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侵略戦争がダメになった理由

ヨーロッパでは第二次世界大戦を期に "強い国が弱い国を侵略するのは当たり前" という考え方から "侵略戦争は良くないことだ" と急にコロッと変わった感じを受けます。 何故そんなに考え方がコロッと変わったのでしょうか?

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  • phj
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回答No.3

いくつかの理由があります。 ・近代戦争がコスト上割に合わなくなったから、 近代に入るとそれまでの戦争と様子が変わってきます。特に第一次大戦で顕著になるのが、徴兵制による国民の大量動員・近代兵器(戦車・機関銃・航空機)による戦争の機械化などです。 これにより戦争の結果は、単純に兵士の質と量、戦略の良し悪しではなくなり、生産性の劣る国は絶対に勝てない、というように戦争の質が変化していきました。 これにより、最初は戦争の準備のために、国による生産性の優劣が競われるようになったのです。 ・植民地が負担になる 植民地というのは、以外に手間のかかるものです。植民地主義の最初の頃は植民地の人間を農作業や工場での単純作業につかせていればよかったのですが、先に書いたように兵器が高度化するにあたって労働力も教育水準の高いものがあたる必要性が出てきました。日本でも太平洋戦争末期、兵器工場に借り出された女子学生が5角形のナットを作ったという話もあります。 つまり生産性を挙げるためには、教育などの資本投下が前提になり、今までのように勝手に生まれてくる植民地の子供が大きくなったら労働につかせる、程度では生産性が悪いままで、植民地に対する資本投下とそのリターンがうまくいかなくなってきたのが第二次大戦のさなかといえます。また国の生産性を挙げるために全体主義国家になったドイツや共産化したロシア(ソ連)などが大きく躍進し(つまり兵力も強くなった)、植民地を持たないアメリカも巨大な生産国に変貌していました。つまり植民地を持っているほうがリスクになってきたのです。 ・最後の世界大戦 今後、世界大戦が起きるかは分かりませんが、少なくとも今の世界(ご質問にある"侵略戦争は良くないことだ"という価値観)の方向が決定的になったのは、第二次世界大戦と言えます。その後、世界中を巻き込むような大きな戦争は起きていません。 第二次世界大戦の特徴は、第一次世界大戦で大負けしたドイツが、ヒットラー率いる全体主義国家に変身し、生産性を高めたため、もう一度勝負しようとしたのがヨーロッパ戦線の始まりですし、アジア側では生産性を高めようとした日本に脅威を感じたアメリカをはじめとする西欧列強が、日本の生産能力を落とすためにガソリンなどの資源供給を妨害し始めたことが発端になっています。 この大戦の結果はご存知のとおりですが、戦勝国はドイツや日本から賠償金をほとんど取っていません(日本は旧植民地へは賠償金を払っています)。これは第一次大戦後賠償金の支払いに苦しんだドイツが、全体主義国家になり、戦争の道に戻ってしまったことへの反省があるといわれています。 この大戦はもうひとつの重大なモノを生み出しています。核兵器です。 ・核兵器後の世界と米ソ冷戦 核兵器が広島・長崎で投下されたことと、ロンドンに落とされたV2ロケットが合体すれば、戦争は人の戦いでも陣地争いでもなく、単に自国からロケットを発射し合って行なわれるものになる、と政治指導者たちは考えました。 そのため、より兵器をたくさん作り準備したほうが戦争に有利になると考えるのは必然です。ですのでどの国も生産性を高めロケットを多く持ち、核兵器を多く持とうという風に変化していきます。 ここに登場するのが新興国であるアメリカとソ連です。アメリカは植民地を持たなかったために新興国としてのし上がり、ソ連は共産革命によって生産性の高い新しい国に生まれ変わっていました。そしてそのどちらも敗戦国ドイツからの技術者を使って、核兵器とロケットを開発していったのです。核兵器を開発したのはアメリカが先でしたが、有人宇宙飛行を実現したのはソ連が最初でした。軍事的な観点からみれば、地球を何周もして帰ってこられる有人ロケットは、地球上のどこへでも核兵器を落とせる、ということを意味するのです。 これにより、核兵器を持たない国を含めてまたイデオロギーの対立から米ソの陣営どちらかに入らざるを得ない状況が生まれ、また戦争の質もさらに変化することになったのです。 つまり、"侵略戦争は良くないことだ"という概念は第一大戦の前後から出てきた発想であり、そのために国際連盟などが作られたのですが、結局戦争(第二次世界大戦)をとめることが出来ず、第二次大戦中に生まれた新しい技術・イデオロギー等により、「侵略して領土を取得すると国を発展させる」という考え方を時代遅れにし、むしろ植民地はリスクになるようになりました。 そのため第二次大戦後は、植民地を解放し独立国にすると共に、自国の陣営(引いては米ソどちらかの陣営)に組み入れ、旧本国で生産したものを買ってもらったり、旧植民地の資源を優先的に購入したり、という国同士の関係になっていったのです。

