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量子相互作用は 言葉・貨幣・法律にまで及ぶか?
☆☆(問い) ~~~~~~~~~~~~~~ (α) 量子相互作用は 言葉・貨幣・法律にまで及ぶか? これを言いかえるなら (β) ことば・貨幣・法律は 階層現象をさかのぼって量子の世界にまで到るか? これは どうもそうではなく(到ることなく) 人間存在という段階において断層があるのではないか? というのも (γ) モノと対応していると考えられるのは 身と心なる存在までであって 身と心なる人間存在が 言うなれば共生性――社会的動物であること――としてそなえているものは ヒトに独自の存在の活用術(またその発明品)であると考えられる。つまり ことば・貨幣・法律がそれである。 (δ) だとすると 自然本性としての身と心――感性および理性――のほかにさらに ヒトとしての独自の自然本性として いまの社会的共生性がある。のだろうか? (ε) しかもこれら縁起共生のための文明の利器であるコトバ・貨幣・法律は すでに人間のワタシが生まれる前から社会にあったとすら思われるほど自然生成的なものである。そうすると ひるがえってあたかもモノとして量子相互作用に遡れるかにも思われる。 果たしてどうか? ◆(回答) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 有限な存在性は、本質的確定化によって無限発散(=無)に 還元される原理性を把握せずに、経験的に階層現象を表面 的に捉える事(量子性の潜在化)によって生じている。 つまり、間違った分だけ生じているのだ。 それは貨幣や言葉、あるいは宗教といった方便=“経験的に うまく行くために作り上げた社会的虚構”も同じだ。 量子性に基づいて、自我の相補として時空を感じる事ができ れば、その自律的社会行動(物理的相補性~環境との物質 循環~社会の自覚化(博愛))において、お金も宗教も不要だ。 ☆☆ (問い‐2) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ご回答をありがとうございます。 まづ ★ 量子性の潜在化 ☆ という規定において (α) 量子相互作用は 言葉・貨幣・法律にまで及ぶか? の問いについては 《潜在化》されたかたちで及んでいる。と受け取りました。 (ちなみに このように潜在化かどうかを別として マクロの通常の世界とミクロの量子の世界とが――不確定性原理によってでしょうか――断ち切れつつ しかも全体世界としてつながっているという捉え方として マクロとミクロとの相補性と言うのだと ddtddtddt さんからはおそわりました)。 さて なおさらに前提事項の処理ですが: ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ それは貨幣や言葉、あるいは宗教といった方便=“経験的に うまく行くために作り上げた社会的虚構”も同じだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ というとき まづ なぜ《法律》を除外されたのかはよく分かりませんが 保留とします。 そしてちなみに《組織宗教》が オシエという思考の問題となるものを神としていただく(オシエを至上命令とする)なら そもそも宗教というのは 自己矛盾である。神を信じるというところから得られたヒラメキなどの観想(テオーリア)を オシエとしたものを どう血迷ったのかご丁寧にも《信じる》という矛盾を起こしている。という意味であり この一事によって 宗教はその成立じたいが精神錯乱であると言っています。 つまり 《社会的虚構》だというよりは 虚構をつむぐ以前に《考える》と《信じる》とを区別できない精神の錯乱状態にあるという批判です。 つまり このご議論の中で 《宗教》は論外とします。 さて 《言葉と貨幣》なる《社会的虚構》について問います。 かんたんを旨とすべしとはよく言われますので ここではそう出来ると思いましたからそうしたいと思います。(長いですが 考え方は かんたんです。《社会的な共生性》を 量子性とからめて どう扱うかです)。 わたしの問いは こうです。 ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 量子性に基づいて、自我の相補として時空を感じる事ができ れば、その自律的社会行動(物理的相補性~環境との物質 循環~社会の自覚化(博愛))において、お金も宗教も不要だ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 1. 宗教は 論外です。 2. おカネは ひとの社会的な共生性として 意志疎通をおこなうとき 経済生活において役に立ちます。次に述べるように その価値測定の手段としてです。 