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日本人にとって 英語は どうなのか?
(α) 今後とも世界の中では必要でないことはないと考えられているようですが 基本的に どう捉えておくのが 妥当であるか? (β) 必要であるとすれば 教育機関においてどう教育するのがよいか? (γ) 猪口孝が論じています。(日経 10・02・22朝刊 21面) 国際社会に生きていくには必須であるゆえ 今のように効果の上がらないやり方ではなく 五年間で効果が上がり軌道に乗せることができるように徹底しておこなわねばならないと。 1. 中央官庁から企業まで 英語能力を試験の必須条件とすべし。 2. 大学入試では 受験科目からは外し 別様に英語能力資格試験を実施しその結果を試験として採用する。 3. 入学したら 教科書の半分は英語 授業は半分以上を英語とすべし。 4. 企業でも トップが自らリスクを取り 道を開くことが普通になる実行チームを組むとき その主要言語は英語たるべし。 5. 五年間で完全実施しないと間に合わないほどに問題は深刻である。たとえば 国際会議で いちいち通訳を雇っている日本人参加者は もはや締めだしに遭い始めている。 (δ) いわく: ▲ 日本の外国語教育方法は何か根本的におかしい。一生懸命やっている割にはたいして上手にならない。私が韓国や中国 シンガポールやインドで教えた経験からいうと 英語が機能しないと強く感じるのは日本だけだ。うんぬんうんぬん。 (ε) わたし自身がいま思っていることは どうも英語や外国語は 日本語とは世界がちがうのではないかということです。 その意味は ですから あたかも英語を〔すでに長く遠ざかっているので実地にどうなるか分かりませんが もし〕話すとなると あたかも人格が変わるのではないかと思えることです。 言いかえると 日本語は日本語の世界としてみづから成り立たせた上で 英語なら英語は英語という異なる世界として割り切って振る舞うのでないと 何だか何を言っているのか・また言おうとしていることは これでよいのかと戸惑い迷いつづけるのではないかというものです。 いま述べたことはまだ曖昧ですが やり取りの中で 互いに必要有益であるとなれば 追い追い具体的に表現しうるようにしてまいりたいと思います。 (ζ) 授業の半分を英語にしては 日本語の習得がおろそかにならないかも心配ですが どうでしょう?
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日本人の英語力が問題であるのであればどのような問題があるかを明確にしてその対策を立てるべきです。 現在の日本の英語力を見た場合に問題のなのは文字英語ではなく、音声英語の問題です。文字による英語を書き、理解する事については教育したくらいのレベルの学力はあると思います。 しかし、大きな問題は音声英語を理解したり、発話する力が低い事です。猪口氏の英語の国際試験で180位と言うのはその音声英語をテストするものです。国際的な英語試験では日本語が介在しない、音声英語の比重が高いのです。 問題が音声英語のレベルが低いと考えた場合に授業を英語でしたところで音声英語の力が上がる保証はありません。日本人の英語文化圏で留学学生の音声英語の力見ればそれは自明であり、多くの英語の授業を受けたくらいでは克服できなのです。 また現在はインターネットや地上波や衛星放送のテレビ、iPod、DVD、CD等で生の英語が豊富に聞ける時代でありながら、現在の若者の音声英語の力が数十年前よりは良くなった形跡はありません。 つまり、英語学習者が生の英語に触れる量に比例して音声英語力を向上させている事実はありません。臨界期を過ぎた成人が英語を習得するにはインプットやアウトプットだけの量では簡単に克服できないのです。 ”入学したら教科書の半分は英語 授業は半分以上を英語とすべし。”と言うのはまったくのナンセンスです。 何か新しい事を学ぶのであれば母語である日本語が最高のツールです。わざわざ英語の教科書で学ぶのは具の骨頂です。 また授業を英語でやるとすれば誰がどのようにすると言うのでしょうか。現在の日本では先生さえも養成できないでしょう。 英語で授業を受けたら自然に英語が身に付くと思っているのでしょうか。 破産した英会話学校がネイティブと話せば、接触すれば英語が話せると言ってましたが、現実はそんな簡単なものでありません。 日本の音声英語のレベルが低いのはその基本的な教え方が問題だと思っています。
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- nahaha55
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こんばんわ。 日本語がしっかりできないと、外国語をどう訳するのでしょう。 それこそ、担当者によって意味が全く違ってしまうかも知れません。 ビジネスでは余計なトラブルになるかも。 なぜなら、書類は全て外国語だとしても、言語は日本語ですから、 そこで勘違い等が発生する可能性があるように思います。 あ、文章がきちんと作れる人は、『これをちゃんとした文章に 直してくれないか』という、余計な仕事が増えると思います。 もちろん、その分の手当ては無しです!!
