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時間は神様が作ったのか?
- 神様の存在と時間の関係について考える
- 時間の起源と神様の全知全能性に疑問を持つ
- 時間を超越した存在と神様の理解についての意見を求める
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神は全知全能で、完全無欠の存在者ですから、もしその神が時間を創造できず、神が存在する前からあったとすれば、それは神の定義に反します。 それに時間が無限の昔から続いているとしたら、カントのいうように今もその無限の過程にあるはずであり、世界は始まらなかったはずです。 たとえば、今から146億年前から時間が始まったとしたら、それがどうして200億年前でなかったのか、その理由がありません。 100億年前でも、10万年前でも、良かったはずです。 そしてキリスト教では神が世界と共に時間・空間を創造し、最後の審判で、誰が天国に、誰が地獄に行くか、それが決められるという終末論があり、時間というのは始まりがあり、終わりがあるものでなければなりませんでした。 たしかに神がこの私たちの世界を創造したのならば、そして時間も空間も一緒に創造したのなら、この世界で起きるすべてのことはあらかじめお見通しであり、神はこの世界を善なるものとして作ったはずであり、悪が存在するのはおかしいという人がいます。 また、神が世界を計画的に善なるものとして作ったなら、戦争だとか、人類の争い事が絶えないというのはどういうわけか? という疑問がもたれるのももっともです。 でもキリスト教徒は、人類に悪だとか、争い事を絶えないようにしているのは神が人類に試練を課しているのだという解釈もあります。 つまり時間・空間を超越した存在であるからこそ、どのようなこともできる、戦争も、争いも、悪も、すべて神の手の内にある、と考えれば別にどこもおかしくないのではありませんか? ちょっと屁理屈でしょうか? 時間・空間も神が創造したことにしないと、いろいろ問題が起きます。 たとえば、空間が、神がそれを創造する前から存在していたとしましょう。 空間が無限に広がっているとして、その無限の空間の中の一か所にこの宇宙空間からなる世界を神が創造したことになりますが、どうして「あっち」の空間でなく「こっち」の空間だったのでしょう? 別に今私たちが見る、宇宙空間の一定の場所でなく、別の宇宙空間に世界を創造しても良かったのではありませんか? このように神が時間・空間を創造したのではなく、神が存在する前から時間・空間が存在すると不都合が出てくるから、神が時間も空間も一緒に創造したことにしたのです。 たとえ、争い事や戦争があったとしても、時間・空間が神が存在する前からあったと考えるより、まだましですからね。
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- amenhotep2000
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Tahhzanさん こんにちは。 まだ、回答に出ていませんが、時間には「カイロス」と「クロノス」という概念があります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B9 もしかしたら、私たちの住む、可視的で移り行く世界の時間と、不可視で永遠かつ不変な神のいる時間は、違うかも知れません。 その謎に人類が解明できるか、わかりませんが、とにかく、あの世というものは、死んでみないとわかりません。 宗教(哲学)というものは、この世(可視的で移り行く世界の時間)において、いかに、不完全な人間が、不条理な社会や生まれであっても、それを乗り越え、より良く生きるかということを説くもので、決して宗教間でまたは宗教内において、解釈の違いから、争うものでないと思います。 IT mediaの「この質問を見ているなら」で、京都の、お坊さんが宗教融和を説いたサイトが出ていたので、添付します。 https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=8mAPA3YKC_A
お礼
神の時間ですか。なるほど、面白い考え方ですね。参考になりました。ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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日本の神話でも、キリスト教の創世記でも、はじまり の前は混沌(カオス)であるという表現があります。 カオスは、変化=時間を排除する意味であり、そこに 「光あれ」とした時が光=意識=時間の流れの始まり でしょう。 量子論において、ある値を確定しようとするとそれに 実体を与えるべき他の性質が無限不確定(カオス)化 する、あるいはその無限不確定の闇に認識体の仮定断 面(潜在的認識可能性)の運動(時系列化=プランク 定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相 対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互 作用パターン)の向うに自己の補完(相補的不確定性) としての宇宙を認識するという、自我仮説(記憶=時間) と空間仮説(予測=空間)の相補分化のアナロジーだ 言えるかも知れません。
