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なぜ人は他人に勝とうとするのか?

なぜ人は他人に勝とうとするのか? (「勝とうとしなければ既に勝っている」という考えが私は大好きだ)

みんなの回答

noname#122427
noname#122427
回答No.7

#3の者です、せっかちに申し訳ありません! 先の回答の経緯で、と結論付けて良いのかわかりませんが、 勝ちたい勝ちたい勝ちたーーーーい!!!と言う欲求に満ち満ちた頃、 ふと、もう一つのそれまではあまり注意していなかったもう一つの欲求に気づきました。 「本物」が欲しい。「本物」を見極められる力が欲しい。 この欲求はどこからやってきたのでしょう。。。 小さい頃から親しんできたブロックや積み木や、オルガンや折り紙、お絵かき、、、あたりで発生して来るものなのでしょうか。。。。 それとも、親が何かと美術館、博物館、演奏会、、、と連れ歩いてくれたから育まれた欲求でしょうか。。。 相乗効果、かも知れませんね。 自分で好きで頑張って弾けるようになった曲なのに、演奏会でオーケストラが違う編成、違う編曲、成熟した感性で奏でられてしまう。 どうして?私のオルガンの曲と何が違うの??と言う自問自答。 其処から芽生えた「本物が欲しい!!本物って何??」なのかもしれません。 で、勝ちたい+本物が欲しい、となった頃、兄妹喧嘩が激減しました。 学校での友人との喧嘩も減りました。 代わりに、自分より強い者、地位のある者、社会そのもの、にやたらと知恵比べや力比べを挑みたくなりました。 「勝とうとする」と「挑戦する」は何が違うのでしょうか。。。 前者は優越感と言う他者へ向かう心、が残ります。 後者は、達成感、自尊心?あたりでしょうか、 おのれへ向かい心、が残るように思います。 まあ、どちらも敗北/失敗すれば、大した心持の違いはありませんが。 OtamaFJ様は、「勝とうとする」と「挑戦する」の違いは何だとお考えでしょうか? ご質問を混乱させる問いかけでしたら、無視してくださって構いません。 よろしければ、聞かせて頂けると嬉しいです。^^

OtamaFJ
質問者

補足

「勝とうとしなければ既に勝っている」の意味は、他人に「勝とう」という意志があるため「負ける」も発生する。つまり「他人に勝とうと思わなければ負けも発生しない」という意味です。 >「勝とうとする」と「挑戦する」の違いは何だとお考えでしょうか? 自他の関係において、他人に勝とうとすることと、自分の可能性に挑戦すること(己に克つ)ことは、全く違うことです。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.6

この疑問は常に私の中にも幼少のころからありました。 だから、なぜ、なぜと考えていた、でも答えはみつからなかった。 勝ちたいと思えない、そういう特徴なんです。だから、勝ちたい人の気持ちが分からないのです。という理解でいいのじゃないでしょうか。 曲解というスレも立てられたことがありましたよね。そういう感覚も同じです。額面どうりとるまたは、とられることの方が、何もかもうまくいくのではないのだろうか。それなのに、なぜ言葉の裏をとるなんているややこしいことをして、ややこしい結果に持ち込みたがるのか、ひょっとしたら、わざとやって混乱させようとか、困らせて反応を楽しんでいるのかな、とまで勘繰りたくなりますよね。 1真は偽かも? 2偽は真かも? 3真は真であろう 4偽は偽であろう 1、2の必要性や妥当性というものが知りたい。火のないところの煙だけを見て、火と100パーセント決めつけてかかる心理とは。 やはり、「言わないでも分かりあいたいという」傾向の行き過ぎが、何らかの、利益と不利益をもたらしていると思います。 ※余談ですが言論統制の洞察でも社会の潮流はわかります。

OtamaFJ
質問者

補足

「勝とうとしなければ既に勝っている」の意味は、他人に「勝とう」という意志があるため「負ける」も発生する。つまり「他人に勝とうと思わなければ負けも発生しない」という意味です。「負けのない世界」を実現させたいものです。新たな自他の関係が求められる時代にきていると思います。

noname#106936
noname#106936
回答No.5

何に関して、 どういうレベルにおいて勝つんだよ? 何でも勝とうとすりゃ、勝ってりゃいいてもんじゃねえよ。 戦わずして負けている、てのは、どーすんだよ。

  • nahaha55
  • ベストアンサー率21% (274/1301)
回答No.4

自己の向上のためではないでしょうか。 競い合う事で、心身共に鍛えられるのではないでしょうか。 切磋琢磨し、自己が磨かれてゆくのだと思います。 >勝とうとしなければ既に勝っている 何処かで聞いた事ありますが、これってどう意味なんでしょう? 失礼ですが、わたしには『一度も戦った事がないから無敵だ!!』 と、いうのと変わらないように思うのですが・・・

