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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:特定の人物名と、その人の説に関する質問)

歴史の古さに関する説についての質問

このQ&Aのポイント
  • 特定の人物名と、その人の説に関する質問です。質問内容は歴史の古さについての学説についてです。
  • 説は、歴史が古いことを誇りとする傾向があるため、後から来た民族や国家が書いた歴史には嘘(誇張)が含まれていると主張しています。
  • 質問者は、この学説を唱えた江戸時代の一般人についての情報や、その学説を表現する言葉を教えてほしいとしています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.1

お書きになっていることそのままではないんですが、 ◆富永仲基の「加上の説」◆のことではないかと思われます。 江戸期に輩出した大坂の町人学者の中でも最も独創の人でした。 在来の仏教、儒教、神道を、のちに加えられたもの(加上されたもの)で、本来のものと異なるとし、この学問的方法はキリスト教にも及ぼうとしたようであるものの、夭折しました。 古くは本居宣長が『玉勝間』巻の八において、 「ちかきよ大坂に富永仲基といへりし人有、延享のころ、出定後語といふゝみをあらはして仏の道を論へる(中略)見るにめさむるこゝちする事共おほし」と書き記し、 明治以降でも内藤湖南がこの人物の紹介に努めています。その一つである講演「大阪の町人学者富永仲基」は青空文庫でも読めますので引いておきます。この中の小見出し≪一「加上」の原則≫以下がご参考になるでしょう。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/1735_21416.html 近年物故した加藤周一にも、戯曲・小説・湯川秀樹との対談構成からなる『富永仲基異聞』によって、この特異な学者の思考の型を見つめた一冊があります。 「歴史」とは直接関係しない回答で恐縮です。ご参考まで。

hinode11
質問者

お礼

そうです。それです。富永仲基でした。「加上の説」でした! そうですか。富永は、歴史ではなく宗教の研究をしたのですね。私は学者でも何でもない、民間の歴史愛好家ですが、彼の説は非常に卓抜しており、もし彼が現代の人間なら、どこかの大学へ論文を提出すれば文学博士号を得られると信じます。 中国の顧頡剛が古代神話について同様の事を言っています。彼は三皇五帝のうち三皇《注》が加上された周辺部族の神であるとし、中原の神は五帝から始まると主張しました。つまり、主流派となる氏族の祭祀を続けつつ、置き場が無くなった非主流氏族の神を古い時代にあったものとして組み入れたものが古代神話に残っているという仮説です。 《注》紀元前に司馬遷が書いた史記には五帝のみが登場し、その上位の三皇は唐代になって付け加えられたものです。 しかし私は顧頡剛は、富永仲基が1745年に刊行した『出定後語』を読んだと思います。中国の学者は他人の論文を買ったり盗んだり、平気でやりますからね。 ※富永仲基(とみなが なかもと、1715年~1746年10月12日) ※顧頡剛(こけつごう、1893年 - 1980年) ありがとうございました。

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