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考える建国記念日|国際化における日本のアイデンティティ
- 建国記念日(2月11日)について考えると、近年国際化が進む中で日本のアイデンティティをどう捉えるかという問いが浮かびます。年号や皇紀の使用は時代遅れとされる一方、国の歴史と伝統を大切にすることと平和を求めることは矛盾しないと考えられます。
- 皇紀2671年や年号の併記は意味がないのかという点についても考える必要があります。西暦と併記することで、日本の歴史を伝える手段として有効であると言えます。
- また、祝祭日が由来や沿革から離れて単なる休日として埋没していることについても懸念があります。伝統や文化を大切にしながら、祝祭日の意味を再評価する必要があるでしょう。
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質問以下に対して浅薄な知識ですが私見を述べてみたいと思います。 >*皇紀を使用・意識する事がありますか? まったくありません。理由は下記に合わせて述べます >*皇紀2671年とか、年号(平成23年)は、無意味&不要と思われますか? 皇紀については不要かと思います。 というのも、皇紀は明治時代に西洋の西暦を基準にして日本の暦を無理矢理当てはめたものだからです。 その裏には、西洋列強になめられないために「日本は長い歴史と伝統を持ってるよ」と言いたいが為に作る必要があったからです。 同じ理由で「一国史」というのも編纂されています。(明治政府の修史事業) これは明治時代、つまり西暦19世紀中頃のヨーロッパでは、「国民国家」「民族国家」という概念が発明されナショナリズムの高まりの中、競って「自分たちの方が優れている」という事を言いたいが為に歴史編纂が行われていました。 つまり、皇紀というのは19世紀に西洋列強の仲間入りをするための武器として作られた非常に恣意的なものです。 そして、本来の役割はすでに終了したものと思います。 ただ、完全に忘却の彼方に押しやってしまうのは忍びないので、「歴史や暦というのは、その時代の為政者によって恣意的につくられるものである」ということの例証として残って欲しいかと思います。(できれば義務教育で教える) 次ぎに年号ですが、こちらは西暦と併存で残して欲しいと思います。 というのも、年号は正真正銘、日本古来から使われているものだからです。 所謂、伝統・文化として残す価値があると思います。 とはいえ、一天皇一年号というのはこれまた明治時代に決められたこと(「一世一元の詔」)なので、その辺をどう捕らえるかが難しいところでしょうか。 まぁ、ほぼ今の形が定着した感があるので、公的文書では「元号(西暦)」という形での併記が望ましい気はしますね。 あとは、大安だとか仏滅だとか訳の分からんものよりは、旧暦を西暦のカレンダーに併記するのも楽しいかもしれません。 >*祝祭日が由来や沿革を離れ、単なる休日・振り替え休日・連休の中に埋没しているのを、どう思われますか? 私は非常に悲しいですね。 「祝日の由来・沿革」=「雑学」みたいに捕らえられている感がするんですが、「一般教養」の範囲でしょって思うのですがいかかでしょう。 「ハッピーマンデー制度」って何だよ!!って感じですね。 この国の政治は、残すべき伝統・文化と時代に合わせなくてはならない制度をはき違えてる気がしますね。 まぁ、個々人の主観によって「残すべきもの・変えるたほうがいいもの」の判断は変わるでしょうから、それこそ国民的議論が必要でしょうが。 ではでは、長文・雑文で失礼しました。 参考になれば幸いです。 おまけ 元号法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S54/S54HO043.html ハッピーマンデーと3連休化による旅行需要の喚起について http://www.mlit.go.jp/toukeijouhou/unyugeturei/unyugeturei99/topics99/topics11-12_.htm 休暇分散化アイディアボックス(意見募集はすでに終了) http://kyuka.openlabs.go.jp/
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- horndesu
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はじめまして。 >*皇紀を使用・意識する事がありますか? ありません。 >*皇紀2671年とか、年号(平成23年)は、無意味&不要と思われますか? 思います。 >*祝祭日が由来や沿革を離れ、単なる休日・振り替え休日・連休の中に埋没しているのを、どう思われますか? クイズのネタになっていくんでしょうね。(笑) 日本では「建国記念日」ではなく「建国記念の日」ですね。 中学の社会科の授業を思い出しました。