お礼
なるほど、量子論については難解でしたが… ありがとうございました。
#4です。 > 神がこの世をお作りになったのなら、この世が存在しない状態においては、神はどのような状態で存在していたんだろう 物理学の記述する範囲に神がいないのですが(神に対応する数式が無い、の意)、宇宙の開始を「神の一撃」と称することがあります。この場合の「神」は「さっぱり分からない」という意味です。この宇宙の時間と空間ではない、何か、どこか、ではあるんでしょうけど、それが何かは全く分からない、知りようがないということです。「宇宙か無から生まれた」とも言ったりしますが、これも「宇宙ができる前のことはさっぱり分からない」という意味です。「宇宙誕生以前については考え付くアイデアが全く無い」の「無」と言ってもいいかもしれません。 とはいえ、種々の想像なら為されています。単なる夢想とか、全くの無根拠ではなく、物理学から出て来るいくつかの結果や、未完成の理論についての地に足の着いた予測などを基にしています。 例えば、宇宙がいくつもあるんだというマルチユニバース説なるものがあります。さきほどの量子力学の多世界解釈とは別物です。想定の傍証的根拠は、回転するブラックホール(カーブラックホール)の中心にあるリング状の特異点です。リングの中がどこか別の時空につながっているんですね。もし潜り抜けたら、どこか別の世界に出る。この宇宙内のどこかかもしれないし、全く別の宇宙かもしれません。別の宇宙だとすれば、この宇宙とつながっていることになります。 そこを推し進めて考えて、ブラックホールの特異点が生じる瞬間、別の宇宙が生み出されたと想定すれば、ブラックホールができるたびに、新しい宇宙が生まれたと考えることが可能です。ブラックホールの特異点に限定するわけではありません。まだ数学解が見つかっていないだけで、別の宇宙へつながる数学解が見つかる可能性もあるでしょう。 しかし、じゃあ本当に最初に生まれた宇宙はどうやってできたのか、には答えられません。ホーキング博士の仮説の変遷では、それについてちょっと興味深いものがあります。 ホーキング博士の仮説は、あくまでもこの宇宙限定です。この宇宙がどうやって生まれたか、生まれる以前はどうなのかをずっと「数学的に思索」しています。ホーキング博士は、時間を複素数と考えれば、宇宙開始と共に生まれた実数の時間が、宇宙誕生後は優勢だけれど、今でも目立たない虚数時間もある。しかし、宇宙誕生前から虚数時間があって、宇宙誕生について時間の経過と共に記述できる、というアイデアを出しています。 その考え方を推し進めたのか、その後に無境界仮説というものを出しています。宇宙は一点から始まった、という言い方では、たいてい円錐面の頂点みたいなものを想定しています。頂点は点で面積はありませんが、円錐面の底面に行くにつれて断面は円で広がって行きます。ところが、ホーキング博士は円錐面ではなく球面だと考えるようになりました。 円錐の頂点は円錐の他の部分とは明らかに異なる部分になります。特別なものだから、それが何かを、他の部分との違いで説明することができます。ところが球面だと、確かに宇宙の開始は点ではあるんですが、他の部分との相違はありません。 つまり、宇宙の誕生した一点というのは、誕生後との相違を説明できない、さらには見つけようがない、つまり物理学では知り得ないということになります。簡潔に申せば「宇宙の誕生は物理学的に存在しない」ということです。 仮に物理学が宇宙の開始を客観的に知る最善の手段だとすれば、人類には知り得ないことになります。ホーキング博士の予想では、宇宙の誕生に関する物理学の最終的な結論は「物理学では宇宙の開始を発見できないことが証明された」になるわけです。当然ですが、開始すら見つけられないなら、開始させたのが何かは分かるわけがありません。
お礼
そうですか。リングの話は深遠ですね。仮にそうだとしたら、人類を創造することが目的の神に、何故、そんな余計な仕組みを作ったのか聞いてみたいですね。それと、物理学では宇宙の開始を説明できない、というのは、人間が神の創造物であるなら、仕方のないことかもしれませんね。ありがとうございました。
- kazamidori365
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~~~~~~~~~~~ Plato: Timaeus http://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&view=fulltext&vid=189&mid=0 ~~~~~~~~~~~~ 『ティマイオス』にはこれ以前にもキケロによる部分的なラテン語訳(27d から47b までで、 所々省略されている)があった。例えば、アウグスティヌスはこれを用いていたとされるが、 それ以後中世ではほとんど用いられていない。Somfai(2002), p. 8 によれば、両者の現存する 写本の数は、カルキディウス訳が129 に対し、キケロ訳は16 である。 