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英語は早いうちから覚えた方がいいのか?
つまらないベタな質問ですが、お付き合い頂ければ幸いです。 英語を小さいうちから子供に覚えさせようとしている親御さんも多いですが、それに対して疑問視する人も多いです。しかし、それなら高校からでも遅くはないと思います。現在のように文法と訳読を中心とした教え方なら、むしろこっちの方が効率がいいし、大学ではどうせあまり役に立たない第2外国語の時間を英語に充てれば、博士課程で英語の論文を読む為の英語力を養成するだけの穴埋めは可能だという考え方もできます。でも、やっぱり、英語はもっと早いうちから覚えた方がいいのか、結局、中学生から始めるのが最適なのか、皆さんはどう思いますか?
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すみません、NO.7 ひとつ訂正です。 >と思って気づいたんですが、高校も義務教育ではないのですよね。 >でしたら中学校からで良いのでは。 →中学校からか、もしくは小学校からで良いのでは。 小中どちらが良いのかは分かりませんが。
No.2です >gallinaさん自身はいかがお考えですか? 「何歳頃からどういう方法が良いかは、何を(どこを)目指しているかにもよる」と考えています。 「ネイティブ感覚は無くていいから、ある程度会話したり読み書きしたりできるように」というなら、中学からが最適かどうかは存じませんが、別に中学からでも構わない(遅いとは思わない)と思います。 「ある程度」がどの程度になるかは個人により異なると思います。 向き・不向き、努力の量、必要性やモチベーション、英語以外の学力など。 ネイティブ並みにしたいなら小学校低学年(もっと前がいいのか分かりませんが)から、英語を使う環境で生活し教育を受けないと無理だと思います。 逆に、高校から始めるのがどうかは分かりません。 高校3年間だけやるのか、中学+高校で6年間やるのか。 (全員が大学に行くわけではないので) 当然ながら授業の仕方によっても違いますし・・・・・。 と思って気づいたんですが、高校も義務教育ではないのですよね。 でしたら中学校からで良いのでは。 高校や大学に行かない人は英語が要らないかというとそうとは限らないでしょうし、基礎学習の機会は広くあるほうが良いと思います。 そこから先、続けるかどうかは人それぞれで良いと思いますが。 大人になってからでもまったく上達しないわけではありませんが、「記憶力の点」では、20代半ばぐらいまでが有利ではないでしょうか。
- pentarako
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話がインド人のアイデンティティに変わりました。 インド人が、宗教やカースト制が原因でアイデンティティに混乱を来すという話を、私は聞いたことがありません。そのどちらも、個人や社会のアイデンティティを強力に確立するためのシステムなのですから。 それに、ヒンディー語(ヒンドゥー語ではありません)は、あらゆる言語の中で最も論理的と言われるサンスクリット語から派生した言語なので、抽象観念を表す語彙が不足しているとは考えられません。何しろゼロを発見した人たちが使っている言葉なのですからね。余談ですが、ゼロの概念が思想として発展したのが仏教です。存在するものは存在しない、つまり「空」の概念です。これほどまでに高度な概念がインドでは2500年前から語られています。 日本人の民族としてのアイデンティティについては、大変興味深いテーマですが、もともとの質問から離れすぎるので残念ながら別の機会に。
お礼
何度もありがとうございます。 >インド人が、宗教やカースト制が原因でアイデンティティに混乱を来すという話を、私は聞いたことがありません。 私はインドはあまり興味がないんですが、インドは近隣国とも含めて言語、宗教などが複雑に関係していると言えます。インドではヒンディー語が一番強いですが、ベンガル語、パンジャビ語、ウルドゥー語などは隣国にまたがって使われいるし、またインドは北部と南部が微妙に対立していて、特に南部の住民はヒンディー語よりは英語を好んで使うなど、アイデンティティに影響を及ぼしている原因は多いかと思います。 >それに、ヒンディー語(ヒンドゥー語ではありません)は、あらゆる言語の中で最も論理的と言われるサンスクリット語から派生した言語なので、抽象観念を表す語彙が不足しているとは考えられません。 私の書き方にも語弊がありましたが、私が言いたかったのは、数学とか物理とか、ハイテク分野などの語彙です。その点、中国語はすごいと思うんですよ。いまだに表意文字を使い、その表意文字で近代文明に関するものも全て表せるんですから。
- pentarako
