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★夏目漱石 草枕について★

★夏目漱石 草枕について★ 最近夏目漱石の著書を読むことにはまっていて その中のひとつ、「草枕」について 疑問がわきました。 人の世が住みにくいことをうたっていますが なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。 例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。 分かりやすい解説・意見お願いいたします。

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  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.2

漱石の一愛読者です。 >なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。 >例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。 小説中に小説家が登場したり、主人公が小説家(芸術家)だったりする小説が一般化したのは、もう少し後の時代になってからでして、「草枕」などはその先駆と評し得るかもしれませんね。 明治期では谷崎潤一郎の「刺青」の刺青師、大正期になると芥川龍之介の「地獄変」の絵師、「戯作三昧」の馬琴などが比較的有名な例かと思います。 昭和になると、中島敦、太宰治、三島由紀夫等がわりと好んで小説家(詩人、芸術家等)を登場させたがったと言えるかもしれません。 こうして並べてみると、いずれも素直な?ひねくれ者ばかりというのが面白いですよね。 思うに、より古い小説家たちほど、もっぱら「何を書くのか?」に興味・関心を示したがったとすれば、より新しい小説家たちほど、本当に大切なのは《何を》ではなく、「《なぜ》書くのか?」という、実に厄介な、しかしより根本的な難問と向き合わざるを得なくなったのではないでしょうか。 こうした事情については、西洋でも同じでして、フロベール以降20世紀初頭にかけ、小説家を主人公にした小説が多く輩出されるようになりました。 以上を踏まえた上で「主人公を”画家”に設定した」理由について考えてみますと、美が「人情」と「非人情」との中間にしか存し得ない以上、漱石としては、あくまでも那美さんとの間に常に適切な距離を挟み、ひたすら那美さんを眺めることに徹する視点(観察主体)を設定する必要があったはずです。 その際、対象との関係という点では、特に美人の那美さんが相手となると、「人情」(色恋)に溺れがちな「作家」よりも、職業上「非人情」に徹しやすい「画工」の方が対象をより沈着冷静に観察、凝視させやすいと考えたのではないでしょうか。

その他の回答 (1)

  • bakansky
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回答No.1

作家としたら、ストーリーが全く変ってしまうでしょうね。 自然の中に溶け込む感じは画家という設定があればこそでしょう。 作家だったら、自宅の書斎で原稿に向ってればいいわけですから、自然と接する必要がないともいえるでしょう。 画家という設定が、人の表情を観察する設定にも合う。 最後に、かつての夫だか何だったか(忘れちゃいましたけど)が出征していく列車を見送る女性(名前が思い出せませんけど)の表情の変化を鋭く見抜いたのは、作家よりも画家という設定の方がぴったりだという気がします。

noname#230917
質問者

お礼

すばらしい。なるほどですね~、草枕は自然の美や動きの美がとてもよく表現されていますが、画家という設定にすることで、もっと生きてくるんですねえ。とても参考になりました。ありがとうございます!

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