デーミウールゴスの変容 カルキディウス『ティマイオス注解』における神 http://greek-philosophy.org/ja/files/2015/03/%E8%AB%96%E9%9B%86-2015-%E5%9C%9F%E5%B1%8B.pdf ~~~~~~~~~~~~ Khôra (also chora; Ancient Greek: χώρα) was the territory of the Ancient Greek polis outside the city proper. The term has been used in philosophy by Plato to designate a receptacle, a space, or an interval in the Timaeus. Khôra https://en.wikipedia.org/wiki/Kh%C3%B4ra ~~~~~~~~~~~~ プラトン『ティマイオス』における時間の概念 ――「永遠を写す動く似像」としての時間についての試論―― http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou30/kiyou30_05.pdf ~~~~~~~~~~~~~~ 「ソクラテスの弁明」の原本、写本の所在は? http://okwave.jp/qa/q4906176.html ~~~~~~~~~~~~~~ χώρα 場 だけど、キケロの翻訳には出てきていないような? 誰か詳しく調べたら教えてください。 アウグスティヌスが読んだとすればキケロの翻訳か? プラトンの写本は遡れるのが中世までとかいう問題があるようだけど キケロはどうなのだろう? このあきらかに昔に存在した人物なのに写本が残っていなかったり中途半端な時代までのしかないから それ以上確かなことがいえないという問題はどうにかなりませんかね。 どうせ私がプラトンとか言えば写本の年代を問題にする奴が出てくる。 ついでに、ここでのコーラは、 コーラといっても炭酸飲料ではない。 あと、 時間は永遠の似像だとか。
お礼
私には、難解でしたが… ありがとうございました。
物理学のみからの回答になります。物理学では神がどういう存在か、全く分かりません。まともには研究すらしたことがないのです。かつ、物理学が有効なのは、最大範囲を考えても、この宇宙内限定です。外がどうなっているかはもとより、外があるのかどうかすら全く分かっていません(外を仮定する仮説はあるが、思考実験の域を出ない)。 では、せめてこの宇宙ではどうなのか、ということになります。古典的な物理学(量子力学を含まないの意、相対論は含)ですと、ご存知のようにビッグバン仮説ベースで、あるときに一点から宇宙が生まれて、膨張しているということになります。宇宙が生まれる前は時間も空間もありません。 古典物理学だけの観点では、この宇宙は決定論的です。よく「宇宙のどの時点でもいいので、全ての粒子の位置と速度が分かれば、無限の計算力さえあれば、宇宙誕生から終焉まで、全てを知ることができる」と表現されます。そのように全てを知ることができる存在を仮想して「ラプラスの悪魔」と呼んだりします。 この考え方だと、宇宙は誕生の瞬間に全てが決まっていることになります。我々が自由意思で何かするとか、サイコロの目の出方はランダムだとか言っているのは、計算能力が低すぎて分からないからに過ぎません。ということは、宇宙を開始したのが神であれば、全ては神が仕組んだことになります。ただし、想定通りかどうかは我々には知る由もないですし、そもそも神の痕跡すら確かなものは一つも分かっていません。 ところが、この考え方では駄目だということも分かってきました。量子力学です。宇宙に存するものの本質は確率的であると示しているのが量子力学です。古典物理学の決定論的な立場からは受け入れがたく、さまざまに反論が為されましたが、かえって量子力学の正しさを証明する結果となっています。 人間の理解としては、この宇宙は決定論的ではなく、確率論的であるわけです。全部、サイコロの目の出方次第で決まってくる世界です。 ところが、それで止まるような物理学ではありません。シュレディンガーの猫という思考実験が有名で、ご存知かと思います。ある一匹の猫が、50%は元気に生きていて、50%は完全に死んでいる、そういう状態が重ね合わさった猫が存在し得る、というものですね。提唱したシュレディンガー(実は量子力学の基礎方程式を作った人)は、「だから、量子力学はおかしい、最終的な理論ではない」と言おうとしたんですが、ところが量子力学に欠点が見つからない。 じゃあ仕方ない、50%は元気に生きていて、50%は完全に死んでいる猫はあり得る、我々が不完全でそういう猫を想定できないだけだ、とする考え方が生まれました。コペンハーゲン解釈と呼んでいます(そのような解釈を始めた一群の物理学者がコペンハーゲンにいたことに由来)。これに対して、後に多世界解釈(あり得る確率的選択肢の分、宇宙が分岐して増える)につながった解釈にエヴェレット解釈があります。 エヴェレットは物理学者の名前です。彼は、「あり得る全て状態が重ね合わせの状態でずっと存在しているが、人間はある一つの状態しか観測できない」と量子力学の確率性を解釈しました。 注意したいのは、ある人間=ある観測者はある一つの状態しか観測できませんが、その観測者自体も、あり得る全ての状態の重ね合わせ状態だということです。たとえば、ある人がサイコロを振って6の目が出たとします。