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あなたは神を信じますか?

あなたは神を信じますか? 生き物を超越し意思を持った何かを、信じますか?

みんなの回答

回答No.23

いないと、思いたい。逆に。 宇宙や地球や人間やゾウやキリンやウシやウマやネズミも 全部神が造った。 もちろん私も、あなたも、全部神が造った。 と言うオバサン二人組がよく家の玄関に来るけど。 神に支配されて、神の監視の元で生まれて死んでいく人生って、気持ち悪くてしょうがない。 すべてのことは偶然から生まれて、それが奇跡なんだっていう科学者の話のほうが好き。

noname#114400
noname#114400
回答No.22

>あなたは神を信じますか? 神は私にとって現実に存在すると言ってよいです。 その理由は私の知覚を統制しているからです。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.21

意思ある神はあまりにも人間臭くて信じられませんが、人々の心の中に、 シバ神や、大国主之命や、ゼウスや、キリスト教の神や、ユダヤ教の神や、 仏教の仏や、イスラムの神など、多くの神々を生み出した「意思はないけ ど、そのような働きを持つ」神は信じます。「神」は働きはあるが意思ある 存在ではない。

回答No.20

きぐるみ着た神はDQNであると考えられるwww

回答No.19

信じにゃい

回答No.18

 こんにちは。  ★ 生き物を超越し意思を持った何かを、信じますか?  ☆ 《生き物を超越し》ているということは 《この経験世界を超えている》と採っていいですか?  でしたらその場合には その超経験なる何ものかをひとは見たことも論証したこともないわけですから そういう意味で《その何ものかを人間は想定している》となります。そして じつは その想定の上で《かみ》ならカミと呼びこれを心に受け容れるなら それは人間の言葉で《信じる》とよぶ行為であるとなります。  そのカミが《意思を持った何か》であるかは すでに《信じた》ひとが その神の属性をさらに想像し想定しているということになります。架空の上の仮想です。    もとにもどって では《信じる》とはいったいどういうことか?  《〈この世界を超えた何ものか〉を想定する》とは どういうことか?  その想定したものをかみと呼びこれを受け容れるとは どういうことか?    《非思考》という領域であり そういう行為だと思います。  経験世界を超えた何ものかを想定したということは とりもなおさず経験思考に非ずということです。つまり 非思考という場でありそれと《わたし》との関係 これが 《信じる》という心の伸びであり明けです。  想定としてこの世を抜け出たかのような場を持つということは あたかも心に窓があるかのような事態です。架空として その心に明けが出来 その明けに向けて心は伸びます。伸びるかに感じるかも知れないという事態です。  なぜわざわざこのような架空の場を考えなければならないのか?  考えるのではなく 考えないでいても 経験思考の及ばない場があるかも知れないとひとは思うことがあるからです。人間の感性にも理性にも 限界があります。あると思われます。限界の内では 科学が活躍します。あるいは言いかえると この限界も境界もじっさいには分かりません。あるか無いか これすら分かりません。人間には 分かるか分からないかが 分からないのだと思います。  だったら 謎の何ものかという想定は 誰もがみとめなくてはならないでしょう。  つまり 超経験の非思考 このこと自体は 想定として誰もが認めざるを得ないと思います。  その上で このなぞの何ものかを さらに《かみ》と呼ぶかどうか あるいはそれを心に受け容れるかどうか これは ひとそれぞれの自由だとなります。  受け容れないしカミとも呼ばないという向きは いわゆる無神論です。しかも 驚くなかれ この無神論は カミと呼びこれを受け容れる向きの有神論と同じく まったくひとしい姿として 非思考であり《信じる》なのです。《信じない》と言っているのは 有神論の説く神をです。ただそれだけのことです。非思考という土俵は同じなのです。  ひとには自然本性(感性や理性)の力の及ばない場がある。あると想定される。  このなぞの何ものかと言える場に向かい合う人間は 非思考という存在のあり方をしている。ひとは《考える》ではないというその行為を 《信じる》と名づけている。  この信じるの対象は むろんなぞの何ものかですが これをけっきょくそれが《存在するかしないか》というふうに経験思考に合わせて人間は捉えようとする。非思考は有無を超えています。しかもそれを 有るか無いかでわざわざ――分かりやすく言いやすいように――分けて捉える。有神論と無神論とである。どちらも 非思考であり信仰である。  で 有神論の側では この謎の場を 神と呼んだあとに さらにその属性を仮想して追究します。《全知全能・創造主・正義・至高善・真理・永遠・愛・慈愛・慈悲などなど》です。  無神論の側は これをちゃんちゃらおかしいと言うのだと思います。そのことに一理あるのは ひとはその非思考においては《何か概念や理念を信じるわけではない》からです。《義や善》という概念ないし言葉を ひとは信じるわけではないからです。むしろ概念や理念は信じてはいけないわけです。それは考えるの対象でもあるからです。  《われに義あり》とか《やつは善ならず》とか言えばそれは 思考の問題です。思考の対象を《信じる》のは 偶像崇拝というものです。欺瞞があります。矛盾しています。  ただし 無神論の側も 非思考の場じたいについては認めているはずです。《信じる=受け容れる=心の窓の明けを思う》というところまでは その非思考の理論のようなものとして認めることができるはずです。    これが 信仰の類型についての理論です。  わたし自身は 非力で無力ですから 信じています。

