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ラクスマン来航について

ラクスマン来航について 1792年にロシアの使節団のラクスマンが日本人漂流民を連れて根室に来航しました。 そして日本に通商を要求してきましたが、日本はそれを拒否しました。 日本は何故拒否したのでしょうか? そしてその幕府の対応に対して当時の知識人たちは批判をしていますが、何故批判したのでしょうか? できれば教えていただきたいです。 補足 知識人たちが「鎖国」政策に限界を感じたのは理解できましたが、なぜ限界を感じたのでしょうか?

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  • rch66426
  • ベストアンサー率28% (4/14)
回答No.1

当時鎖国をなぜしていたのか知っていますか? ・・・キリスト教が入ってこないようにです。 ロシアはキリスト教国だったんですね。だから拒否しました。 またこの後も色々外国が日本にやってきてあるときフェートン号事件が起こりました。これによりまたこんな外国にかかわったおかげで事件をおこされては困る、と思い日本は異国船打払令を出しました。しかしそのあとにも外国はたくさん日本に来ます。そんなんでまたフェートン号事件と同じ理由で(日本人漂流民を日本に返すため)来た船、モリソン号がありましたが日本は異国船打払令発令中です!!そんなんで日本はモリソン号を攻撃しちゃいました。(モリソン号事件)・・・そりゃー知識人達は批判ありありですね。ただ漂流民届けようとしてくれただけなのに打っちゃたんですから、、、

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