OtamaFJ
質問者

補足

>これってどう意味なんでしょう? 他人に「勝とう」という意志があるため「負ける」も発生する。 つまり「他人に勝とうと思わなければ負けも発生しない」という意味です。 「負けのない人生観」を表現したSさんの詩です。

noname#122427
noname#122427
回答No.3

こんにちは。 >なぜ人は他人に勝とうとするのか? 勝負好き、好戦的を自覚している者です。 なぜだろう?なぜだろう?って考えてみました。 勝負を挑む事を挑まない事で幸せになる方法。。。なんていろいろ考えました。 でも結局、他人との比較、競争に意識が固定されている事が分かります。 嫌ですねえ。。。 いや、嫌って事でもないのですが。。。 何かとっても不思議な気がしましたので、勝負にこだわる最初のきっかけを記憶から引っ張り出してみました。 ありました。 兄がいますが、 はっきりした記憶では、やっぱりおやつを巡る騒動です。 母はちゃんと分けてくれるのですが、やっぱり「おやつ」です。 市販のクッキーでも、子どもの目には「あ!お兄ちゃんのクッキー、クリームがはみ出してる!いいな!」 ひな祭りは過ぎましたが、雛あられみたいな形状が固定されていない、昔ながらのお菓子になるともうだめ。 ほんの少しの差が、「いいな」「多いな」「少ないな」「おいしそう」になります。 朧な記憶なら、おもちゃの取り合い。 現状我が子たちの日々を見ていても、特に「取るつもり」があるわけでなく、たまたま手に取ったものが、相手のそばにあっただけ。 でも、相手にしてみれば、其処は「自分の領域」だったわけで、 其処にあるものは「自分のもの(のつもり)」だったわけで。 そんなこんなの積み重ねと学習?でしょうか。 取らねば取られる。 黙っていては無くなる。 主張しなければ貰えない。 勝とうとしなければ、ぶちのめされるだけ(現に兄妹喧嘩は凄まじかった)。 ひとつでも多く取った方が勝ち。 一発でも多く痛めつけた方が勝ち。 出来るだけ少ないパンチで相手を動けなくした方が勝ち。 最後に勝ち誇った顔を出来た方が勝ち。 勝ちはイコール幸せと笑い、でした。子ども時代は。 なんちゅー恐ろしい兄妹!と我ながら思いますが、すっごい仲良しです。 自他共に認める「お兄ちゃん子」。 妹自慢の兄、でありました。。。。わけわからん。 じゃあ、おもちゃの取り合い、お菓子騒動が起きないように、親が細心の注意を配ればまた違う幸せの見つけ方を子どもは学習出来るのでしょうか。。。 大いに試してみたいところですが、既に我が子たちは、日々を勝負と競争と、わけの分からない仲直りで過ごしております。 人類の新たな歴史の一歩を試みるには、ちと、この母は力不足です。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.2

 最終的には人間の個性と能力に差があるのと、 社会の必要性から、選抜が必要だからです。  それと人間が人生に目標を持とうと する習性がある動物というのも大きな 要因です。  例えば大学入試を考えると、大学の勉強に ついて行くには、高校でやった基礎知識が 必要です。何も分からない人まで 全部入学させたんでは、大学の授業が 成り立ちません。そこで必要最低限の ことを分かっている人をテストで選抜 する必要が出てきます。  ところが人間には能力の差がある ので、特に合否ぎりぎりの人たちは 他の人よりいい点数を取らないと いけなくなるので、試験の点数の上で 他人に勝つ必要が出てきます。 >(「勝とうとしなければ既に勝っている」    を、仮に大学受験で実践しようとすると、 大学に行きたい人が、全員高校での 基礎知識を100%習得できる方法を 実施しないといけませんが、そういった 方法がないので、結局勝とうとしなければ ならない人が出てきます。  大学なんか行かなくても、いいように すればいいようなもんですが、 人には人生に目標のある人が いますから、例えば医者になって 多くの命を救いいたと思う 人は、当然大学の医学部をめざし ます。  ですから、個性を否定して、人生に 目標など持ってはいけないと いう教育を徹底すれば、 勝という意識はなくなります。

OtamaFJ
質問者

補足

「勝とうとしなければ既に勝っている」の意味は、他人に「勝とう」という意志があるため「負ける」も発生する。つまり「他人に勝とうと思わなければ負けも発生しない」という意味です。「負けのない世界」を実現させたいものです。新たな自他の関係が求められる時代にきていると思います。

noname#109750
noname#109750
回答No.1

犬も猫も、他犬、他猫に勝とうとします。生存本能でしょう。「勝とうとしなければ既に勝っている」ですか。その言葉を、勝とうとしないで勝とうとしていると、矛盾、トートロジーのようにも思うのは皮肉でしょうけど、ある種の美学の勝利を求めているのかもしれませんね。勝とうとすることが悪いことばかりとも言えませんが、諍いから自ら外れて心穏やかに居られれば、他人に胸中荒らされる事無いわけで3文の得ではあるかもしれませんね。

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