お礼
簡潔にお教え下さり、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。
- phj
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暦というのは時の権力者が威厳を保つために利用するという事実もあります。 そもそも皇紀は明治になって制定されたもので、西暦に換算して日本の何年という西暦が前提のものですし、明治天皇が国家元首として日本を近代化させようとした権力側の意図がありますので「日本の文化」として認めるのには若干抵抗を感じます。 ちなみに私は日本も天皇制も大好きですので、年号は是非残してもらいたい日本の文化だと思います。もっともこれも明治になってから1代1年号になったわけで、昔は頻繁に改元していたんですようね。 また、日本の年号は東アジアの十二支十干を基本とする「暦(これが本当の意味のコヨミですね)」と違いますので、このあたりも昔から東アジアの異端児をそこはかとなく感じさせてくれていいと思います。 最近ではアラブ世界でも西暦が使われているようですし、タイのカレンダーには仏暦と西暦が併記してあるのが一般的です(親類がタイに住んでいますので間違いないです) これだけ世界が狭くなり、毎日の経済も世界全体で動いているのですから、西暦を基本として使用するのは現実として必要だと思います。 もちろん無自覚に使用するのは私としても慙愧にたえませんが、まあ西暦と年号を併記するぐらいがちょうどいいのではないでしょうか。 もし日本古来(アジア古来)からの暦を大切に考えるなら、正月も新暦ではなくて旧暦の節分の時期に祝うのがいいのではないでしょうか。 また個人的に休日・祝日でも由来があるものとそうでないものに分けられると思っています。 ですので1月1日や建国記念日、憲法記念日、文化の日、勤労感謝の日(新嘗祭)、天皇誕生日が指定日なら後は政策上の都合ですからハッピーマンデーでいいでしょう。 こだわるところはこだわる必要がありますが、古いものに袋をかぶせて新しく見せるのも日本の文化ですから、現状が西暦中心ならそれでいいのではないでしょうか。 中国が台頭してきて、文化や経済の中心になるのであれば、100年後の日本はまた違う姿をしているでしょう。 でも天皇制があり、それを象徴する年号と祝日の指定日があれば、まあ「日本はやはり日本」ということじゃないんですかね。。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 また、年号や暦について諸外国に於ける状況も含め、詳しく丁寧にご紹介頂き、大変、参考になりました。 >こだわるところはこだわる必要がありますが、古いものに袋をかぶせて新しく見せるのも日本の文化ですから、現状が西暦中心ならそれでいいのではないでしょうか。 中国が台頭してきて、文化や経済の中心になるのであれば、100年後の日本はまた違う姿をしているでしょう。 先人の知恵や訓えにも・・・ 「温故知新」「和魂洋才」「異文化コミュニケーション」と優れた文物や技術や学問を採り入れ消化し、更には我が国の独自性を是々非々&取捨選択して、吸収し活用し、新たな付加価値を創り出し活用して来たのが、我が日本の、今日までの歴史であり、日本人の英知であり、生き様なのかもしれません・・・ 丁度、表意表音に、漢字も平仮名やカタカナがあり、さらにローマ字にアルファベットを適材適所に使い分け、語彙も表現も多様性と豊かさがあるように・・・。
- Shin1994
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皇紀という言葉を初めて聞きました。その様な歴もあったのですね。 世間的にも、皇紀は非常にマイナーです。今日本人は、2011年という太陽暦と平成23年という元号を使った歴表示の2種類を使用してます。 しかしながら、僕自身この2つがごっちゃになって、「えーっと。今日は2011年○月××日か。あれ?平成で言うと何年だ?うーん…携帯で調べるか。」 というのは良くあります。最近は契約書も太陽暦が多くなっており、ますます元号の影が薄くなってます。 そんなわけで、これ以上の歴の表現が増える事には反対です。したがって、全く学校ですら習わない皇紀は使用廃止かこんなのもあるんだよ。程度の感じで良いと思います。(つまり、今の状態がベスト) 日本の文化という意味では、元号に絞った方が良いと思います。歴の表現の乱立は、世間を混乱に陥れます。
