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原爆投下を避けることはできなかったんでしょうか?
- 先日、広島原爆の日の平和記念式典に初めてアメリカの政府代表が出席したというニュースがありました。ただ謝罪の言葉は無く、アメリカの世論もあの原爆投下を正当化する意見が多いと聞きます。
- 唯一核兵器をしかも二度も使用されるという最悪のシナリオを辿ってしまった歴史はもう変えられませんが、もし仮に当時この流れを変えられたとしたら、多くの民間人を救えたはずです。
- アメリカは実験として原爆を使用したとも言われていますが、当時、原爆投下を避けることができた可能性は全く無かったのでしょうか?(少なくとも2発目の投下は回避できてもよかったんじゃ…)
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はい。避けられませんでした。 理由は2点あります。 ・歴史上初の"戦略"兵器となる核爆弾の実戦での性能テストのため ・当時根強く残っていたカラード(有色人種)への差別意識のため 共産化した、ソ連へのけん制のためにも、両者の条件がそろい、 かつ交戦中であった日本で、原爆の実験を行う必要性があったのです。 だからこそ、ポツダム宣言では、無条件降伏であることが当初の前提でした。 それまでにも、実は日本側では停戦についての合意を探る要請があったにも 関わらず、それを蹴ったのは、「原爆を落とす」ことが決定事項である というのが、トルーマンをはじめとする合衆国政府高官と、軍部の共通認識だったからです。 前提なのですから、原爆の投下は不可避でした。
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- k16399638
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漫談です なんか、アイタタタなデタラメや、断言が…… こういった話題になると(;^_^A とりあえず、アメリカの事情を考えてみましょう。まず、45年4月12日にルーズベルト大統領が急死し、トルーマンが副大統領から大統領になります。原爆計画も引き継いだわけです。 アメリカは「ダウンフォール作戦」、つまり日本本土上陸作戦を計画します。これは九州と関東に上陸して、本土決戦、のち日本野戦軍壊滅、のち降伏、といった流れを想定していましたが、 1)沖縄、硫黄島で準備して陣地にこもっている日本陸軍の恐ろしさを、米軍が知ってしまった 2)戦費の調達見込みが不透明だった 3)いずれにせよ、アメリカ史上最大の損害が米軍にでることにはマチガイがなかった 4)戦略爆撃と、潜水艦による封鎖攻撃で、日本経済そのものが崩壊しつつあった ので、やめよう、という声が大きくなります。 が、結局「早期終戦のために決戦」をとなえる勢力が押し切って、計画立案命令がマッカーサーに下されます。 ポツダムで「原爆実験成功」と聞いたトルーマンには、上記の事情がありました。 ・原爆がある ・ソ連が参戦する前に、英米だけで日本を屈伏させることが、これで可能になった なら、損害の多い日本本土上陸決戦なぞ、することはない、ので、トルーマンはダウンフォール作戦を中止させます。 原爆を使うことを選んだ瞬間でした。 日本側は原爆実験も、原爆の配備も知りませんでした。 だから日本側による阻止は不可能です。同時に、原爆が敵にはあるから戦争やめよう、という判断もできません。 日本のアメリカ側暗号解読の努力は、8月11日には米軍暗号の解読でnuclearという文字を発見できるところまで行っていたのですが、これも遅かったわけです。 また、ポツダム宣言についての日本側声明を、同盟通信が「ignore it entirely(無視)」、ロイターは「Reject(拒否)」と翻訳報道してしまったので(日本側は「黙殺」と表現しました)、やはり落とす、という方向に傾いたと言えるでしょう。 なので、落とさせないためには、それこそナチスと手を切る、2・26事件が拡大して日本が内乱状態に陥る、ハル・ノートを受諾する、それか、満州国を英国が承認しアメリカも承認し日中戦争を日本がやめることができる、ノモンハン事件が拡大して日ソ戦争になる、東条英樹暗殺計画が実行され成功し海軍政府が樹立される、位のことが必要ではないでしょうか。 3発目の目標は、小倉、京都、がありえたといいますが、こればかりはもうわからないでしょう。ただ、どんなにはやくても8月20日にならないとテニアンで原爆が組あがらないので、それ以前ということは、ありえないと断言できます。 虚しいですが、広島に来たB29を日本側は探知し、呉の155ミリ高射砲が発射準備を終え、電探情報で照準をあわせていました。これが発射されたら、どうなったかわかりません。 エノラ・ゲイは射程内にいました。