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質問者さんが「客観的な裏付け」にこだわっていらっしゃるようなので、元の質問から脱線しますが、これについて記します。 まず、客観的な裏付けとは何でしょう? 質問者さんは考えたことがありますでしょうか。 先の回答に書いたように、統計だとしたらそれは母集団の選び方などどうにでも恣意的に選べるし、また統計作成者に都合のよい結果を出すことができます。つまり、あらゆる客観的な統計には、程度の差こそあれ主観が含まれています。言い換えれば、統計には何らかの意図や憶測がもともと含まれているということです。したがって、完全に客観的な統計というものはそもそもありません。 日本語も英語もどっちつかずな子供ができる心配については、英語教育先進国インドに例を求めましょう。インドは英語が公用語の一つなので、学識ある者はみな英語を話します。幼少時から英語で教育を受けた人のうち、結局英語も(北インドでの主要語の)ヒンディー語もどっちつかずで、自分を表現しきれない苛立ちを訴える人は確かにいます。 もともと多言語社会であり旧英領だったインドと日本とでは教育事情がまったく事情が違うのですが、きちんと自分を表現できる言語がひとつはないと本人のアイデンティティに混乱がおきることには変わりがないようです。 最後になりますが、「高校から英語を始めても遅くはないか」については、質問者さんが満足できる客観的な資料を提示しなければならない雰囲気なので、どんな調査方法で作成された資料なら完全に主観を排した客観的なものといえるのかをご提示いただければ、それに応じて資料を書庫から探してきたうえでお答えいたします。
お礼
再度回答ありがとうございます。 >まず、客観的な裏付けとは何でしょう? 適切な言葉が思いつかなかったのですが、要するに「根拠」ということです。pentarakoさんが挙げられたインドの例も一つの「根拠」として認められます。 >日本語も英語もどっちつかずな子供ができる心配については、英語教育先進国インドに例を求めましょう。 専門家さえあまり言及しないことによく気づかれましたね。ただ、ご存知のようにインドは英語やヒンズー語以外にも色んな言語が話されているし、また宗教とかカースト制度もあり、アイデンティティに混乱をきたす要因は多いですね。それと、ヒンズー語は科学技術とか現代の抽象観念を表す語彙が大幅に不足していて、どうしても英語に頼らざる得ない事情もあります。それと、これはフランスの例ですが、英語を習うのは日本より1年早く、しかもその2年後には第2外国語も学習しますが、フランス人は日本人よりもアイデンティティーが確立している思います。これは話が逸れますが、日本人のアイデンティティーって何でしょうかね? 民族意識が強い割には、自国に対してのプライドが低いように感じられますが。 >「高校から英語を始めても遅くはないか」については、質問者さんが満足できる客観的な資料を提示しなければならない雰囲気なので、 これについてだけは pentarakoさんの率直な意見をお伺いしたいと思います。
- pentarako
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>客観的な裏付けに欠けますね。 客観的な裏付けとはどんな手段による裏付けでしょうか? 「幼少時に英語を受けたら日本語が下手になるか」という統計はおそらく存在しないと思います。仮にあったとしても、統計というのは作成者の意図によって母集団や結果の解釈をどうにでも左右できる性格のものなので、客観的な裏付けにはなりにくいと私は考えています。 「ケースが違う」件について。 足の速い子もいれば絵のうまい子もいるし、両方得意な子もいるように、個々の子供の才能や環境によっては違う教育方法もあると思っています。先の意見は、全体的な方向性を述べたにすぎません。 そして、たいがいの子供には苦手な科目があると思います。質問者さんの個人的な好き嫌いと、児童教育(あるいは英語教育)全体を同列には論じられません。
補足
結局 高校から英語を習い始めては遅いんでしょうか? >先の意見は、全体的な方向性を述べたにすぎません。 ですから、そういう方向性自体が現実のものではなく、憶測に過ぎないんですよ。 >質問者さんの個人的な好き嫌いと、児童教育(あるいは英語教育)全体を同列には論じられません。 もちろん、そうです。しかし、pentarakoさんの先入観と英語教育の意義もまた観点の違う問題です。
- pentarako