お礼
ご丁寧且つ分り易く、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >これ以上の歴の表現が増える事には反対です。したがって、全く学校ですら習わない皇紀は使用廃止かこんなのもあるんだよ。程度の感じで良いと思います。(つまり、今の状態がベスト) 日本の文化という意味では、元号に絞った方が良いと思います。歴の表現の乱立は、世間を混乱に陥れます。 仰る事は、ご尤もであり、否定も異論も有りません。 ただ、日本の歴史や数々のエピソードや事件や由来&沿革が時系列に時間推移やインターバルがスッキリと分ったり、流れを肌感覚で受け止めたりするのに、一部の学識者だけが古文書や文献を精査&調べて市か分らないのは、ますますの日本文化や歴史からの乖離・疎外・とっつき難さに繋がるのでは・・・ 一部の右翼とか国粋主義と短絡され、誰もが使わず知らず教えない、抹消抹殺されるのは、連綿と続く我が国の伝統や歴史や民族の由縁の衰退とか放擲に成っては忍びない&危惧し疑問に思うのです。
- Tacosan
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わりとどうでもいいんだけど, 「元号と即位 (在位?) 期間が合う」というのも細かいところを見ると怪しいんだよね>#3. 大正天皇が崩御されたのは昭和元年12月25日だったりする (このときは即日改元なので) し, 今上天皇が即位されたのは昭和64年1月7日です (こっちは翌日改元だった). ついでに元の文に突っ込むと「敬虔な仏教徒であるタイ人」というが, タイには仏教徒しかいないの? 仏教徒でないタイ人がいるなら, 「仏暦を使う」というのは「異教徒の暦を無思慮に使わせる」ということになって, それはそれで問題だと思うのだが.... あと, 皇紀って「紀元前 660年を基準にしている」というけど, これもかなり操作された跡があるんだよね (記紀を見れば「無理やり伸ばした」感じが随所に現れる). そう考えれば, これだって「由緒正しい」わけじゃない. ぶっちゃけいえば, 西暦よりもさらに捏造した感が漂う.
お礼
ご丁寧且つ分り易く、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 大変、勉強になりました、心より感謝とお礼を申し上げます。 ありがとうございました。
- fumiyahama
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◇そこで、質問ですが・・・に対するお答えです。 *皇紀を使用・意識する事がありますか? 年賀状に皇紀を元号と共に記載する叔父がいましたので、知ってはいましたが、使ったことはありません。 *皇紀2671年とか、年号(平成23年)は、無意味&不要と思われますか? 「ex、大化の改新・保元の乱・元禄時代・天保の改革等を西暦と皇紀の併記」 個人的には、無意味かもしれませんね。そもそも、皇紀の考え方が示されたのは江戸時代後期ですから、当然それまで『使用された実績が無い』ので、古文書に書かれていない年号など学術的にも無用だと思います。混乱の元でしょう。ただ、明治5年~は史実として使用していますので、文献資料等で使用するのは無意味・不要とは思いません。 *祝祭日が由来や沿革を離れ、単なる休日・振り替え休日・連休の中に埋没しているのを、どう思われますか? 私はあまり好きではありません。何も考えなくなりますね。 ※その他 皇紀の制定法は、西暦+中国の干支由来の660年=皇紀 とされています。ちょうど弥生時代前期に相当し、日本のクニの基が出来た頃ですね。その後クニのうち30程の国々が連合体を作っていた(纏向遺跡)とされているようです。そのような無文字時代の遺物・遺跡と偶然にも年代が合致するのは面白いと思います。記紀の記述も細かい年代を別にすれば、最初九州に鉄器が豊富な稲作文化が起こり、次いで出雲等山陰に鉄器豊富な集落が起こり、それらの統合国家らしきものが大和に存在していますから、日本の建国神話や出雲神話の通りですね。 少なくとも、隣国の『檀君の即位年は、紀元前2333年』よりは根拠がありそうですね。・・・古朝鮮王儉朝鮮・・・『魏書』云 乃往二千載 有壇君王儉・・・この根拠、マッタクの嘘で魏書には記述はないのですね。 日本の皇紀は少なくとも日本書記を根拠にしていますが、どうも韓国の根拠は『魏書』でなく「偽書」を根拠にしているようですね。 まあ、朝鮮半島での青銅器時代は紀元前13世紀からですからね。それまでは『新石器時代』です。
お礼