- gadovoa
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アメリカはドイツが最初に原爆を創ると恐れていました。 だから、亡命したユダヤ人をアメリカに呼んで原爆を作らせたのです。 そして原爆は最初ドイツに落とそうとしました。 しかしあまりにも早くベルリンが陥落したので、 ターゲットを日本に変えたのです。 アメリカさんはどちらにせよ、 落とすつもりでいたんです。 落とさなくては威力がわからないですから。 3発目は札幌に落とすつもりでいました。 戦争とはそんなもんです。
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原爆投下を避けられたはずの唯一の方法は、投下前に降伏することしかなかったと思います。 東京大空襲の後とか、ドイツの降伏後など、降伏するタイミングはいくらでもあったはずです。実際7月にも降伏に大きく傾いた時期があったという話を、以前聞いたことがあります。 5月にはヨーロッパの同盟国ドイツが降伏していますが、既にその前に東京大空襲や沖縄戦など、敗色濃厚となっていました。普通の精神状態ならドイツの降伏は大きな影響を与えるはずですが、当時の日本、特に軍部はもう半狂乱だったんでしょうね。 せめて二発目は…と、私も思いますが、3日後とはあまりにも間がなさ過ぎです。当時の情報伝達技術、情報処理能力に加え、軍部や政府の混乱状態を考えると、広島の後2日以内に降伏というのは難しいと思います。実際、広島、長崎と原爆が投下されながら、降伏したのは長崎の6日後ですから。 というわけで、現実が全てという気がします。 歴史にもしもはないとわかっていても、この問題はやっぱり「もしも…」って思ってしまう事ですよね。私は北海道民なので、特に降伏の時期については原爆投下だけでなく北方領土問題も関わってくるので、もっと早く降伏してほしかったといつも思ってしまいます。
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- kuni-chan
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アメリカ政府が原爆投下を回避する気持ちがあれば、避ける事ができました。 言い換えれば日本に原爆を落としたくて仕方がなっかったと言う事です。 原子爆弾の破壊力は通常の爆弾と比較になりません。このような兵器を持っている事を世界中に見せつければ大きなアピールになります。また、膨大な費用を注ぎ込んで開発したのですから、使わないとすればあの費用は何だったのかと批判されます。実験で威力はわかっていましたが、人体実験はしていません。 ドイツが先に降伏しましたので、ドイツに落とす事はできなくなり、人体実験をする国は日本しか残っていませんでした。戦争ですから勝ちさえすれば何をしてもチャラになります。 日本は戦争を終わらせたい気持ちは持っていました。無条件降伏で日本の国自体が消滅する事を恐れていましたから、中立のソ連に停戦の仲介を依頼していました。ソ連自体が日本を侵略したかったのですから停戦の仲介などまともにするはずがありません。 アメリカはヤルタ協定によりソ連が8月9日に対日戦を仕掛ける事を知っていましたから、「あなたが頼りにしているソ連は裏切りますよ」と第三国から停戦の仲介者を立てて交渉すればまとまっていた可能性があります。「日本は独立国として残るし天皇の戦争犯罪は問わない」となれば少なくとも拒絶は無いでしょう。 アメリカは無条件降伏しか認めないという態度でしたから、当時の政府に交渉の余地はありませんでした。これは原爆投下の為に戦争終結をわざと遅らせたと疑いを持たれても仕方が無いでしょう。
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- rin00077
