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夏目漱石の悟り

『漱石先生ぞなもし・続』のなかで、ある者が『先生にとって悟りとは何ですか』と問うたところ、 漱石は『彼も人なり、われも人なり』と答えたとあります。 解釈は様々でしょうが、悟りの境地には至らないが、悟った先人達もまた、人なのであるから、 自分も又いつかその境地になることも可であると言ったのではないかと私は思うのです。 が、ある本で、悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことであると 漱石が語ったのだと解釈されていたのがどうも腑に落ちません。 漱石の禅とのかかわりから考えて、明治38,9年頃の漱石が悟った人として自分を捉え、 弟子にかくかくと言うとは思えないのですが ご意見伺いたくお願い致します。

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  • neil_2112
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回答No.2

>悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことである  これは大乗仏教での悟りの定義のひとつです。言葉で言おうとすると、大体このあたりに落ち着く、という風に相場が決まっているわけです。ただ、漱石の答えがこれを意味していたとはどうも思えません。  漱石は禅についての問題意識を持ち続けた人です。ご承知のとおり、『行人』の最後のほうに、香厳というお坊さんのことが書かれています。聡明にして博学だった香厳は、師から「父母未生以前、本来の面目は何か。お前の言葉で言い切ってみろ」と問われて、答えに窮してしまいます。いくら頑張っても、借り物の言葉でしか答えらしいものが語れないからです。  この香厳のエピソードを、漱石は自身の体験になぞらえて理解していたのだと思います。『門』にもあるように、彼は二十代のおりに鎌倉の寺院でぶっ通しの参禅をし、釈宗演という老師から香厳と同じ「父母未生~」の公案を示されているのです。  漱石も何か答えようと何度か試みます。しかしその度に老師から、「そんなものは少し学問のある者なら誰でも言うことだ、もっとギロリとしたところを持ってこい」、とさんざんどやしつけられ、結局は挫折するわけです。  聡明な人間が、ともに自分の言葉で真実を語ろうと模索するものの、師匠から「頭がいい奴は気のきいたことをいうもんだ」などといなされ、ゆきづまる。図らずも漱石は香厳と同じ境遇にたつ強烈な体験をしたわけです。恐らく漱石はそのことを強く意識したことでしょう。  ただ、二人のその後の人生は大きく違っています。香厳は、「画餅では飢えをどうすることもできない。自分にせめてできるのは修行者の世話ぐらいだ」と、持てる一切の論書を焼き捨てて、一介の飯炊き僧として年月を重ねる生活をおくり、やがて忽然と大悟を得ます。一生をかけて彼は、ゆるぎない自分の答えを得たわけです。  一方の漱石はといえば、参禅のあと作家として順調に大成し、名を知らぬものとてない大先生となってゆきます。けれども、恐らく心中にはあの体験が未解決のまま残されていたでしょう。だからこそ、晩年作の『行人』の中で、主人公に「自分は香厳になりたいのだ」とまで言わせたのです。似た体験を共有するはずの香厳に比してみた時、漱石には、自分には解決をつけていない問題がある、と感じられていたことでしょう。  ところで、最晩年の漱石は、二十歳そこそこの若い雲水たちと不思議な交流を持っています。既に大家であった漱石に、「返事を下さい」と無邪気なファンレターを送ってよこした修行僧の天真爛漫さに感じるところがあったのか、手紙のやりとりをするばかりか家に泊め、いろいろと立ち入った相談まで持ちかけています。挙句、「五十の歳までグズグズしていた自分に比べ、もう既に修行しているあなた方は幸福だ、あなた方は尊い方だ」、そして「自分が死んだらあなた方に引導を渡してほしい」とも言ったようです。  その心中について解釈は色々あるようですが、香厳の一件が漱石のなかで未決のまま残されていたことが、天衣無縫な若い雲水の姿に漱石が手もなく憧憬に似たうぶさを見せたひとつの理由ではあったと思います。  それと同時に、晩年の漱石自身が、ちょうど書を焼いた香厳がそうであったように、日常茶飯底のふるまいをきっちりと行うことに禅らしさを感じるようになっていたのではないか、とも思います。日常を日常としておこなって何ものにもとらわれないでいること、つまり悟りうんぬんということからも自由であることが禅の目指す生活である、そういう感覚を漱石は持つようになったのではないか、それゆえに若い無邪気な僧侶の(落としたビフテキを「もったいない」といってそのまま食べるような)天衣無縫な行動に対して周囲も驚くほどにことさら共鳴したのではないか、と思うのです。このあたりは全くの想像なのですが。  いずれにせよ、(発言の時間は少し前後しますが)そういったことをふまえて改めて「彼も人なり、われも人なり」という言葉を見ると、単に「仏も人だったのだから、私だって」と漱石が語ったのだとは受け止めにくいところがあります(用法を見ても、その意味で使うなら通常、「仏も人なりき」というように、もっぱら過去形で語る場合のほうが多い)。  むしろ、漱石のなかでは、世間的には大先生であるはずの自分を何とも思わない若い修行僧のように、地位や名誉、利害得失や右顧左眄を離れておもねることなく、ただ球が転がるかのように日常を送ることがどうやったらできるか、ということが悟りの問題と関係づけられていたのではないかと思います。  つまり、普段の社会は「人と人」とは言いながら、それを覆う条件が複雑に絡みすぎていて、しかも(漱石の言うところでは)小さな「我」にとらわれた個人主義の生活ばかりが営まれがちだけれども、本当に「人と人」として恬淡と毎日を生きることができないものか。「彼も人なり、われも人なり」とは、禅についての問題意識を一生持ち続けた漱石ならではのそんな思いの表われたものではないか、という気がするのです。

