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条件の表現について

国語文法の専門家、専門に勉強している方にお聞きできれば幸いです。 日本語において、 (1)AがBであるとき、~ (2)AがBとなるように、~ は文法的にどう解釈されるでしょうか? (文章によって、意味が同じになることはあるでしょうか?) 私の感覚では、 (1)は、AがBであることが“確定”しているように、 (2)は、AがBであることが“不確定・まだ未定”であるように 受け取れます。 この疑問に付随して、(1)(2)は英語では、 (1)は When (2)は so that と表現されると思いますが、whenとso thatが同じ意味で使われることはあるのでしょうか? 後半のほうは、カテゴリーとしては英語になるかとは思いますが、 日本語の(1)と(2)の理解に結びつけて理解できればよいなと思います。 よろしくお願いします。

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回答No.5

国語の専門家に限らず、論理学などの専門家などにも門戸を広げた方がよいかと。 (1)(2)の日本語それ自体としては、大体おっしゃる通りの解釈でいいと思います。日用語ですから、日本人がその解釈を誤ることは少ないでしょう。日本人なら日本語に自信をもっていいですよ。(2)については、「様」で広辞苑をひけばそのずらりとある意味の中で、「意図、希望を表す」というのが見つかると思います。この場合はそれに当たると思われます。 >質問の意図は、下記の2つの問題が“同じ”といえるか?、 >より具体的には、“同じ意味”と解釈できる余地があるか? それは、これらの言葉が用いられている文脈(文脈とは、周りの文章、本なら何の分野の本か、何の用途の本か、誰が誰に何の目的で問題を与えているのか、などといういみです。context。)によります。  ですから、文脈を知らない私は憶測でしか、回答できません。以下は文脈を勝手に絞った上での勝手な回答です。  受験数学の問題であるのなら、これはほぼ同じ意味であるとしていいと思います。No1の補足のような2種類の問題がでて、それぞれを別の解釈で解く高校生はいないでしょうし、出題者もそれは求めていないのではないでしょうか。(超難関校の問題は別かもしれませんが。)  大学以上のレベルでの文脈なら、「“同じ意味”と解釈できる余地」はあります。(1)のニュアンスはそのままの扱いで十分ですが、(2)をどう扱うかということです。出題者=作成者として、この人は、問題の答えを既に知っています。その場合、A=Bとなる答えがあるということ、a,b,cをうまく選んでやればA=Bとなるということ、が、出題者には既に分かっている場合が当然考えられます。その場合、それ、つまりA=Bとなる答えが存在しますよということ、をほのめかしつつ、問題の文を書いていることになります。このとき、A=Bが存在することは、質問者にとっては、確定事項です。それを前提としてほのめかせながら、回答者にさあ解け!といっているのです。勿論、回答者にしてみれば、まだA=Bは未確定ですが、存在(a,b,cを見つけてやればA=Bが確定すること)はほぼ確定しています。このような問題の場合、出題者が回答者に求めていることは同じである、と解釈できる余地は十分あるでしょう。a,b,cを見つけてA=Bを証明してみなさい!と言っているのですから。 さて、そのように余地はあるのですが、同じでないと解釈すべき場合も当然あります。(2)において、答えが見つからないことを証明できるような場合がその一つです。「与えられている数式がxについての恒等式となるように」、とは、つまり、厳密には、なることを目指してという意味ですから、回答者が考察した結果、恒等式とならないことが分かってもいいわけです。つまり、いくらさがしてもそのようになるa,b,cの組み合わせはありません、与えられた式は恒等式にはなりません。が証明されるわけです。 とにかく、文脈次第です。 ところで、so that の用法やニュアンスには私も興味があります。識者の回答が欲しいですね。