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.17

僕なりに答えてみますね。 ● <神>が何を指しているかわかりませんが、、、 完全不滅・永遠不変の実体ということであれば成り立たないのではないかという見解を持っています。 <神>が単に変化消滅する寿命を持つ生命としてならば、いてもおかしくはないと考えてます。 ● <生き物>つまり生命を<超越>・乗り越えた意思をもった何かなら信じています。 ほとんどの生命が感覚から得られるデータに対して瞬時に捏造してしまうのに対し、 データをデータのままに受け取る方を私は聖者と、なすべきことをなし終えた人・阿羅漢と呼びます。 この方々は肉体が壊れるまで、は生命を乗り越えた方として過ごすのだと思います。 涅槃で意思も心もすべて消滅するでしょうから、そこまでの間はこの定義にはまるかもしれませんね。 何か参考になれば幸いです。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.16

回答の丸投げですね。 ご自分の考えをまとめて、その説明に、賛否を問うのが、正しいと思います。 答えにくい質問でもあります。 哲学の根本問題かもしれません。「あなたは、神を信じますか?」 「神」といっても、人類が誕生するよりも、はるか昔、宇宙が誕生します。 太陽系の地球の年齢が、46億年?くらいです。 生命の出現から、人類の登場まで、38億年の時間が経過しています。 こういう、自然科学の知識のなかに、「神」の居場所はありません。 人類が、文字による記録を始めて数千年です。「神」は、それぞれの人種、民族の顔かたち、皮膚のいろをしていますし、その民族のことばを話しました。 世界的な宗教になった、キリスト教、イスラム教、仏教には、聖典があります。理論も研究されました。 ルネサンスのガリレオの宗教裁判で、「地動説は間違っていました、ごめんなさい」といったガリレオが正しかったことは、もうだれも否定できません。カトリック教会も、「ガリレオ裁判は、間違いでした。ごめんなさい。」と公式に発表しています。 20世紀には、「神」の居場所は、人間の脳からも居場所をうばわれ、ただ人の心の中にだけ、居場所を許されています。 自然科学では、物質の自己運動がすべてです。 高校までの学習で、理科と数学で、「神」がでてくることはありません。国語、社会では、「神」も「仏」もでてきます。歴史、倫理、現代社会などですね。 実際に、「神」を信じている数億人から数十億人の人々がいて、大きな社会問題(戦争、紛争、利害の対立)を起こしているからです。 絶望、不安、貧困、病苦、人の世の苦しみは、尽きることがありません。なにかにすがりたい気持ちもよくわかります。 現実は、変更できます。人間が作った制度です。不自由、不便、不合理なら、合理的、便利、自由に、作り変えればよいのです。 昨年の政権交代まで、世の中が動くとは、「信じて」いましたが、実際に、生きてこの目でみると、不思議な感動を覚えました。孟子いわく、「至誠にして動かざるは、未だこれあらざるなり。」人間の世の中は、すてたものではありません。「神」も「仏」も、日本のこの現実を、なんとかしたい、という「人々のねがい」を見捨てることはありません。仲間がいるのです。味方がいるのです。 誰が味方で、誰が敵なのか、よくよく考えてください。参議院選挙もあります。「神」が見つかるとよいですね。