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日本がポツダム宣言をすぐに受諾していれば、いくらアメリカでも 原爆を落とさなかった可能性はある。 ただし、ポツダム宣言には「立憲君主制の存続を認める」という 文言があとから消されており、それにはアメリカの悪意が感じられる。 したがってアメリカ大統領トルーマンは、日本が降伏しないことを 十分わかっていた。(トルーマンの日記にもそう記されている) またアメリカは原爆投下の事前通告を日本にしていない。 これに反対したのは確かバード少将だけで、あとの高官に意義はなかった。 つまりアメリカは戦争に勝つためではなく、原爆使用に何か別の意図を もっていたため、どうしても原爆を使おうといろいろ事前工作をする。 そうなれば日本が原爆投下を回避するのも難しくなる。
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- HANANOKEIJ
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原子爆弾を使用した罪は、戦争だからといって、免罪されません。その罪を償うべきです。 もし、もし、「神」がいるなら、核兵器を使用した人々に、同じ苦しみを与えるでしょう。 "The government of the atomic bomb,by the atomic bomb,for the atomic bomb shall perish on the earth." 夢のようなお話は、やめて、先日のNHK特集で、原爆投下に反対した人々が、アメリカ合衆国の軍部にも、政府にも、科学者のなかにも、たくさんいたことがわかりました。原爆投下の責任を負う「悪魔の手先」は、ごく少数の「鬼畜」でした。トルーマン、バーンズ。 とにかく、情報公開が、一番重要です。 原子爆弾の被害に関する調査を、日本国の科学者、医師、研究者が、膨大な資料にして、アメリカ合衆国に出しました。これは、相手の心証をよくするため、だったそうです。 アメリカ合衆国が、核兵器を廃絶するようなことを、幻想をもってはいけません。核兵器、実際に使用された、原子爆弾の人体実験を世界に公開すべきです。 何も知らないと、同じ事を繰り返します。
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- gamajah
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#2さんの意見に概ね賛成です。 ウラニウム型とプルトニウム型の2つのタイプの新型爆弾だからこそ、一つずつ、実戦で使う必要があったんです。 ゴーサインを出した当時の米大統領は、そもそも使用に積極的だったらしいです。(この人でなかったら、もしかしたら使われなかったのかも・・・?・・・ないか?) 日本人は、世界の端っこから急成長してきたなんだか気色の悪いちょこまかした奴ら、というアメリカ側の捉え方(黄禍論だっけ?)。 もともと白人が持っている有色人種にたいする人種差別意識。 共に、中国大陸へ遅れて進出(「当時の感覚」だと、「今の感覚」で言う侵略ではなくて、あくまで進出でしょう)してきた、「新興国どうし」としての一種のライバル心(潜在的には自分らが無条件で上)。 パールハーバー(結果としての卑怯な奇襲) ・・・・・・・・・・・・・etc. 思いつくままの羅列ですいません。他にもあるでしょうが、 以上のようなもろもろの事情により、原爆を落とすならばJAPに対してが、もっとも自然だったのかもしれませんね。 落とされないで済んだ可能性は、限りなくゼロに近いだろうと思います。
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- sotom
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戦争そのものと原爆投下に、どこまでの因果関係があるかどうかですが、 無関係とは言い難いでしょう。 日本には戦争終結への決断が鈍り、その結果、戦死者が増えました。 勝敗に関しては、1944年には明らかだったと思われます。したがって、この時点で 降伏を選択しておけば、本土大空襲も原爆も無かったかもしれません。 アメリカの原爆投下は、実験だけでなく、ロシアの日本侵略に対する自慰行為と いう意味合いもあったと思われます。その意味では、降伏しても、米軍が原爆を 使用していたかもしれません。 いずれにしても、ifを前提に歴史を語るのは愚かで不毛です。どうせなら、 過去の結果としての現在よりも、未来の原因としての現在を重視するべきでしょう。 過去は、どう足掻いても変える事は出来ないのですから。