ご丁寧且つ分り易く、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 学説や現況や卓見についての考察を色々とお教え頂きまして、大変、参考になり、心より感謝とお礼を申し上げます。 特に皇紀については、現実として広く普及しているか、知られているか、採用による効果効能についての考察に異論も異存もありませんが・・・ それでも、将来にわたって考えた場合、歴史教育や文化芸能等の伝統継承の一環として、広く国民の知悉:一つの関心を高め理解を深めて頂く、方策、合うで亜&ヒントだと思うのですが・・・
- take-plus
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質問内容に精通しているわけではないですが回答します。 まず、世界情勢において皇紀が西暦に取って変わる事があるかというと、自分が生きてる間にはなる事はあり得ないと思います。もちろん、未来のことは誰にも分かりませんが、日本と言う国が今現在侵略国家では無いので自国の文化を他国に押し付けることは無いと思います。 その上で国内において皇紀を使うことに意味があるかと言うと、意味はあっても実益が無いと考えます 。2011年と23年という明らかに区別できる数字ならば利用価値はありますが、2011年と2671年という、660年違うとはいえ同じ四桁の数字を使いこなすのはいくら教養がある日本国民だと言っても無理があるのではないかと思います。 もちろん、20「11年」と平成「23年」、皇紀26「71年」といったように西暦の下2桁にクローズアップして議論すれば間違う可能性もありますが、日本人である以上今上天皇に敬意を表すため元号を用いることには賛成です。 ただ、元号と即位期間が合うのは大正天皇・昭和天皇・今上天皇のみですよね? 明治天皇は慶応の元号の時期に即位していたと思います。明治時代が明治天皇の全てじゃないといったあたりが元号をややこしくしてると思います。 また、平成元年の1月1日は存在しないと言ったこととか、明治天皇の前の天皇は孝明天皇であるといったことが社会常識ではなく、ごく一部の限られた人しか知らないと言った現状では皇紀の議論は、論するには未熟すぎると思います。 もちろん1月7日を祝日にしろとか過激なことを言ってる訳ではないですが、4月29日はなんの日だっけ?とか そういった知識が無い日本人が多すぎると思います。 神嘗祭よりもハロウィンの方が有名な世の中は無常だと思います。もちろん、神嘗祭は盛り上がる行事ではなく粛々と行われるべき行事だと思いますが、地域のお祭りごと1つとっても昔から意味のあるお祭りだと思うので、考えて行動したいと思いますね。 ハッピーマンデー法案については勤勉な日本国民のための連休作りですから致し方ない部分はあると思いますが、祝日の意味を考える機会が減ってしまうのは残念な限りです。
お礼
ご丁寧且つ分り易く、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 合理的で現実的なご意見であり、ご主張に同意・共感します。 ただ、それでも、日本再発見・日本人の誇りや自信を醸成・歴史文化伝統の良き点の伝承と言う面の一環から、年号・皇紀に、もう少しのスポットライト・活用を期待&祈念する思いが、今、私の心には強く沸き起こるのです。 アイデンティティ・由来・故事来歴・矜持・ルーツを大切に学び伝え残す事への使命感や思いが・・・。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。皇紀を使用・意識する事がありますか? あまりありません。 2。皇紀2671年とか、年号(平成23年)は、無意味&不要と思われますか? いいえ。 3。祝祭日が由来や沿革を離れ、単なる休日・振り替え休日・連休の中に埋没しているのを、どう思われますか? 残念だと思います。でもクリスマスは中国製のおもちゃを買う日。サンクスギビングは七面鳥の屍肉を食う日、バレンタインはチョコレートで○○を釣る日、とアメリカでも変っていますから、日本だけではないようです。
お礼
ご丁寧且つ分り易く、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 ◇祝祭日が由来や沿革を離れ、単なる休日・振り替え休日・連休の中に埋没しているのを、どう思われますか? >残念だと思います。でもクリスマスは中国製のおもちゃを買う日。サンクスギビングは七面鳥の屍肉を食う日、バレンタインはチョコレートで○○を釣る日、とアメリカでも変っていますから、日本だけではないようです。 エスプリとジョークに富んだご意見であり良く分ります。 本当に労働時間調整や連休の為の休日根拠だったら、それはそれで大切な問題だから、国民&世論の合意形成を経て別の日に設定して欲しい。 でも、故事来歴や由来のある祝祭日は祝い感謝し記念する主旨や敬意を崇敬して年号や皇紀の問題とも連動してオリジナルな歴史に則った祝祭日として喜び学び伝え、その伝統・ルーツを・意味を後世に承継して行きたいと思います。