参考URL:
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/index.html
  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.15

神を信じてる人の心の中に 神と呼ばれるような心の働きが在るのは承知していますが 神を信じない人 知らない人 否定した人の中にはそれも無いでしょうね 神を信じて益を得たことも多かったかもしれませんが 神を信じてとんでもない目にあったと言う人も多かったと思います 私自信は神とは縁が無くて 勉強はしましたが 良いことも無ければ 悪いこともないですねえ。 ただ歴史的に神がどう作用したかという事も よく取りざたされる事ですね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.14

>生き物を超越し意思を持った何かを、信じますか? そういうものの存在は信じません。 なぜならすべては相対的だから。 例えば雷や火山の噴火。 これを古代の人は神様の仕業だと信じており、自分たちが何か悪いことをしたから起こったと理由付けしたり、荒れ狂う神様をなだめるためお供えをすればやめてくれると信じたりしていた。 現代では雷も火山も人間とはまったく関係なく起こる現象だとわかっていますよね。 日食が起こった時「国民よ 神様はお怒りじゃ 悔い改めて反省しやがれ」という政治家はいないですよね。 海に生命が誕生して、たくさんの種類の生物が生存していたわけですが、あるとき 一気に絶滅したことが海底の地層を調べてわかったそうです。 恐らく火山の大噴火で、空がまっくろになり、太陽光線が海に注がれなくなり、植物が光合成ができなくなり死滅し、それを食っていた生き物が死滅し、、、と連鎖反応が起こって絶滅したとされる。 この方がよっぽど説得力のある説です。 「いいや 神様が地球に生命が誕生することを阻止して火山を噴火させたんだ。そういう知的生命体はいるんだ」って風なDQNな主張をして信者を募る活動をしている人もいますが、、、、。 世界を見ると多くが太陽を神としている。 日本だってそう。 確かに植物は光合成をするために太陽の光が不可欠。 食物連鎖で、まずは植物が無いとどうしようもない。 従って太陽のみに生きずにあらずといえども太陽が無いとそういうことすら言えないわけです。 だから「おてんとうさま ありがたやー」と思うのは当然。 で今のところ、地球以外に生命の存在を確認できていませんよね。 いや 人類の歴史上何人かは神様の存在を知覚した人がいた? その人麻薬でトリップしたりてんかんでそう感じただけですよね。 その人の神様は地球外にいるんじゃなくて、その人の脳の中にいることになる。 まるで童話の青い鳥みたいなもの。 いや 神様は人間一人一人の脳の中を住処としている? それを知覚している人もいるがいない人もいる? うーん、だったら、すべてを知りえている人は、とっとっとガン特効薬を作っちゃえばいいんじゃないかと。 横田めぐみさんが今どこにいるのか、言えばいいし、北朝鮮を説得すりゃあいいじゃないですか。 すると神様が存在すると主張する人はこういう。 「神様が答えを教えちゃうと人間は成長しないでしょ? だから神様は人間を成長させるために試練を与えるんです」って。 「ほーー 神様が横田めぐみさんを拉致させた主犯って言うんだな、そしてお前は犯人をかばうド悪党!」って理屈になる。 と、どんどん子どもじみた話になっちゃいましたが。。。。 普遍って条件によって変化しないものが普遍ですよね。 神は普遍だとか言いますが、人間が存在を信じないと存在できない危うい存在。 したがって神は普遍ではない。 地球外に知的生命体が存在すると信じている人の心の中にだけ存在できる。 ではどうだ、人が月を見ていないときは月は存在していないか? いや 今のところ消えたことがないので、見ていない間も存在していると経験から人間は知っている。 地球外に知的生命体が存在したと確認されたら、それ以降は信じますよ。 タイムトラベルも、完成する前の時代にさかのぼれない。 2010年に完成したとして、2020年から2010年まではさかのぼれるが、2010年より前はさかのぼれない。 つまり今のところタイムマシンは完成していないから、未来からやってこない。 知的生命体も存在を確認できていないから、存在しない。 存在が確認できた以降なら存在する。

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