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お金は超越論的仮象か?
お金は超越論的仮象か?
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『カントがやっていたのは超越論的仮象を批判することですね。古来仮象は感性によってもたらされるもので、それを理性によって取り除いていくのが哲学だということになっていた。しかるに、超越論的仮象とは、理性で取り除けるどころか、理性そのものがもたらすような仮象です。カントは自己の存在とか神の存在とかをその例にあげていますが、僕はネーションも貨幣もそのような超越論的仮象だと思います。つまり、単に貨幣を取り去ればいいということにならない。たとえば、市場を否定すれば、国家がすべてやるということになってしまう。だから、いかに貨幣を廃棄しつつ、なお且つ貨幣によってなしえたことをなすかが問題となります。それがまさに貨幣を「揚棄」するということです。それは積極的課題です。たとえば、カントは理念は仮象だけれども統制的に働くといっています。カントによれば、歴史の理念はそのような超越論的仮象であって、人はそれなしにやってはいけない。それを否定しても、実はこっそり別の理念をもちこんでいるのです。』 (『近代文学の終わり』柄谷行人) さて、そもそも、超越論的仮象とはなんでしょうか。 超越論的仮象を上記の柄谷流に解釈したとしても、国家と貨幣を同列的に、超越論的仮象と捉えられているようですが、私は個人的には、この意見には賛成ではありません。 国家とかは、確かに形而上学的な理念に近いものに感じられないわけではありませんが、お金は、形而上学的というよりは、もそっと、『生臭い』ものではないかと、感じますね。
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- yosiochan
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回答No.2
そうとも言えると思います。でも、将来お金がなくなるときも来るのでは?そしたら、違うとも言えます。
お礼
なるほど、よくわかりました。 ちょっと暇だったので質問してみました(笑)。 これから長期出張なのでいったん締め切ります。 帰りましたらまたよろしくお願いいたします。