sonhorie
質問者

お礼

非常に分かりやすい回答有難うございました。 フランスの義務教育の教科書(少し古いものですが)に"ww2を期に侵略戦争は良くないことだという考えになった"と書いてありましたが、実際のところそういうことだったのですね。 自分でもおかしいなと思いました。 スッキリしました。

その他の回答 (4)

回答No.5

まず、植民地の多くは国(近代国家)を侵略したのではありません。未開の蛮人を保護・教化し、その土地を領有した(と、彼らは思っている)のです。 欧米間の戦争は侵略というより、歴史的に利害、領有、民族などの要素が複雑に入り組んでいるので、どちらにもまっとうな言い分のあるものです。 よって、強い国が弱い国を侵略するのは当たり前だという考えは、そもそもなかったと思いますよ。それは、近代になってダーウインの進化論の「弱肉強食」を社会科学に間違って応用した観念です。 で、戦後の考え方に関しては、ふたつの側面があります。 ひとつは、大戦によりアフリカ地域はそのマスター・カントリーであるフランスが一時消滅したことに伴い、また太平洋地域では日本が多くの植民地を占領(解放という見方もあります)したことにより、以前からあった民族の独立機運が高まり、再植民地化するにはコスト対効果がぜんぜんあわなくなった。 もうひとつは、東京裁判で日本を「侵略国家」として裁いたため、自分たちもその呪縛を受けることとなった。

noname#111031
noname#111031
回答No.4

”強い国が弱い国を侵略するのは当たり前”と言う考えが本当に存在したのですか? 逆に質問させていただきます。実例を提示願います。

sonhorie
質問者

お礼

植民地化はその実例になりませんか? 少なくともドイツ、フランス、イギリスの義務教育の教科書にはそう書いています。日本の教育ではあまり触れられないようですけど。

  • syuitilwo
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回答No.2

色んな人の色んな意見があってその様な結果に落ち着いたのだと思いますが… 結局戦争と言うのは『敵』を作る事に他なりません。 自分達が敵は一人だ!!やっつけよう!と思っていても、周りの国々にとってみては「大切(?)な友達」だったりする場合が往々にしてある訳です。 その友達を助ける為に周辺の国々は行動します。 それが結局は自分達にとって「敵を増やすだけ」に終わってしまう可能性が十二分にある。と認識される様になったからだと思います。 ましてや、国際社会で孤立を深める事のデメリットは北○○を見ても明らかです。 つまりヨーロッパでは「納得は出来なくても妥協する」方が国民や国家にとっては得策である。と言う事が浸透した結果だと思います。 侵略戦争は良くない。では無く、やってもデメリットの方が大きい。とナ○スの結果を見て学んだのかも知れませんね。

回答No.1

端的に言えば、「戦争では儲けが出なくなったから」と言えるでしょう。 なんだかんだと言いつつ、戦争は政治の一手段であり、その目的は利益の確保です。 ヨーロッパでは、第1次大戦の後始末の失敗からナチスの台頭などがあったこと及び本国への戦争協力への代償として、植民地への大幅な譲歩がありました。 また、一時的なものにせよ、日本による東南アジアからの欧米勢力の駆逐があったため、旧宗主国の再植民地化がしにくい状況となったのです。 これは、本国の疲弊・戦後復興のため、植民地支配に必要な軍事力の確保・展開が不可能になったということと、日本の大東亜共栄圏構想を侵略と定義したため、また、日本という国、そして日本人が一時的にせよ欧米列強を駆逐し、かつ、東南アジアにおいてはビルマを除いた地域を確保し続けたことから、白人による支配は絶対ではないと、気がついてしまったということがあります。

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