yasuihana
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 漱石と書生とのやりとり『悟りとは』 ふと目にした書籍にあった、「これは我も彼もの幸せを願うことであると漱石が解して答えた、さすが漱石先生...」という、 この悟りとは何かを悟っていた漱石、という感触がどうしても納得できず さりとて、私の解釈も同様に短絡すぎると、延々と引っかかってしまい これも執着かと自省することもありました。 『行人』『門』も再読していた次第です。 幸い、私の偏執のような疑問に、真正面にご回答を頂き、今回もneil_2112様の回答を拝見して、この質問を投稿してよかったと 心より思っています。 禅への関心が私自身にあって、禅への思い深い漱石の作品に投影しつつ考え続けています。 neil_2112様のご回答に、言葉で答えるには、私自身の思索がたりないことと思うばかりです。 見性も悟りも経験していない私が、理論で悟りとは、の正答を導けるはずもありませんが、 漱石が追い求めていた、そして重ねていた思考、見識、そういうものに出来うるかぎり理解を深めていきたいと改めて感じています。 今一度、漱石の作品を紐解きながら、これからもずっと再考していきたいと思っています。 私の質問に心を留めて、誠心のご回答をいただき、本当にありがとうございました。 学ばせていただいた思いで一杯です。

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  • Ganymede
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回答No.1

「彼も人なり、われも人なり」は、普通「彼も私も人間であることに変わりはないから、努力すればいつか追いつける」というような意味で用いられます。したがって、ご質問者の解釈(「自分も又いつかその境地になる」)はごく常識的です。しかし、この場合は当てはまらないだろうと私は思います。 そもそも、「先生にとって悟りとは何ですか」が愚問であることにお気づきください。「麻生太郎にとって悟りとは」とか、「夏目金之助にとって悟りとは」という問いには意味がありません。めいめいが「悟り」を定義しても、「野狐禅」のたぐいにしかならないでしょう。 また、「悟った人 = 仏陀」が仏教の教えではないでしょうか(漱石も禅寺で座禅を組んでいた)。私は知識が乏しいので、仏陀以外に悟った人がいるのかどうか知りません。それにしても、「悟った人」はもはや人ではないでしょう。「彼も人なり」とは、「かの人々は悟ってない」ということです。「われも人なり」とは、「漱石も悟ってない」ということです。今後も、人である限り悟れないでしょう。だいたい、悟った人が、小説なんて猥雑なものを呻吟しながら書くはずがありません。 次に、「悟りとは我がことのみにとらわれず、人の幸せを願うことである」についてですが、「太郎が悟った」、「金之助が悟った」と言っても意味がないと漱石は思っていたでしょう。「太郎や金之助を去って、たとえば他人の幸せを願おう」、「しょせん、人である太郎や金之助は悟れないのだから」、「これが、せめてもの擬似悟りかも知れぬ」。 つまり、漱石は「自分は悟ってる」とも、「いつか悟ることもあり得る」とも思ってなかったのです。悟れもしないくせに座禅の真似事をしている私とは何者なのか。答のない憂鬱な問いが、近代の知識人としての彼の参禅だったのではないでしょうか。

yasuihana
質問者

お礼

詳しくご回答いただき、ありがとうございます。 悟りとは何かという問いに答えた漱石の心中を察するには 私はあまりに浅学であり、又あまりに『人』なのであろうとGanymedeさんの答えを拝見し、あらためて痛感しています。 悟りとは何か、確かに愚問です。 しかし愚かゆえに聞きたい、しかし悟らねばわからぬ答えなき答えであり、 仮に仏陀に聞いたとしても、悟らぬものにわかるはずもない。 答えのない憂鬱な問いと、生涯真面目に向き合おうとした漱石であったのだと また関心を深めることが出来ました。もっと考えていきたいと思います。 本当にありがとうございました。