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外国語教育は、中学以降から始めるのが最適です。 日本人の子供が幼少時に身に付けるべきは、日本語です。 一般に、日本語なんて子供が親とおしゃべりしていれば自然に話せるようになると思われています。とんでもない誤解です。もちろんある程度は話せるようになりますが、自分の体験や思考を深く掘り下げ、それを表現して他人に明確に伝えるのは、どちらもかなり言語技術のいることです。これができないと「自己表現の不得意な魅力のない人」とか「意思がはっきりしない仕事で使えない人」という烙印を押される未来が待っています。 小中学校で日本語の基礎的表現力を築くべき時間を英語の勉強についやすと、日本語でも英語でもどちらでも表現力のない中途半端な言語能力の大人になってしまいかねません。小学校での英語教育は時間の無駄です。
お礼
>外国語教育は、中学以降から始めるのが最適です。 pentarakoさんの考えに沿うと、中学からでも少し早いような気がしますが、高校からでは遅いんですか? >小中学校で日本語の基礎的表現力を築くべき時間を英語の勉強についやすと、日本語でも英語でもどちらでも表現力のない中途半端な言語能力の大人になってしまいかねません。 これはよく聞きますが、憶測の域を出ず、客観的な裏付けに欠けますね。ちょっとケースが違うかもしれませんが、英語が苦手な人に限って 国語ならめっぽう強いとかはないし、じゃあ、日本語の怪しい人は英語が得意な傾向にあるかというと、そういうことは全くありません。 どちらかと言うと、比例関係とまでは行きませんが、物体の体積と質量のような相関関係に近いものがあるような気がします。 >小学校での英語教育は時間の無駄です。 これを言ったら、小中学校の音楽も時間の無駄では?私は特に中学校の音楽は楽しくありませんでした。折角の“音楽”が「音が苦」になったら本末転倒です。
こちらはご覧になっていますか。 「幼児期からの英語教育はNG?」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5604698.html 何歳頃からどういう方法が良いかは、何を(どこを)目指しているかにもよるのでは? いつも思うのですが、子供に英語を身につけさせることを望んでいる親御さんたちは、どういうレベルの英語を望んでいらっしゃるのでしょうね。 文科省がどういう事を目指しているのかも私は今ひとつ分からない、っていうか知らないのですが。
補足
gallinaさん自身はいかがお考えですか?
- phj
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英語を小さい頃から覚えさせてもいいのですが、ようはどの言語を使って、何を話せるようになるか、そのためにどのくらいの時間を割くかの問題だと思います。 たしかに英語の発音は日本語と比べ物にならないぐらい、種類が多いので、小さいうちからある程度英語の音に慣れておくほうが有利だとは思いますが・・ 日本の場合、世界のトップレベルの研究まで(日本にいるなら)日本語で研究することができます。英語の論文を読むといっても、専門用語や数式などもありますので、高校レベルからの勉強で十分対応できるといえます。去年ノーベル賞を取った日本人科学者も、英語の論文は読めるが日常会話は出来ないとインタビューに日本語で答えていました。 日本で普通に学力を養い、外国で通用するだけの教養を身につけるには、まずは日本語が重要です。日本で大人になってから、外国に行く場合「日本人」として外国人から見られ、日本人というフィルターが常にかかりますので、やはり日本人としてなにをアウトプットできるか?が重要だと思います。このアウトプットする中身を英語で身につけることは困難です。 今の日本は「教養」という言葉が忘れ去れていますが、諸外国に行けばエスタブリッシュメント層は一定の教養を身につけているものとされます。イギリスならシェークスピア、アメリカなら新約聖書でしょうか。 何語でもいいですから外国人と渡り合うときの日本人としてのスタンダード(立ち位置)が無ければ、いくら語学が出来ても、尊敬を得られません。 ですので、日本語でしっかり物事を勉強できる能力を身につけてから外国語を勉強すればいいと思います。 日本語で話す内容に中身が無ければ、どんな言語でも中身のあることを話せるようにはなりません。
補足
ありがとうございます。結局 高校から英語を始めても遅くはないということなんでしょうか?
お礼
私は基本的に現状のままでいいと思うんです。それと、これは誰も思いつかないんですが、小学5年、中学4年のシステムも柔軟的に認可して、この場合、中学1年生から英語を始めれば現行より英語の学習開始が1年早まります。現在の小学校の枠内で英語を教えるのは無理があるし、あまり意義があるとは思いません。それと、高校で第2外国語を学んでもいいのではないかと思います。そして、ゆくゆくはセンター試験の外国語も英語+第2外国語にするのが望ましいと思います。詳しいことは割愛しますが、