4‐7. さらには 《国家どうしの国際関係という世界で 資本関係論(キャピタリズム)を展開する》時代である。
4‐8. 〔《資本》とは何か? という問い求めもよいように思います。それは 人間関係であり 《社会》として捉えることさえできるかも知れません。モノや貨幣をめぐって展開されるというだけのことで 大きくは――好き嫌いや愛情ないし憎悪などなどの関係を帯びた――《愛》であるかも知れません〕。
4‐9. ここで たぶん他国を奪うという帝国主義は――大いに興ったのであるが そして一面ではあたかもこの植民地主義の動きこそが 人類の共生という主題にとっては その意味でのグローバリズムを推し進めたとさえ見られる要素があるが―― 〔たぶん〕経済活動とは別なのではないか?
4‐9. その意味は こうだと考える。資本関係論は 賃労働という力関係に差のある人間関係の上に成り立ったとは言うものの もともとはその経済行為に対して上から外から 経済外的なつまりは政治的な力の介入しないことを基本としている。
ただしあるいは その経済活動を支障なくすすめるために 軍事力を背景に控えさせるという手を 当たり前のこととして 使ったかも知れない。
▲ ( Wikipe : Primitive accumulation of capital ) ~~~
§ Schumpeter's critique of Marx's theory
Schumpeter argued that imperialism was not a necessary jumpstart for capitalism, nor is it needed to bolster capitalism, because imperialism pre-existed capitalism.
Schumpeter believed that, whatever the empirical evidence, capitalist world trade could in principle just expand peacefully. If imperialism occurred, Schumpeter asserted, it has nothing to do with the intrinsic nature of capitalism itself, or with capitalist market expansion.
The distinction between Schumpeter and Marx here is subtle.
(* 《暴力》論のもんだいであるようです。マルクスにしてみれば 資本主義の離陸(?)には 暴力あるいは軍事力を帯びた権力が必要であったのだと)。
Marx claimed that
capitalism requires violence and imperialism?first,
to kick-start capitalism with a pile of booty and to
dispossess a population to induce them to enter into
capitalist relations as workers, and then to surmount
the otherwise-fatal contradictions generated within
capitalist relations over time.
(* シュンペーターは ただ古代国家への先祖がえりとして政治(つまり 経済外の権力)が 帝国主義という力を見出しただけだと)。
Schumpeter's view was that imperialism is an atavistic impulse pursued by a state independent of the interests of the economic ruling class.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5. ★ つい最近、世界の工場である中国で
◆ 【現地記者に聞く】中国の労働争議が急増する背景 / ウォール・ストリート・ジャーナル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100622-00000001-wsj-bus_all
★ におきまして、“労働運動”が盛んになってきているようでございます。かような運動を契機に新しい、システムの構築が進められるかもしれません。
☆ 政治が介入するか。どう介入するか。
お礼
はーとまいんどさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 少しの泣きごと、ぐち、うらみごと、そういうことを言う余裕もない。 弱肉強食の厳しい時代、だから、そういう遊びが生まれない。 遊びが無いから、新たなものを生み出せない。 「だめでしょ」は子供の行動に対するミスのマイナスポイントのカウントみたいに思えてしまいます。 元気になるための、なきごとやうらみごとを容認するぐらいの遊びが無ければ、 どんどん活気が無くなっていくような気がしてならないのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ よくぞ言ってくれました。 たとえば《自己チュー》と言って非難する文章を見かけますが これなどは意味がないと考えます。極論になるかも分かりませんが 自己チューとしてでも 大いに何でも自由に発言すればよいのだと考えます。ひとは それぞれそれなりに対応してくれるはずです。 間違いを二度以上つづけるのはよくないとなるでしょうし 自由だからと言って言いっぱなしではやはりよくないことです。問答ですから・対話ですから ボールがコートに入ったなら 打ち返すことが大事だと思います。 これを守れば 自己チューでも利己的でもいいですから 大いに発言しましょう。と言って行きましょう。 【Q:復讐は悪いこと?】に投稿して 次のように言ってしまいました。 ☆☆ (回答No.15) ~~~~~~~~ さしづめ出来ることは その相手に《あんたは いついつどこどこでわたしに これこれの悪いことをしたのではないかね? それは これこれの理由で悪いことであり それをするというのは間違っている。間合いを元に戻すことができるように望む》と言うことです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは このようにあとで言うのではなく その時点で現場で言ったほうがよい。そう書くべきでした。一般に 掏りなどと同じように 悪さは現行犯として指摘するのがいちばんよいと考えます。ま 言えない情況というのもあるかと思いますが 原則としてそうすべきだと言うべきでした。あとで気づきました。 つまり その質問に沿っていえば そのときその場で《あんたに復讐したい》というところまでなら 発言しても構わないと考えます。 ★ 元気になるための、なきごとやうらみごとを容認するぐらいの遊びが無ければ、 / どんどん活気が無くなっていくような気がしてならないのです。 ☆ たとえば《和を以て貴しと為せ 逆らうこと無きを旨とせよ》などと 昔からの神道の物部氏に逆らって 皆殺しに近いことをやったあと 聖徳太子は その憲法第一条にうたっている。 和を以て貴しと為せと言われなかったなら わたしは和を乱すことを知らなかった。と言ってやりたい。だれが――二枚舌の人間でないかぎり――波風を立たせたくて お上に楯突くひとがいよう? 多少のワルであっても草の根のスサノヲ市民であれば 和解へのこころは つねにみづみづしい息吹きとして 息づいている。その心を踏みにじるのは だれか? ★ 元気になるための、なきごとやうらみごとを容認するぐらいの遊びが無ければ、 / どんどん活気が無くなっていくような気がしてならないのです。 ☆ いまの世の中に嫌気の差さないひとが いるだろうか? どんな恨みつらみでもぜんぶ聞いてくれる大バカ者が何人いるか。何人あらわれるか? 電車の話では 母親も子どもも おばあちゃんも そして第三者も みな互いに目を見て まづは互いを見止めましょう。こころを感じ取りましょう。受け取りましょう。それからゆっくりと 座席の話はすればよいぢゃないですか。シルワ゛ーシートに子どもたちが坐って その前におぢいちゃんおばあちゃんが立っている。そんな光景も あそびとしておもしろい?!?! ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 「社会のせいにする人が増えている」なんて軽く言う人がいるけど、 どうも違和感があるんですね。 国民に本来あるべき権利の世論を否定しているような。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このとき《権利》をやはり持って来たくなるんですよね。この点だけが気に成りました。どうでしょう?