3. その大きくコミュニケーションの手段として つぎに問いたいと思う《ことば》が 重要なものとしてあるところにおいて 特に経済的な価値を表わすために考案されたその測定の基準と言いますか単位と言いますかであると考えられます。 4. つまりは おカネにおいて 人びとは言語交通の中で 生活上の交易のためのモノなどについては すなわち経済的な価値を取り決め この貨幣の示す価値によって 民主的な等価交換を実現しようとしている。 5. この測定単位であることは――大きな視点に立てば ひとつの仮象でありましょうが それでも――有益な社会装置であるのではないか? 6. そこまでは マクロの通常の世界におけるひとつの現実だと見るのですが そのとき《量子性は 潜在している》とまづ受け取ったわけです。 7. 《ことば》は どうでしょう? 8. というのは おそらく人間がコトバを話し意志疎通をおこなうというその行為は そこにも――人間存在そのものがそうであるのと同じように―― そこに量子性が潜在していると見ても それほど違和感がないほどなのですが それでもこのコトバ自体 これには 量子性との関係があるのかどうか? 9. おそらく貨幣とともにコトバも 人間がおのづからのようにしてでも持つに到ったものであり 一方で単純に人間が作ったものだと見るのなら やはり潜在する量子性にまでさかのぼれるかと思われますが 他方で あたかも共生性という自然本性の中から たとえば曲りなりにでも近親婚を禁忌とするような交通の取り決めを普遍的に持ったのと同じように 表出して来たものを言語として持つに到った。――こう見るとき どう扱うか? 10. 経済生活の上でという前提がありますが 貨幣は 民主的な等価交換のための――つまりは その意味で《共生性》なる自然本性が機能していると見られるような――社会的な仕組みである。また 言語は その貨幣のハタラキをも大きくつつむような・やはり共生性全体のための社会装置である。 11. 量子性は そういう共生性を内容として持つか? 持つなら マクロの世界において それは潜在性としてではなく すでにほとんど顕在するかたちで つながっている。 12. もし持たないなら 量子性は 潜在もしていないと見られるのかも知れない。 どうでしょう? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ご教示ください。
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- dmawdmaw
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No.2です。 >「《光》は 言葉・貨幣・法律の現象する世界と通じている。のではありませんか? だとすると 《光の瞬きよりも速い速さ》とこの経験世界を取り巻く《エーテル世界》とは それほど互いに離れていない。というように感じるのですが」 そうそう、分かっているじゃないですかー! 分かってるというよりは感覚が中々イイ。ナイース!! せっかく感覚がイイのに理屈屋さん(=左脳思考)は前述した通り、量子力学的に重くて勿体ないです。 せっかくの風船にわざわざ大きなガムをべったりと付着させて天空(=境地境涯)を目指してる様なもの。 甘いガムの香りに誘われたカラスに風船がつつかれるかも。せっかくの天空旅行が・・・。 でもそれも間違いではないです。正解はひとつではありませんからー。 そして生活や人生自体も重い周波数の連鎖で更に重くなってしまうかもしれませんが、これも単なる化学反応に過ぎませんからー。 それとも逆に過剰ポテンシャルになるかも。 離れてないと思うという事は、それは本当はあなたの感覚、感性の重量がテレパシー的に軽いという事です。 しかし必ず正解を求めてしまうので、チョイ惜しいです。 でも、それも間違いではないです。これも正解はひとつではありませんからー。 虚妄、虚構、幻想、具象、幻覚、空想・・・・・、全てが周波数と周波数の現象であり化学反応で 新しい波動を生むのでどれも正しいのです。 いわゆる「無限」であるという事です! ひとつに絞ろうとする方が難しいですが、ひとつに絞ろうとするあなたの意志にも波動が巻き起こってます。 なのであなたは間違いではなく正しいのです。 あなたの更なる飛翔(=量子との調和共鳴=解脱)を楽しみにしております。 では、またお目にかかりましょう! こっちはあなたが視えてますけどね。フフフ。
- dmawdmaw
