国語の専門家に限らず、論理学などの専門家などにも門戸を広げた方がよいかと。
(1)(2)の日本語それ自体としては、大体おっしゃる通りの解釈でいいと思います。日用語ですから、日本人がその解釈を誤ることは少ないでしょう。日本人なら日本語に自信をもっていいですよ。(2)については、「様」で広辞苑をひけばそのずらりとある意味の中で、「意図、希望を表す」というのが見つかると思います。この場合はそれに当たると思われます。
>質問の意図は、下記の2つの問題が“同じ”といえるか?、
>より具体的には、“同じ意味”と解釈できる余地があるか?
それは、これらの言葉が用いられている文脈(文脈とは、周りの文章、本なら何の分野の本か、何の用途の本か、誰が誰に何の目的で問題を与えているのか、などといういみです。context。)によります。
ですから、文脈を知らない私は憶測でしか、回答できません。以下は文脈を勝手に絞った上での勝手な回答です。
受験数学の問題であるのなら、これはほぼ同じ意味であるとしていいと思います。No1の補足のような2種類の問題がでて、それぞれを別の解釈で解く高校生はいないでしょうし、出題者もそれは求めていないのではないでしょうか。(超難関校の問題は別かもしれませんが。)
大学以上のレベルでの文脈なら、「“同じ意味”と解釈できる余地」はあります。(1)のニュアンスはそのままの扱いで十分ですが、(2)をどう扱うかということです。出題者=作成者として、この人は、問題の答えを既に知っています。その場合、A=Bとなる答えがあるということ、a,b,cをうまく選んでやればA=Bとなるということ、が、出題者には既に分かっている場合が当然考えられます。その場合、それ、つまりA=Bとなる答えが存在しますよということ、をほのめかしつつ、問題の文を書いていることになります。このとき、A=Bが存在することは、質問者にとっては、確定事項です。それを前提としてほのめかせながら、回答者にさあ解け!といっているのです。勿論、回答者にしてみれば、まだA=Bは未確定ですが、存在(a,b,cを見つけてやればA=Bが確定すること)はほぼ確定しています。このような問題の場合、出題者が回答者に求めていることは同じである、と解釈できる余地は十分あるでしょう。a,b,cを見つけてA=Bを証明してみなさい!と言っているのですから。
さて、そのように余地はあるのですが、同じでないと解釈すべき場合も当然あります。(2)において、答えが見つからないことを証明できるような場合がその一つです。「与えられている数式がxについての恒等式となるように」、とは、つまり、厳密には、なることを目指してという意味ですから、回答者が考察した結果、恒等式とならないことが分かってもいいわけです。つまり、いくらさがしてもそのようになるa,b,cの組み合わせはありません、与えられた式は恒等式にはなりません。が証明されるわけです。
とにかく、文脈次第です。
ところで、so that の用法やニュアンスには私も興味があります。識者の回答が欲しいですね。
お礼
ありがとうございます。 >とにかく、文脈次第です。 そうですね。 これは、人間的に考えると出題者の意図(回答者に何を求めているか)で分かれことがよくわかりました。 >受験数学の問題であるのなら、これはほぼ同じ意味であるとしていいと思います。No1の補足のような2種類の問題がでて、それぞれを別の解釈で解く高校生はいないでしょうし、出題者もそれは求めていないのではないでしょうか。(超難関校の問題は別かもしれませんが。) >それぞれを別の解釈で解く高校生はいないでしょうし、 これらの問題については、a,b,cの値を求めたあとに、恒等式になることの確認が抜けてしまい、減点されることがよく見受けられます。ただ、問題イでは確認が必要なことはわかるのですが、問題アの方は確認が必要ないと思うのです。ですが、問題集などをみると、どうも問題アと問題イが同じように扱われていて疑問を抱いています。 つまり、数学の問題に出題されたときに、恒等式であることを前提にできるのか、a,b,cを求めた後に恒等式であることを確認する必要があるのか、について気になっています。 確認が必要なことに対して確認が抜けてしまえば、減点の対象になります。確認の必要がないことに対して確認をしてしまえば、減点にはならないかもしれませんが、解釈(ここは採点者の解釈が入る余地があると思います)によっては“冗長”と捉えられるおそれもあります。 この“恒等式であることの確認”の必要性が、問題アとイでは異なるのか、慎重に考察しています。出題者の“ことば”への配慮が欠けていると思っていいのでしょうか。 国語の文法としては、明確には判断できないのかもしれませんね。 itkijfntugさんが仰ってくださったように、“論理”の問題なのかもしれません。概念を言葉にするのは、難しいのですね。