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相対性理論によればAとBが同じ系にいれば同じ早さで時間を刻み、Aに対し

相対性理論によればAとBが同じ系にいれば同じ早さで時間を刻み、Aに対してBが加速度運動をすればAの時間の刻むスピードに対し、Bの時間の刻むスピードが遅れるますが、AとBの速さが違っても Aに対するBの速度が一定ならAとBの時間の刻むスピードは同じです。なぜだとおもいますか?っていうか、どのように時間を考えればいいですか?

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回答No.2

文中に「加速運動をすれば」という言葉がありますが、違います。 少なくとも、相対運動による時間的遅れを指摘した特殊相対性理論においては、等速直線運動を対象としており、互いに相対的に運動して見える運動体は、「互いに」時間が遅れるのです。 「時間が過ぎる」というのは、変化する事です。 ところが光速で運動すると、その物体の内部の相互作用の運動量が、運動方向へのベクトル(光速)に費やされ、変化する事ができなくなる=時間停止するのです。 物質の根源と考えられているスーパーストリングも膜理論も、そこで相互作用するのは量子=光速であり、光速以下でもあり得ず、光速以上にもなり得ません。 実はこの世界には、“光速しか存在しない”のです。 ただ、そうした原理的本質を把握せずに、階層的な現象を表面的に捉える時、仮説的に非光速性(超光速の過去化(経験としての時間性)と、光速下の未来化(予測としての空間性)の対発生)は可能になり、時間の流れは生じているのです(仮説=認識可能性における時空仮説)。 相対性理論における「相対運動」による時間の遅れは、互いに相手の時間が遅れることを意味します。 即ち、運動ごとに異なる時空が派生していると言えるのです。 素粒子レベルにおける経路積分での、「素粒子の相互作用において、Aの状態からBになる確率は、途中の色々な可能性のそれぞれの確率を足したもの」=素粒子は複数の経路を経る、というものもあります。 それは原理的な話にとどまるものではなく、完全に1個、2個と数えられる電子を、1個ずつ二本のスリットに向けて発射すると、その向こうのスクリーンには、二本線ではなく、干渉縞が描かれる=電子が2つのスリットを同時に通り、自分で干渉し合うのです。 即ち、「この世界」は“1つのもの”ではなく、無数の世界の重ね合せの産物なのです。 無限不確定性の潜在としての認識可能性=自我仮説に対する相補的対発生として、時空仮説は得られるのです。

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  • yokkun831
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回答No.1

厳密には一般相対論の問題になると思います。 加速系Bでは,広義の重力である慣性力があるために「重力場における時間の遅れ」という現象が起こります。 BがAに対して速度一定であるならば,Aを慣性系とするならBも慣性系,Aを加速系とするならBも同等の加速系となり,両者の時間は対等になります。