- easymiss
- ベストアンサー率0% (0/2)
学術的質問という訳ではなく、アンケートという事で良いのでしょうか? >*皇紀を使用・意識する事がありますか? 意識する事はありません。 時代によって必要なものは変化していくので 現在使われておらず、また復活もしていないなら必要ないのではないでしょうか? (つまり「知識の殿堂」抜粋と同意見) 何よりこの国際社会では、他国と違う数え方を使うという事は 非常に大きな損失だと思います。 歴史の覇者達が度量衡を揃えたりする事からもそれらは伺えます。 私は割と愛国者ではありますが、その誇りを皇紀に背負わせるのは ちょっとナンセンスかなーとも思いますし。 戦中の敵性語って概念とか、正直ナンセンスにも程がある。 まあ理想論ですけどねー。 実際問題、皇紀を使ったりした方が、皆は日本に関心を持つと思います。 だから誇りの教育としては、もっと日本万歳で行くべきだとも考えます。 でもその選択はあまり美しくないかなーと思ったり思わなかったり。 産まれた時から「皇紀」が使われてたら、元号と同じぐらい愛してたかな、という認識です。
お礼
ご丁寧且つ分り易く、ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 ご意見やご見解と考察頂いてる点について、同意・共感します。 ただ、付け加えるor悩ましい事柄として・・・ 日本人としてのアイデンティティと言うか、魂のふるさとと表現したら良いのか分りませんが、日本人・日本文化の独自性への哀愁・拘り・矜持が何か軽視・失われているように思うのです。 その事と、歴史や主権に対する自虐史観とか追従外交にも繋がっているように思えるのです。 徒に、ナショナリズムや復古主義で凝り固まるのも良くないが、何でもかんでもグローバル化の美名の下に欧米崇拝一辺倒でも独自性や気候風土と歴史に根付いた伝統の衰退に繋がると思います。 故事来歴を知り、温故知新もまた文化や価値観や識見に、名実共に深みや奥行きや重厚さを増すと思うからです。 直接の因果関係や効果効能は別としても、西暦に年号の併記、伝統行事や由来への関心を高め、再びの「ディスカバー日本」の一環として年号や皇紀を、TPOで適材適所プラス保存して行ければ良いなぁ~と思うのです。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >この国の政治は、残すべき伝統・文化と時代に合わせなくてはならない制度をはき違えてる気がしますね。 まぁ、個々人の主観によって「残すべきもの・変えるたほうがいいもの」の判断は変わるでしょうから、それこそ国民的議論が必要でしょうが。 全く、同感です! 脱線しますが、年号や皇紀と直接の因果関係は無いでしょうが、日本&日本的な事象への軽視と関心の浅さは → 横文字の氾濫(必要以上に)・歴史的文化財や施設のお粗末な保存運営・自国の主権も領土も拉致すら他国に依存・戦争の犠牲となった英霊と殉難者に尊敬と感謝の参拝すらしない・国旗国歌を愛し誇りに思わないリーダーを観ると、祖国同胞の行く末や将来に憂いと不安を覚える次第です。 ※関連記事・資料のURLご紹介を感謝申し上げます。
補足
関連記事より~ 慶祝・紀元節(建国記念日) 敷島の桜花 ---------- 建国記念の日に際し、日本暦元旦にあたるこの日を、国思うみなさまと共に慶祝したく思います。多くのみなさまがご存知の通り、この日を紀元節の祝日は、明治維新に我が国は西欧列強に屈せず、との意志を毅然と国内外に示し、独立国日本の尊厳を守る意義から設けられました。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって廃止となりましたが、昭和41年(1966年)の祝日法改正により「建国をしのび、国を愛する心を養う」日と定められ、あらためて国民の祝日に加えられ、翌年(昭和42年)2月11日から建国記念日となりました。 日本は凛として毅然とあれ。先人のこの粛々たる願いに、日本国民の1人として、敬意と感謝の念をあらためて覚える次第です。この日本の国体と尊厳が守られ、毅然とした良識の国思う心が次世代へ、さらに子々孫々末代まで受け継がれることを心より願い、国思うみなさまが益々健やかにあられることをお祈り申し上げ、小稿に祝詞を申し上げます。 平成23年2月11日 博士の独り言