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奈良・東大寺の二月堂、修二会について
奈良・東大寺の二月堂、修二会について教えて下さい。 (1)開山堂に咲いている「糊こぼし」という椿の造花をつくるのはなぜでしょうか。 何か伝説とかエピソードなどがあるのでしょうか。 (2)二月堂御本尊の小観音は 実忠が難波津の海岸から観音が住む補陀洛山へ向けて香花を捧げて供養したところ、100日後に生身の十一面観音が海上から来迎したそうです。 大観音についての伝説やエピソードはないのでしょうか。 (3)そのほか、修二会や二月堂にまつわる伝説やエピソードがありましたら教えて下さい。 よろしくお願いします。
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ご存知のことばかりと思いますが、書いてみます。 伝説やエピソードではないですが大観音について。 華厳宗管長・橋本聖圓師は自著『東大寺と華厳の世界』で、 「須弥檀の真中に安置されている大観音は、十一面ではなく聖観音であるともいわれるが、絶対の秘仏として几帳で蔽われていて、練行衆の目に触れることさえないので、確かめようがない」と仰っています。 寛文7年(1667)全焼した際に持ち出された光背の残欠が重文となっていますね。 観音様のお姿を想像すると、絶対秘仏とされる理由が…。 修二会は、ゾロアスター教の影響があるという説は、トンデモ説でしょうか。 大仏開眼の開眼師、菩提僊那はインド僧です。 実忠もペルシャ人またはインド人ではないか、という説もあります。 以前のご質問に、engelrina様が 二月堂の小観音は珍しい構成で、類似するものとしては、インドのムンバイ郊外にあるカーンヘリー石窟第41窟 十一面観音立像(7,8世紀作の浮彫り)がある、と回答されています。 この回答から思いついたのですが、 北の若狭から南の奈良まで水を送るという発想は、イラン地方のカナートを想定したのでは、という説です。 また、「お水取り」の行は、類似の行事が中国や朝鮮にはないので、実忠がイランかどこかで見聞きした体験を基にしたのではないかという説です。 松本清張が、確か松明から拝火教を連想されていたように記憶しています。 伊藤義教著『ペルシャ文化渡来考』 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086365/ 次に「椿の造花」ですが、『東大寺要録』貞観3年の記事に、 落下した大仏の頭部を復興造営し、「むしゃのだいえ」供養を行っていますが、そこに胡楽 (あるいは古楽)の様子が書かれており、「桃」「柘榴」「なし」などを捧げた、とあります。 言うまでもないことですが、「柘榴」とは「ざくろ」です。 しかし、「椿」のことではないかとこじつけて、調べてみましたが分かりませんでした。 ネットで検索すると、次のような話を見つけました。 石榴・柘榴は「ザクロ」のこと。その昔、日本特産のツバキが中国に渡ったとき、彼の地にあったザクロに似た花と実をつけたので「海を渡ってきたザクロ(柘榴)」の漢名がつけられ、そのまま日本に漢字としてもたらされ(略) ご参考になれば幸いです。
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- goo-par1732
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丁重なお礼を頂いて恐縮です。 「観音様のお姿を想像すると、絶対秘仏とされる理由が」と書いたのは、 これ以上書くことを憚るのですが、光背がぼろぼろになるほど 焼けてしまった状況なので…、こんな想像をして罰当たりめが、という意味です。
お礼
再度の回答をありがとうございます。 あー、そうですよね。 痛々しいお姿になっておられるかもしれませんね~ でも京都の東寺で炭化した仏像を見ましたが 炭化してしまっていることでより迫力があるように感じました。 絶対秘仏だなんていわないで拝観させてほしいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 大観音は、十一面ではなく聖観音であるともいわれているのですね。 知りませんでした。 山辺の道の海石榴市観音もたしか聖観音と十一面観音だったと思います。 聖観音と十一面観音のペアは何か意味があるのかな、と興味深いです。 >観音様のお姿を想像すると、絶対秘仏とされる理由が…。 すいません、どのようなお姿を想像されているのか、教えてもらってもいいでしょうか。 >修二会は、ゾロアスター教の影響があるという説は、トンデモ説でしょうか。 そういう説は聞いたことがあります。 詳しくは調べていないのですが。 私はトンデモ説だとは思わないです。 当事の奈良は国際交流がたいへん盛んでした。 高野新笠はペルシャ系だという説を聞いたことがあります。 またそのころ編纂された記紀はとても聖書に似ていると思います。 実忠もペルシャ人またはインド人ではないか、という説があるのですね。 >北の若狭から南の奈良まで水を送るという発想は、イラン地方のカナートを想定したのでは、という説です。 カナート・・・調べてみたらイランの乾燥地域にある地下用水路のことなんですね! うーん、おもしろい。 >「お水取り」の行は、類似の行事が中国や朝鮮にはないので、実忠がイランかどこかで見聞きした体験を基にしたのではないかという説です。 そうなんですか! >胡楽(あるいは古楽)の様子が書かれており、「桃」「柘榴」「なし」などを捧げた、とあります。 二月堂の北側の階段の手前に石榴があります! >その昔、日本特産のツバキが中国に渡ったとき、彼の地にあったザクロに似た花と実をつけたので「海を渡ってきたザクロ(柘榴)」の漢名がつけられ、そのまま日本に漢字としてもたらされ(略) 山辺の道の海石榴市観音を思い出しますね。 なんか関係ありそうですね。 大変楽しく読ませていただきました♪