補足
この場をお借りします。 No.13お礼欄 二つ目の《4-9》で Wiki のURL を張り忘れました。 ▲ ( Wikipe : Primitive accumulation of capital ) http://en.wikipedia.org/wiki/Primitive_accumulation_of_capital ▲(文字化け) imperialism?first → 正しくは imperialism―first でした。 ◆ (【オピニオン】中国が転換点に直面-労働争議激化で) ~~~ (ウィリー・ラム 秋田国際教養大学教授 2010年 6月 15日) http://jp.wsj.com/Opinions/Opinion/node_71900?Yahoo=63e9747d6f36a35af8b251cad13cd6cb 労働者の不満は、政府の改革が断片的であることが一因。 中国政府は、2011年から2015年までの第12次5カ年計画で、労働者に対する経済的パイ配分拡大を公約している。公式統計によると、国内労働者の賃金が国内総生産(GDP)に占める比率は過去20年余りで20%ポイント低下している。ただ、同計画では具体的な賃上げ率は発表されていない。 労働者が当局に圧力をかけることができる地方レベルでは、対策が講じられている。約24の省と主要都市の最低賃金は、過去1年間にその権限内で最大28%引き上げられた。 広東省のほか上海と北京では最近、最低賃金が月1000元(約1万3000円)を超えた。 しかし、中国社会科学院の社会学者である唐鈞氏によると、この程度の賃上率よりも生計費の上昇率が上回っているという。実際の生計費の上昇率は、3.1%とされる公式統計よりも深刻だという。 1950年代以降、中国政府は労働者に対し、共産党指導下の労組全国組織である中華全国総工会(ACFTU)支部加盟だけを認めてきた。 ACFTUは共産党と政府の権益を代表しており、労働者階級のものではないとして軽蔑する労働者が多い。労働者は私的あるいは自由な労働組合を組織することは許されていない。賃上げと待遇改善のための特別グループを組織することも認められていない。団体交渉も原則的に禁止されている。 ただ、ACFTUとその背後にいる共産党当局は、団体交渉面で一定の譲歩に向け対処している兆候がある。ここ数年では23の省と都市では、「団体協議による賃金決定」方式を定めた地方条例が可決された。 団体協議はもちろん団体交渉とは違う。むしろACFTUの支部幹部が「集団的な賃金協約」を経営者と交渉するもので、一般的な労働者の参加は最小限にとどまる。 ある程度、労働者階級の権限拡大を後押ししているように見受けられる国内メディアは、報道統制下にあるものの、労働者の賃金をめぐる団体交渉に僅かながら柔軟な姿勢を示している。 国営英字紙・環球時報は今月の記事で、労働争議は「団体賃金交渉の経路として有益な労働組合がないことを露呈するものだ」と論評している。 しかし、当局がどこまで受け入れるかという明確な許容限度がある。 労働状況に関する非公開の議論の中で、胡主席や党政治局員らは、ポーランドでの自主管理労組「連帯」の活動により、東欧ブロックの共産党体制基盤が揺らいだとする故鄧小平氏の警告を挙げているとされる。 中国共産党指導部は労働争議が深刻化している深セン、中山、広州などの都市に武装人民警察隊を派遣している。これらの治安部隊は現在「待機中」だが、「違法」労組の結成拡大など労働争議が激化すれば、直ちに鎮圧に乗り出す可能性がある。 しかし、長い目でみれば、富士康集団やホンダなどの工場で起きている予想外の展開は、中国の膠着化した社会・政治体制の変化の前触れになる可能性がある。 1980年代と90年代後の世代は、都市部で生まれた1億人の季節労働者を含んでおり、現状を容認しない強い姿勢を示している。彼らは、労働者や市民の権利を勝ち取るには前世代よりも大胆だ。携帯電話のメール〔などにより〕・・・労働者の組織化は一段と容易になっている。 中国共産党指導部が経済および政治的なパイをいかに分配するかについて基本的な変革を進んで行わなければ、すでに脆弱になっている社会基盤が崩壊する可能性がある大規模な反乱が起きる可能性がある。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ まづは 表現の自由という風通しの問題なのでしょうか?