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量子性と言いながら、この物質世界の地球(=いわゆる原子核周波数の目が粗い物質的次元であるこの地球)を主眼として考えたならば、それはあくまでも量子的入り口での視点なので、まるで光が永遠見えないトンネルの様に模索し続けることになるでしょう! どうかエーテル体規模の宇宙見地で考えれば、答えは自ずと自然に視えて来ます。 周波数高い高次元レベルは、何事も瞬時で超特急ですからねー。 分かり易く言えば、右脳(=光)の速度ですよ。瞬きよりも速い! 左脳の言語や思考はかなりの時間とスペースを要してしまいます。 そして表現しきれない。 本来の量子的表現の媒体は、光のレベルなのです。 また光レベルに物質的貨幣は量子力学的に存在しえません。 しかし質問者さまの思考追及は素晴らしいと思います。 どうか低周波レベル(=物質次元)をスポットに考えられるのではなく、エーテルレベルで思考されて下さい。 もう既に地球でもエーテル体の科学方程式は出来ております。 求道心熱い質問者様なら、エーテル体はご存知だと思います。 誰でもその次元に立てるか?がミソですが、あなた様の粘り強さなら出来ると思います。 しかし粘るという事は重量的にも素粒子に入って行けず浮遊状態(=宙ぶらりん)にもなるので、 そのバランスにだけ気をつけられれば大丈夫だと思います。 力学的にも決して力まず、サラッとフワーッと軽量にて 楽しくがんばって下さい! そしてこれを読んで意味不明で終わらせないで下さいね。 あなた様を信じております。
お礼
弱りましたねぇ。ううーん。まづはご回答をありがとうございます。 量子力学は当然のこと 自然科学一般について ふつうに無知です。 ですから 弱りました。 《光》は 言葉・貨幣・法律の現象する世界と通じている。のではありませんか? だとすると 《光の瞬きよりも速い速さ》とこの経験世界を取り巻く《エーテル世界》とは それほど互いに離れていない。というように感じるのですが とんちんかんな見方でしょうか? もし回答No.1の方の見方にわたしなりに従って考えるなら 仮りに《言葉・貨幣・法律は 量子性とはかかわらない》と見るときには それではこれらは――《虚妄》だとしても―― いったい何なのか? つまり 虚妄として 量子性から言わば独立したものごとがこの経験世界には 現象している。 こういう認識でよいのか? と尋ねることになると思うのです。この点は とんちんかんではないと思っているのです。 どうか ここから先についておしえてください。
- 雪中庵(@psytex)
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>有限な存在性は、本質的確定化によって無限発散(=無) >に還元される原理性を把握せずに、経験的に階層現象を >表面的に捉える事(量子性の潜在化)によって生じている。 >つまり、間違った分だけ生じているのだ。 と書かれている。 階層現象性を表面的に=いい加減に捉える事で、有限な 存在性(お金や言葉)は生じているという事だから、 「量子相互作用は 言葉・貨幣・法律にまで及ぶか?」と いう問いへの答えは、否であろう。 根のない果実(虚実?)に、大地の栄養は届かない。 量子性を環境に適応する物理とは、そうした虚妄を無に 還元するもの以上ではあり得ない。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ええっ? このお答えでいいんですか? ずばり結論を初めに言えば さらに問いをかさねる形においてこうです。: ○ 言葉・貨幣・法律は 量子相互作用が及ばないところで《有限な存在性》として《間違った分だけ》として生じている。と基本的に理解しましたが だとすると 《及んでいない》からには 量子性の《本質》としての《無に還元する》ことはかなわないのではないですか? 量子性を環境に適応(適用?)する物理において 言葉・貨幣・法律なる《虚妄》は 量子性とは切れている。のではないですか? 《大地の栄養の届かない根のない果実(虚実?)》として生じている言葉・貨幣・法律は すでに初めから終わりまでそのように《虚妄》としてのみ現象している。のではないですか?
お礼
ご回答をありがとうございます。 いまの段階で知りたいことは 次です。: ☆☆(No.2お礼欄) ~~~~~~~~~~~~ つまり 虚妄として 量子性から言わば独立したものごとがこの経験世界には 現象している。 こういう認識でよいのか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ それについて 《正解はひとつではない》ということでしょうか? ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 虚妄、虚構、幻想、具象、幻覚、空想・・・・・、全てが周波数と周波数の現象であり化学反応で 新しい波動を生むのでどれも正しいのです。 いわゆる「無限」であるという事です! ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ と説明されても・・・。 つまりは 《化学反応》であるなら 量子性とつながっていないとおかしい。のではありませんか? 《無限》をここで持って来られても・・・。(何とも反応のしようがないような)。 つまり ★ 量子との調和共鳴=解脱 ☆ と言われちゃってもねぇ・・・。 ありがとうございました。