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なぜ人は「他人にこう思うべき」と説くのか?

なぜ人は「他人にこう思うべき」と説くのか?

みんなの回答

回答No.8

こんばんは、OtamaFJさん。 べし …推量・意志・当然・適当・命令・可能の意味をもち、 形容詞ク活用型の活用で、活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形につく。 http://yslibrary.cool.ne.jp/haroajapa009014.htm ●なぜ人は「他人にこう思うべき」と説くのか? ↑ 「べき」って言葉が付くと感覚的に「べき」っ音に反応しない? 「べき」の前におかれたことばに注意が向く(強調) 何で強調するんだろう? いやいやまてまて、 「べき」の前におかれたことばに注意が向くってことは… 意識が一点に集中… その他に意識が向かいにくくなる ってことは、時と場合によっては… その他に意識を向かいにくく―――――誘導ってこともないこともないか 真偽命題 http://www.atmarkit.co.jp/fjava/column/andoh/andoh50.html

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.7

自分と他人を認知するから、だと思います。よくやっちゃいます(×_×;)シュン

  • yayuh
  • ベストアンサー率16% (7/42)
回答No.6

自分の判断基準が絶対正しくて、相手の判断基準が間違っていると思いやすいからです。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.5

「思うべき」というように、人間の心を人間が支配することは良くないことですし、また「こう思っているんじゃないの」と邪推することも良いことではないですよね。 しかし、人間が「考える」ということの原点にかえってみるとそうとも言えないことが分かってきます。 それは「言葉」の受け入れです。私たちは「言葉」というツールを使わないと、人と意思疎通ができませんし、論理的に考えることさえできません。その「言葉」はどうやって自分のものにすればいいのか、またはものにしてきたのでしょうか。自然発生的に自分から言葉が生まれたのでしょうか。そうではありませんよね。言葉の人間社会の歴史の礎があってそこから学び取って、つまり「分かる」を繰り返して自分のものにしてきたのです。 ですから例えば辞書を引いて言葉の意味を調べている行動も、その辞書作った人がこの言葉はこういう意味と捉えるべきという思いがあって、それを素直に受け入れる行動があってはじめて、言葉を自分のものにする(他人の見解を分かる)ことになるのです。それを懐疑する自由もありますが、懐疑するところの元の考えがなければまた懐疑もできないでしょう。

  • m_cosmos
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.4

君が全幅の信頼を寄せているというお師匠さんという方は君に対してそういうところありますね。。。                                ´

OtamaFJ
質問者

補足

全くありません。何かの誤解でしょう。

  • cowstep
  • ベストアンサー率36% (756/2081)
回答No.3

お節介な人のセリフであって、すべての人に当てはまる訳ではありません。性格的なものだと思えば、理解できるでしょう。

回答No.2

「なぜ人は」じゃなくて、「なぜ自分は」と考えるべき。 このサイトで「自分はこう思うのでみんなもそう考えるべきだ」と乱発しまくってるのはあなたでしょ。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

「なぜ人は「他人にこう思うべき」と説くのか?」 この質問はかなり高度な宗教的悟りに通じる質問なんですね。 普通は高僧が弟子にするものですね。哲学カテではその逆ですけど、質問者の意図は別においといてもいい質問だと思いますね。 高等宗教に通じる教えに、物理的に実行しなくても「思ったこと」に対しても「罪」に問われるというのがあります。この意味がわかれば、「なぜ人は「他人にこう思うべき」と説くのか?」の答えもおのずとわかるはずですね。 「思い」というのは物理的な力をもっているという簡単な事実があるのですね。これは目に見えない世界と目に見える世界を繋ぐ力なのですが一般的にはわからないものでもあるのですね。 各人が勝手に思ったことはその思いが目に見えない世界を創っているということですね。その世界がまた各人に目には見えないが影響を与えるという繰り返しが本当の世界なのですね。 我らがそういう世界の住人であるからこそ、昔から、悪い思いや自身をだめにするような考えはやめなさい。と説教を垂れる宗教家や哲学者がわんさといるわけです。良き思いをたくさん出せば、その思いの力は自身も良くするし回りも良くするがその逆も真なりですから、「思い・考え」を管理しなさいとなるわけです。仏教ではこの思いの管理が主体ですね。思いの管理が出来ると、思いが物理的な力を持っているというのが良くわかってくるのですね。神道では言霊とも言いますが、言葉も力をもっていると説いてますが、言葉を発する前には思いがありますからまずは思いの管理が先というのが正しいことですね。 ということで、答えになっていますかね。

OtamaFJ
質問者

お礼

丁寧なご回答、誠にありがとうございます。 考える材料にさせて頂きます。

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