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理想の英語教育とは
よく、日本人は6年間英語を勉強しても英語が話せないのは 教え方が悪いと指摘されますが、それでは理想の教え方とはどんなものでしょうか? 昨日は 学校で行われる文法と訳読を中心とした学習のメリットについて質問しましたが、殆どゼロと言ってもよさそうですね。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2552771.html
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これは目標をどこに定めるかにもよりますね。もし、英語を母国語のように使えるレベルを目指すなら、フィリピンやインドのように母語を犠牲にしても 小学校から英語のイマージョン教育が必要でしょう。それでもきれいな英語は話せない場合が多いですけどね。でも、母語で近代的で高度な抽象概念を表現できないと言うのは不幸だとは思いませんか? さて、教育方法に問題があるのは英語だけではありません。音楽にしても本来は音を楽しむものであり、「音が苦」になっては本末顛倒と言うものです。英語だって 本来は視野を広げるのが大きな目的の1つなのに、「外国語=英語=学問=教科=試験=点数=偏差値」という図式を作ってしまったら 視野が広がるどころか逆に狭くなってしまいますよね。 むしろ、まだ英語を習っていない小学生の方が 純粋に 世界には色んな国があって国ごとに色んな言葉が話されていて、その中でも 英語が最も広く使われていると解釈できるはずです。 はっきり言って、英語の習得には個人差が非常に大きく現れますので、 現在の枠組みでどんなに改善しても誰しもが流暢に英語を話せるようにはなりません。#1さんがtoeflやtoeicで教員を採用試験をする案を出されましたが、私は寧ろ 日本語も英語も通じない外国人とどれだけ意思疎通を出来るかという試験の方が面白いと思います。というのは、いくら世界では英語が最も通用するといっても、英語の話せない人の方が多いんです。例えば、メキシコに行ってお礼を言う場合は スペイン語で「グラシアス」と言えればいいんでしょうけど、「グラシアス」が分からなければ 英語で“Thank you”というよりも日本語で「ありがとう」と言った方が感謝の気持ちは相手に伝わるものです。それから、 世界には色んな人種がいますが、肌の色や宗教が違っても同じ地球人です。ですから、東南アジアやアフリカの人たちを見下してはいけないし、欧米人に臆する必要もありません。これは 英語の仮定法を覚えることより よっぽど重要なことだと思います。 さて、現実的な範囲で改善策を挙げるなら、Ceiriosenさんが#1さんのお礼でも書いたように、国語から見直す必要があります。 あと、小学校から英語教育を実施するのも必要でしょう。というのは、小学生なら 関係代名詞とか不定詞とか用語を持ち出さなくても感覚的に理解できる能力があるからです。そしてもっと大事なのは中学からの英語ですが、文法を覚えてから文章を読むのではなく、文章を読みながら文法で整理して行った方が効果的です。現行の教え方では 言語に対する「自然な勘」をそぎ落としてしまいます。そして、中学では 和訳は補助的にしながらも 英語を英語で理解する為のトレーニングをしていきます。それで 文字よりも音を優先させます。そして、高校では英語は英語で学習するスタイルをベースにします。題材も現行より簡単で 日常的なトピックを選びます。 あと、英語を覚える上で重要なのは失敗を恐れないことです。でも、受験生は試験でのミスを非常に恐れていますから、試験のあり方も含め抜本的に見直す必要があるでしょう。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 ちょっと時間が出来ましたのでまた書かせてくださいね。 >日本人は6年間英語を勉強しても英語が話せないのは 教え方が悪いと指摘されますが、 ここで二つの点に関して問題点がありますね。 ひとつは「勉強しても」の部分です。 いらないことをいくら10年も勉強しても違う意味の英語は話せないでしょう。 目的が違うわけですからほとんどの日本人が期待する「少しは話せて聞き取れるようになりたい」は達成できないないのは当然とも言えるわけです。 もうひとつは「教え方が悪い」の部分です。 これは、そういうことではないと思います。 教え方が悪いのではなく、教えてくれない、と言うのが現実でしょう。 しゃべれない先生がどうやって発音を教えることが出来るでしょう。 日本語訛りがあっても私はOKと考える私です。 (イギリス人ですらイギリス訛りがあるのです。) ここ上海で仕事上多くの「外人」と会っています。 ヨーロッパ・オセアニアからの人たちですね。 彼らには彼らなりの「訛り」があります。 しかし、99%全く問題なく意思疎通しています。 アメリカ人と話しているのと全く同じです。 