tsukita
質問者

お礼

ありがとうございます。 >とにかく、文脈次第です。 そうですね。 これは、人間的に考えると出題者の意図(回答者に何を求めているか)で分かれことがよくわかりました。 >受験数学の問題であるのなら、これはほぼ同じ意味であるとしていいと思います。No1の補足のような2種類の問題がでて、それぞれを別の解釈で解く高校生はいないでしょうし、出題者もそれは求めていないのではないでしょうか。(超難関校の問題は別かもしれませんが。) >それぞれを別の解釈で解く高校生はいないでしょうし、 これらの問題については、a,b,cの値を求めたあとに、恒等式になることの確認が抜けてしまい、減点されることがよく見受けられます。ただ、問題イでは確認が必要なことはわかるのですが、問題アの方は確認が必要ないと思うのです。ですが、問題集などをみると、どうも問題アと問題イが同じように扱われていて疑問を抱いています。 つまり、数学の問題に出題されたときに、恒等式であることを前提にできるのか、a,b,cを求めた後に恒等式であることを確認する必要があるのか、について気になっています。 確認が必要なことに対して確認が抜けてしまえば、減点の対象になります。確認の必要がないことに対して確認をしてしまえば、減点にはならないかもしれませんが、解釈(ここは採点者の解釈が入る余地があると思います)によっては“冗長”と捉えられるおそれもあります。 この“恒等式であることの確認”の必要性が、問題アとイでは異なるのか、慎重に考察しています。出題者の“ことば”への配慮が欠けていると思っていいのでしょうか。 国語の文法としては、明確には判断できないのかもしれませんね。 itkijfntugさんが仰ってくださったように、“論理”の問題なのかもしれません。概念を言葉にするのは、難しいのですね。

その他の回答 (5)

回答No.6

すべてさらけだして徹底的に先生に聞くのが一番です。ここでは限界があります。問題の回答例も載っていませんし。 確認が必要か疑問だということですが、それも、状況によります。 テスト問題というのは、相手がいるわけです。人に説明できてなくてはならないという必要性があります。解いた答えが乱雑だったり複雑だったりする場合は、最後に、確認してみせることも必要になる場合があろうかと思います。 それと、形式や慣習の要請もあるのではないでしょうか。論理を抜きにして、そうしておいた方がいい、という場合があるのです。 先生方に聞いてみてください。

tsukita
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 >問題の回答例も載っていませんし。 説明に不備があり申し訳ございません。 ですが、先にも述べましたとおり、本質問は「数学的」なものではなく「言語的」に解答を得たかったのです。 >ここでは限界があります。 やはり、明確にことばに論理を求めるのは難しいのですね。 数学など真理が決まっているものを、絶えず変化することばで表現するのは、どこか矛盾、または、itkijfntug様が仰ってくださったように“限界”があるのかもしれません。

noname#110649
noname#110649
回答No.4

AがBであるとき 仮定です。 If this case are just much both, you must examine. かな? AがBになるように 指示です。 Make much 666 as B by A かな?

tsukita
質問者

お礼

なるほど「~であるとき」は仮定とも受け取れますね。 whenでなくともifでも表現できることがわかりました。 >AがBであるとき >仮定です。 この“仮定”は、問題を解くときの前提にできますでしょうか? 確定事項でしょうか、不確定事項でしょうか? 英語の仮定法では、“起こりえる仮定”と“起こりえない仮定”を意識すると思うのですが、この場合のifについて、問題の作成者は(恒等式になることはわかっているので)if ~ is ,are を用いる(if~was,wereは用いない)と思いますが、回答者は本当に恒等式になることを確かめる必要があるのでしょうか? (どうも数学の議論に偏ってしまってダメですね・・・) 言語は本当に難しいです。

  • logspike
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回答No.3

質問者さんのおっしゃるとおり、 「恒等式であるとき」は、回答を「与式は恒等式なので~」と始められます。 「恒等式となるように」のときは、与式をいろいろと動かし、「これが恒等式となるとき」にどんな条件が適用できるか(たとえば係数を比較してこことここが等しくなるはず、など)と回答をすすめることになりそうです。 「Aである」はAがすでに成り立っています。 「Aとなる(ように)」は、これからAにする感じです。 …というのではどうでしょう。

tsukita
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「Aである」はAがすでに成り立っています。 >「Aとなる(ように)」は、これからAにする感じです。 そうですよね。私もそのように受け取っています。 このことについて、感覚の違いを論理的に説明できればと思います。