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- tpg0
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当時の情勢では原爆投下は避けられなかったでしょうね。 原爆を投下された事で一気に戦争終結に向かった事は事実です。 被爆者も悲惨でしたが、それ以前に各地で空襲によって犠牲になった民間人も多数いた事を忘れないで欲しいです。 私の祖父母(父方)も1945年3月10日の東京大空襲で犠牲になってます。 長崎原爆被害者7万4千人を上回る10万人が東京大空襲で一夜で亡くなってます。 最後まで空襲による火災の消火に努めてた父は逃げ場を失い焼死を覚悟したそうですが、幼い子供を庇うように焼けていく近所の親子達を目の当たりにして、この年の正月に母と幼い姉2人が母の実家に疎開してる事を思い出して火の海を防火用水を全身に被りながら逃げて助かったそうですが、空襲の様子は地獄絵図のようだった事は容易に想像出来ます。 それでも、日本は徹底抗戦を唱え、翌月4月には戦艦大和ほか護衛艦数隻が無謀な作戦で撃沈されてます。 この無謀な作戦で海軍将校だった伯父(母の兄)も戦死してます。 同年7月26日のポツダム宣言は、当時の日本政府は一笑に付してます。 そして、8月6日の広島原爆投下を招いたのです。 それでも日本政府は動きませんでしたから、9日の長崎原爆投下でした。 同日、ソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告をした事で急遽、御前会議が開かれました。 その中で新型爆弾(原爆)の議題があったかは不明ですが、原爆投下によってソ連の宣戦布告があった事は、6日のソ連軍満州侵攻と9日の宣戦布告を考えても影響があった事は明らかだと思います。 終戦の玉音放送で昭和天皇の「朕は、帝国政府をおして」の件は、9日の御前会議が無かったら、先延ばしされて、第3・第4の原爆投下を招いたかも知れないのです。 狂ってた日本政府の目を覚まさせるキッカケになったのが、原爆投下だった事は間違いないです。
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どうなんでしょうね。 歴史にIFは無いようですが。 当時の日本は、ソニーもトヨタもニンテンドーも、そんな国際的な Cool Japanイメージはありませんで。 今でいう北の将軍様の国のように、いや、それ以上にアジア圏を 占領しまくる、ファシズムで好戦的でわからずや。 話しても資本主義理屈の通じない東の端っこの変な孤立民族という 認識でしょうから、使いやすかったというのはあるでしょう。 逆に、日本も「鬼畜米英」認識ですので、核があれば躊躇なく使って いたでしょうし。 また、確かにロシア参戦予定があったようで、北から上陸作戦を考え ていたようです。 アメリカとしては、次の仮想敵国である共産主義国家ソビエト連邦の 近所に地理的に布石は欲しいと思うでしょうから。 (アメリカで言うキューバのように、地理的な近所に基地がほしい) 日本の北半分はソビエト連邦、南半分はアメリカといったような今の 朝鮮半島のようなことになるとややこしいので。 時期的に早めに全面降伏が欲しかったのは事実だと思います。 あと、兵器はやはり実戦投入したいというのが人の性でしょうし。 いくら非人道兵器でも、上陸作戦をしてしまうとたくさんの死者が出 ますので、兵隊家族の補償問題発生などを考えれば安価に済むという のもあるでしょう。 また、2発落とさないと「次もある」という恐れを出させにくいとい うのもあるでしょうし。 核が何で、非人道兵器でという認識が民間人でできたのももっと後の 時期だったことでしょう。 状況的には、そういうシチュエーションが揃ったので使ったという ことで、歴史にIFは無いわけですが。 核を使われた側としては、得てして腑に落ちないわけであります。 なお、8/15は、日本は「終戦記念日」、敗戦の日なのでしんみりする 日ですけれども。 アジア圏では、勝利&独立&解放の日、お祝いの日です。 いろいろな考え方を学ぶ必要があるでしょうね。
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