話せる先生であれば、先生の経験から「発音なんて気にせずにどんどんしゃべろ」と言うアドバイスが必ず出てくるでしょう。 話せるようになるためのアドバイスがいろいろ出てくるはずなのです。 そして、そのアドバイスをまとめて教育項目の中に入れる事だって出来るはずです。 (理想のひとつで終わってしまうのかな) 6年間もしゃべれるように教えてくれないから日本人のほとんどはしゃべれない、と言うことになるわけです。 教え方は、教える項目を改革的に変える事が出来てからでも遅くはありません。 自分を自分で伸ばせる基礎を作り上げるのが教育だと信じています。いわゆる土台作りです。 この土台作りを「させてくれない」のが日本の英語教育と言えるでしょう。 土台さえしっかり作っていけば、よく言われますが、中学英語で十分だ、中学英語が出来ていれば後は自然に覚えていく、と言われることが実現するのです。 しかし、これをさせてくれないからこのカテで何度も「中学の英語からまたやり直してください」と言うもっともな、そして多くの人がこれを聞いてもぴんと来ない「英語教育の現実をはっきり示した」アドバイスが書かれるわけです。 私の個人的業界のことで申し訳ないですが、なぜ日本には護身術がないのでしょう。 単語はあるのに護身術を教えるところがない。 これは、護身術を教えることの出来る指導員がいないからですね。 こちらでなぜ警官が殺されるのでしょう。 そして、ポリスアカデミーで十分な護身術を教える指導員がいない(いなかった)からなのです。 教えることの出来る指導員・先生がいなければ護身術でも英語でも「出来るようにさせてくれるはずはない」と言うことなのです。 過激すぎますか、私のコメントは? そう感じる人がいればその人は日本の犠牲者がどれだけ英語をしゃべりたいのかわからない人でしょうね。 なぜ、トーイックで満点をとっても「しゃべれるようになりたい」と言う人が存在するのでしょうか。 現実を語っていると私は思います。
お礼
再度回答ありがとうございます。 暴漢から襲われた時、一番効果的なのは相手の目を狙うことではないでしょうか?失明しようと相手が悪いんですから構いませんよ。 日本には護身術を教えるところはないかもしれませんが、護身術の本には そういう技は書いてありませんでした。その本を読んだところ よほど的確に決めない限り逆に相手を逆上させるような技しか書いてありませんでした。まあ、日本は正当防衛がなかなか認められないですからね。例えば 銀行強盗を格闘の末 行員が殺してしまったら アメリカではヒーローですが、日本では 過剰防衛に問われかねません。
- IXTYS
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● それでは理想の教え方とはどんなものでしょうか? 英語は単なるスキルに過ぎません。 それは自動車の運転免許と同じ。 教習所で基本を身につけたら、あとは経験を積むだけ。 私は運転免許を取るまでに、100km走ったでしょうか。 そして、免許を取ってから、数十万キロ走って今に至っています。 身につけた運転技術は数十万キロの路上運転で磨いたものです。 英語は実地に使って磨くものです。 ですから、積極的に実地訓練をする機会をまわりで作ってやることです。 私は我が家を開放して、これまでに100人近くの外国の人にホームステイを提供しています。 目的は我が家の子供たちに英語を聴いたり、話したりするチャンスを与えるためです。 英語の理想的な学習法は学校の先生には出来ません。 それが出来るのは父親だけです。
お礼
回答ありがとうございます。 すごい! 英語パパですね。私の父親は数学とか物理は滅法強いんですが、英語は苦手です。
- Tourbig
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私は、中学の英語は簡単すぎて、高校1年になって急に難しくなったように感じました。もう少し、中学時代に、高校レベルの英語を勉強出来れば良かったのですが、当時は、中学の延長で高校の英語も進むのだと思っていたのです。6年間でマスターすべき内容に関して、もう少しバランスを取って、中学で覚える単語数や文法事項を増やすほうが良いと思います。 一方、現状の中学の英語でも、ついて行くのが難しいという人もいるのでしょうか。そうなると、習熟度別の教育という、難しいテーマになってしまいますね。 「日本人は6年間英語を勉強しても英語が話せないのは教え方が悪いと指摘される」ということに関しては、英語を話すことの教育について、大きな人数で行う学校教育で行うことは難しいと思います。 私は、大学に入ってから、自分でNHKのラジオやテレビの英会話番組を聞いて、英語が話せるようになりました。就職してからも自力で勉強を続けたので、外国人と英語で話をして仕事が出来るレベルになりました。 それは、大学受験の勉強で、単語と文法に関して困らないだけの力を付けたことが基礎にあればこそだと考えています。 「6年間英語を勉強しても英語が話せない」ということを学校教育の欠陥だと言えるのでしょうか。「中学高校で6年間英語を勉強しただけでは英語を話せるようにならないが、それを基礎に自分で学べば話せるようになるはずなのに、話せないというのは全く情けないことだ」という意味で、「6年間勉強したのに話せない」という嘆きとして使われる言葉ではありませんか? 高校までは「教わる」で良くても、高校卒業以降は「自ら学ぶ」です。