しかし、1~5の目も出ていて、対応する同じ観測者も重ね合わせ状態でいるわけです。 (※重ね合わせでなく、宇宙が分岐して、一つの宇宙には一つの状態と考えるのが多世界解釈。) ただし、起こり得る全てのことが起こるからといって、何でもありでデタラメなことが起こるということではありません。サイコロなら1~6の目は均等に出ますが、7以上が出たりはしません。サイコロを二つ振れば、2と12は最も出にくいことも変わりません。 エヴェレット解釈で言えば、確率の高いことが起こる世界の濃度は濃く、あり得ないことが起こる世界の濃度はゼロです。濃度の高い世界ほど観測しやすいため、たいていは当たり前のことしか経験できません。 (多世界解釈で言えば、確率の高いことが起こる宇宙の数は多くなり、起こり得ないことが起こった宇宙の数はゼロということになる。) それでも起こり得る全てが存在することに変わりはありません。それが宇宙の誕生からずっと続いているわけです。起こり得る全ての状態が重なり合い続けている。ということは、宇宙は開始時点で既に全ての可能性を含んだものであることになります。宇宙の開始から時間と共に、起こり得る全ての事象が起こって来たということにもなります。 このことを推し進めて考えて、時間も含めてしまう考え方もあります。我々は時間の流れに沿ってしか観測できないだけで、この宇宙が時間の始まりから終わりまでを含めた一つの静的なモノがあるに過ぎないということにもなります。 仮に超越的な存在が、そのような宇宙を作ったとして、「人間が争いばかりを繰り返している」というのは、宇宙のある1点でそうであるに過ぎません。仮に人間とその超越者が対話可能として、「どうして争いを鎮めないのか?」と人間が問えば、超越者に「そうでない所もあるんだが、なぜ分からないんだ?」と問い返され、さらに「要不要を問わず、全部作ってあるんだぞ」と駄目押しされるかもしれません。
お礼
物理学での解説をありがとうございました。なるほど、考えれば考えるほど、より深みに入っていく、という感じですね。そもそも、神がこの世をお作りになったのなら、この世が存在しない状態においては、神はどのような状態で存在していたんだろう、などとも考えてしまうこの頃です。科学的なご解説をありがとうございました。参考になりました。
全知全能の神だから 人間のする事に 手出し しないのです・・ 手出しをすれば 人間は 神を崇める存在になる・・ 神は 人間を創造した目的の為に 人間に 何も手出し出来ない期間(間接主管圏)を作ってるのです・・ そして 人間が その 間接主管圏を人間自身で乗り越えた場合のみ 初めて関与出来る状態(直接主管圏)を作ってるのです・・
お礼
なるほど、人間のすることに手出ししないというのは、その通りかもしれませんね。間接主管圏を人間が乗り越える、というのは、結論からいうと、人間が霊性あるいは神性を得たとき、と解釈致しました。ありがとうございました。
- ido-kawazu
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こんにちは。 > 時間は神様が作ったのか? 「この世は神がお作りになった。私は、これに一応、 納得している」 ──<一応でも納得して居ればイイとして。 この世は、天と地、すなわち、空間だけをさしているのではないか、 と思うのです。」 ──<これも一応納得して。 物理学(など)でいう、空間に時間が抜けているのではないか? これは、おかしい! ──<良く気ずかれました。 時間を超越した存在である以上、、「人間が争いばかりを繰り返している ことを悲しく思し召され、天下った」というのは、 この世、──つまり、時間と空間を作る時点で全知全能の神様なら 把握していたのではないか。 ──< 神は万能です、時間は人間に考える猶予を 与えたと考えると人と神に結界が出来ると言う事です。 おバカな人間は、ソレを使い切れていないのです。
お礼
神は万能、という言葉は色々な解釈の仕方があるかもしれませんね。ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>全知全能の神様なら把握していたのではないか、 否。 神はすべてを把握していないのです。 アインシュタインは全知全能の神を仮説して、「神は賽をなげない」と主張しました。 20世紀初頭の人類の知識水準からは否定できない主張だったと思います。 しかし、その後、1927年に量子力学の研究者ヴェルナー・ハイゼンベルクによって不確定性原理(Unschärferelation)が発見され、20世紀後半の人類は「神は賽をなげる」という事実を理解したのです。 因みに、神が全知全能でない事とは別ですが、 物理学は時間は従属変数であることを立証してしまった模様。 この意味することは「時間は、それだけを取り出して云々する意味が無い」という事のようですね。
お礼
神は全てを把握していない、というのは、ある意味、衝撃的な発想かもしれませんね。そうですか。時間は、そのように把握され始めているのですか。知りませんでした。ありがとうございました。
お礼
なるほど。ただ、神が時間を作った以上、キリスト教でいう終末もお見通しで、誰が天国に行くかは、時間を作った時点で把握しているのでは、と疑問が湧いてきたりするのです。色々と… それにしても、詳細な解説をありがとうございました。大変、参考になりました。