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ あ、文章がきちんと作れる人は、『これをちゃんとした文章に / 直してくれないか』という、余計な仕事が増えると思います。 ☆ ということは この《文章をきちんと作れる人》の数は 増えないということでしょうか? 一定の人数はいるが この日本社会にそれだけだ 今後ももう増えないということでしょうか? 分かりませんが この質問は そのような人びとがどのように教育をつうじて多く出るようになるか? なのです。つまり むろん英語も出来るという人たちです。 たとえば 授業の半分を英語でおこなえという施策に対しては ☆☆ (ζ) 授業の半分を英語にしては 日本語の習得がおろそかにならないかも心配ですが どうでしょう? ☆ といった物言いが出ると考えるわけです。どんなものでしょう?
- nahaha55
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とりあえず、日本語を勉強しましょう。 小学校低学年並みの文章しか、作れない大人が多すぎます。 まずは、改行の勉強からです。 外国語なんぞは、ずっと後です。
お礼
nahaha55 さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 小学校低学年並みの文章しか、作れない大人が多すぎます。 ☆ ですか。 そうですね。でしたら 曲りなりにも普通以上の文章を書ける人たちの場合は どうしましょう? 英語についてです。 というようなかたちででも必要とのことなんだと思います。 たぶんそのとおりだろうとわたしも思いますので。
- 雪中庵(@psytex)
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1つには、これからのグローバル化において、言語も 統一に向かうべき(=共通言語に力を入れるべき)だ という考え方があります。 一方、「グローバル化」は「均質化」ではなく、 多様性を生かした「分業化による組織化」である以上、 生物種の多様性が生態系のバランスを支えているように、 各地域の文化的多様性を保存すべきで、その文化性の表出 である言語の多様性もまた然り、という考えもあります。 私自身が海外にのべ8年暮らしてみて、外国語を学ぶ事の 最大のポイントは、その国の文化(人の考え方や暮らし方 まで演繹された)を理解することにつながる事です。 正直、それさえできれば、これからの翻訳機の発展で 精度が上がれば、外国語を学ぶ必要はないと思いますし、 逆に、いくら国内で英語を勉強しても、その背景にある 異文化理解を伴わなければ、意味がないと言えます。 ちなみに僕が協力隊で2年暮らしたケニアの子供達は、 公用語のスワヒリ語以外に、実用上必要な英語、自分 たちの部族語、周辺の主だった2~3の部族語の 5~6言語を話せますが、そのために時間を費やして しまって本質的な脳の発達につながる思考力の強化が おろそかになりがちで問題だ、と理数科教師隊員が 言ってました。
補足
psytex さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ご回答として第一号です。 1.情況と問題の把握 ★(要約) 片や《これからのグローバル化において〔交流・交通のためには〕言語も・・・共通言語に力を入れるべき》であると考えられ 片や《「グローバル化」は「均質化」ではなく、多様性を生かした「分業化による組織化」である》という大前提が省みられねばならない。 2. 《共通言語》と言っても いづれか一つの単位社会に根差すものである。つまりその《自然環境をも含めた歴史的な文化》が問題であり 《文化の問題》である〔部分がきわめて大きい〕。 3. とすれば 英語を共通言語とするということは ギリシャ・ローマから英独仏の西欧ないしヨーロッパおよびアメリカの文化を 母語の文化とは別に我が物とせねばならない。 4. 逆に この《異文化理解を伴なう》のであれば 言語それ自体としては 《翻訳機》に任せるという手も考えられる。 * その精度は まだまだのようですよね? 微妙で細かいところが一つ二つあって誤訳になれば それが全体にまで及んでしまうといった事例が多そうです。 5. けれども幼い頃からいくつかの言語を学ばせるにも 差し支えが出る場合がある。 ★ そのために時間を費やしてしまって本質的な脳の発達につながる思考力の強化がおろそかになりがちで問題だ、と理数科教師隊員が言ってました。 ☆ とか。 ○ 異文化理解とその言語をひとつ――けっきょく 英語でしょうが――なら 小さいときから習わせてもよいか? ○ けれども 母語の文化理解がすすんでいないときに 異文化理解ができるか? ○ つまり学校・大学をつうじて その半分を英語でまかなえるようにするという施策は どうなのか? =(ζ) 6. そもそも十年間習っても ものにならないとすれば いったいそれは どういう事態であるのか? ▲ 〔東アジアの中で〕英語が機能しないと強く感じるのは日本だけだ。 ☆ これについて 猪口は 《英語教育の徳川モデル》がいけないのだと論じています。江戸時代からの慣習がいまなお幅を利かせているのだと。 ▲ (猪口)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 第一に 鎖国だから 日本語以外の言葉は真剣に学ばない 学ばせないという暗黙の了解がある。 第二に 鎖国だから 日本社会だけに通ずることを大事にする。そのため 日本を離れた途端に 日本で学んだことは役に立たなくなる。 ・・・ 徳川時代 漢文は別として外国語などは担当の係に任せきりであった。例えば長崎・出島の係のような人で 外国語に秀でてはいるが その他の物事を扱う権限が与えられてはいなかった。 ・・・ 国境を越えたら何の役にも立たないのが日本の大学教育でり 日本を離れたら無に帰するのが日本の学位ではないのか。 日本に留学しても日本で就職しない限り 故国ではあまり使い物にならないから 日本に来る留学生が増えないのではないか。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ はてさて ここから考えをすすめていける余地がありましょうか? よろしかったら展開して行ってくださいませ。みなさんも よろしくどうぞ。
- englishboy
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学問&教育 > 英語 でやってくれ。ここは哲学のカテだから。
お礼
englishboy さん ご投稿をありがとうございます。 ですが いちどわたしの投稿に対して梨のつぶてだったので 放っておくのも手ですが どうですかねぇ。 この内容では 一瞬の出来ごころで 投稿されましたか? 再考の結果は いかがですか? とでもお返ししておきましょうか。
- Naive_
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ナイーブで一悶着あったようだな。
お礼
Naive_ さん こんにちは。はじめましてですね。ご投稿をありがとうございます。 Naive_ さんが ★ ナイーブで ☆ と――これは わたしのことですよね?―― おっしゃるのだから おもしろい。 ★ 一悶着あったようだな。 ☆ いいえ。一つや二つでは利きません。三つや四つでもまだまだです。 ふりかかる火の粉は払わずばなるまいってなところですかね。 いちど数えといてくださいな。 それぞれにあらましを付けておいてもらえると なおありがたいですな。
補足
sakuraikei さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 まづ ★ 問題が音声英語のレベルが低いと考えた場合に授業を英語でしたところで音声英語の力が上がる保証はありません。日本人の英語文化圏で留学学生の音声英語の力見ればそれは自明であり、多くの英語の授業を受けたくらいでは克服できないのです。 ☆ これは 意外でした。英米の大学や語学教室で習っても 大した成果は上がらないということでしょうか? 日常会話くらいまでだと。つまり 学位を取りふつうに英語をあやつるようになる人びとは 少数の例外的な存在なのだと。 困ったものですね。 ★ 日本の音声英語のレベルが低いのはその基本的な教え方が問題だと思っています。 ☆ 参考URLからですが。 ▲ 英語を話すための自動化ができてないから ☆ という理由。これは 仕方がないでしょう。日本にいる場合。でもいわゆるハーフの人は 何の不自由もなく話しますよね。 ▲ 臨界期とは人間は12才から15才くらいになると、言語の音を聞いてそれを真似る能力が急激に低下します。 ☆ これは いまここで理由に挙げたくありません。韓国や中国の人たちを初めとしてほかの国の人も まったく同じ条件なのですから。 ▲ 母語の干渉:日本人の話す英語は非常に日本人独特の訛りあり、それは日本語が話せるために発生する干渉の問題です。 ☆ これは やはり一般的にはどこの国の人にとっても同じ条件に見えますが 日本語は 特殊ではないかとは思っています。しかも韓国語もそうだと見ているのですが その韓国人はじゅうぶん容易に習得するようなので 弱っています。これはハ格やガ格を用いて行なう主題提示を主要な文型とするので 主述論理の英語などに対しては むつかしいとは思っていました。 ★ また授業を英語でやるとすれば誰がどのようにすると言うのでしょうか。現在の日本では先生さえも養成できないでしょう。 ☆ 香港・シンガポールあるいはフィリピンなどでは英語を用いていますね。どのように教師を養成したのでしょう。 いやあ 何だか手詰まり感をおぼえますね。 わたしの心つもりとしては (ε)の日本語文の特殊性についてと それからすでに考えておられる方がたの基本的な考え方をお聞きしたいということだったと思います。 もう少し問いを絞って問うたほうがよかったかも知れません。 いづれにしましても ありがとうございました。 もう少し開いていて 締めたいと思います。