自分と世界の本源の中に自分が消滅することでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 でも、頭の悪い私には理解できませんでした。 ごめんなさい。
お礼
ご回答、参考になりました。ありがとうございます。