noname#108428
noname#108428
回答No.2

問題アに於ける「~であるとき」は「前提」です。 一方、問題イの「~となるように」は「目的」です。 数学には明るくないので、 次の等式がxについての恒等式ではない、 と前提が異なる場合に、abcに何らかの値を 代入することが出来るのか否かは分かりません。 さて、日本語の文法上の話ですが、 この数学の問題の解、は同じになるであろうと 予想されますが、この設問が同じ意味であるとは言えません。 極端な例を挙げます。 A/彼女の言葉の意味を「彼女は貴殿を愛している」という前提に則って解釈しなさい。 B/彼女の言葉の意味を「彼女は貴殿を愛している」と思い込む根拠となるように解釈しなさい。 というようなことです。同じ意味でないのがお分かり頂けますでしょうか。 > イの場合は、 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21が恒等式であるとはいっていないので、 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21が恒等式でることを議論に使うことができない。 上記は、何の議論であるかによります。 abcに値を代入し、それによって恒等式が 成立することを証明し終えた後で、 このように代入すれば…という条件を添えて 恒等式である、と宣言することは事実に相違しませんので、 議論に用いることは可能でしょう。

tsukita
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「~であるとき」は「前提」です。 >「~となるように」は「目的」です。 表現の類別をして頂きわかりやすいです。 >A/彼女の言葉の意味を「彼女は貴殿を愛している」という前提に則って解釈しなさい。 >B/彼女の言葉の意味を「彼女は貴殿を愛している」と思い込む根拠となるように解釈しなさい。 >というようなことです。同じ意味でないのがお分かり頂けますでしょうか。 Aは、彼女は貴殿を愛している事実があり(原因)、彼女の言葉が(結果)になっている。 Bは、彼女の言葉が原因であり、「彼女は貴殿を愛している」が結果 ということで、因果関係が逆になっている、ということでしょうか? >上記は、何の議論であるかによります。 議論は、先のお礼で説明させていただいた問題の解法そのものにあります。数学に偏った議論にしたくなかったので、あえて伏せてきたのですが、より明らかに回答を頂くために、きちんと述べようと思います。 【問題ア】 に対しては、恒等式(どんなxに対しても成り立つ) であることが確定していると、私の感覚では解釈します。 そこで、どんなxについても成り立つので、特に xに3を代入して、a=8 xに-1を代入して、b=5 xに0を代入して、c=7 と計算できます。 これで問題の回答は終了です。 一方、【問題イ】 に対しては、まだ恒等式になることが確定していないと、 私の感覚では解釈します。 そこで、“仮に”恒等式になると仮定して、 問題アと同じ方法で a=8、b=5、c=7 を求めます。 ですが、恒等式になることは勝手に“仮定”したことなので、 問題の式にa=8、b=5、c=7を代入して、実際に恒等式になることを 確かめます。 ************************* このように、両者では、問題を解く過程に差が生じると思うのですが、 その差は、“~であるとき”、“~となるように”ということばの解釈の違い(日本語の解釈)によって生じています。 そこで、数学的な議論は抜きにして、日本語の解釈について教えて頂きたいと思い質問させていただきました。 ※前後してしまいますが、itkijfntugさんが仰っているように、 論理に精通した人の意見も聞いてみたいです。

noname#108428
noname#108428
回答No.1

やや例文が不明瞭な気もします。 例えば 2)AがBとなるように、CもまたDとなる。 と続く場合は「A=B」は確定です。

tsukita
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 説明が不足してすみません。 そもそもの疑問は、数学の問題に起因します。 以下の“似たような問題”についての解釈についてです。 質問の意図は、下記の2つの問題が“同じ”といえるか?、 より具体的には、“同じ意味”と解釈できる余地があるか? というところで、日本語の文法の根拠を持って説明しうるかを教えて頂けたらと思います。 【問題ア】------------------------------------- 次の等式がxについての恒等式“であるとき”、定数a,b,cの値を求めよ。 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21 --------------------------------------------- 【問題イ】------------------------------------- 次の等式がxについての恒等式“となるように”、定数a,b,cの値を求めよ。 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21 --------------------------------------------- アの場合は、 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21が恒等式であるとき、 と主張しているので、 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21が恒等式であるので~ と議論を展開できます。 イの場合は、 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21が恒等式であるとはいっていないので、 ax(x+1)+bx(x-3)-c(x-3)(x+1)=6x^2+7x+21が恒等式でることを議論に使うことができない。 というのが、私の感覚です。 大変地味な質問ですが、よろしくお願いいたします。

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