お礼
回答ありがとうございます。 >私は、中学の英語は簡単すぎて、高校1年になって急に難しくなったように感じました。 私もそう感じます。でも、こんな簡単な英語でも落伍する生徒が多いので難しい問題ですね。習熟度別は確かに理に適っていますが、別の問題も生じますね。
- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは!! もう私が書かなくても何を書くかお分かりかもしれませんね。 英語教育の目的を革命的に考え直し、革命的に教育制度を変えるしかありません。 話せない英語の先生がなぜ英語を教えられると言うのでしょう。 ある期限を持たせ話せるようにならない・なれない教師にはやめてもらうしかありません。 文法・訳読は少なくても半分以上減らす、知ってもしかたないような文法は文法学者になるための教育です。 高校生に教える必要はないのです。 英語は言葉なんですから言葉として教えなくては何を教えていると言うのでしょう。 今の時代に英語を他の微分積分のようなつもりで教えてどうなるというのでしょう。 数学は算数を知っていれば日常困らないのです。 英語は全く次元の違うものなのです。 でも、お偉方は自分ではしゃべれないことを良いことにこの問題を重要視しようともしません。 受験英語・学校英語といわれる英語なんてないはずなのに英語として教え事はやめて、もし受験英語を教えるのであれば、勇気を持ってわが国では受験英語というものを教えている、だから話せないのだ、といえるくらいの自信を持ってもらいたいです。自信を持っていえないのであれば授業の名前を受験・学校英語I、II, IIIとする勇気はあるのでしょうか。 ないなら教えられる教師を育てることからはじめるべきでしょう。 教えやすいからそうしましょうと小学校から教えると言う中途半端な考え方ではなく徹底的な改革をすることが起こるのが私にとっては日本人の夢のまた夢なのかもしれませんね。 恥ずかしさを感じないからヌーディストキャンプは存在するのです。 裸の王様が日本には政府に存在するのです。 そして裸であることに羞恥心さえ感じないでいるのです。 英語圏の人たちが理解できないのは当然ですね。 英語が日本語と同じ人間が使う言葉ある以上言葉として教えなくてどうやって自分が持っているフィーリングを表現できるようになると言うのでしょうか。 このカテで6年も言ってきていることです。 この6年で日本の教育制度がどれだけ変わったでしょうか。 変わってなんていないですね。 一年間の卒業生かけることの6年です。 何百万人が6年間英語と呼ばれているものを習いそしてのその結果使い物になる英語を身につけさせてもらえなかった人たちがいるのです。 英語独学のために費やした庶民のお金は多分何兆円にもなるのではないでしょうか。 もしかしたもっと多いかもしれませんね。 そのお金を使わなくても良い教育制度が日本にあってもおかしくないはずです。 日教組から文句が出る理想的英語教育でしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 高校の英語だと「譲歩」という用語が出てくるのですが、何が「譲歩」なんでしょうかね。私も今一ピンと来ません。こんな日本語でも分かりにくい用語の使用は“譲歩”して、もっとわりやすい教え方があるはずです。
- Chicago243
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聞く、話すといった練習が少ないですから、そこが弱くなるのは当然です。あと文法とかに偏り過ぎてコミュニケーションに使われる言葉であるという意識さえ持っていない生徒もいるかと思います。何か古代の文字の解読のような、、、 コミュニケーションスキルを向上させるには、やはり自分が思ったこと、表現したいことを文にする(話すあるいは書く)ことが近道です。そうすると単語の辞書にある日本語訳よりももっと深く語感をはぐくむことができます。それが言葉という物ですよね。
お礼
回答ありがとうございます。 #1さんのお礼でも書きましたが、圧倒的に時間が足りないと思います。古代文字ですか、、昨日の質問でmyrtille55さんが同じようなことを書いていました。
- thepianoman
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アンケートに回されそうなご質問ですが理想を述べると言うことはある意味、非現実的と言っても宜しいかと思いますので、夢があって良いですね。理想の英語教育とは: 1)学校や塾を含め、英会話の出来ない英語教師を全て排除する。 2)大学入試科目の中から英語を止めて、全てtoeflとtoeicの点で合否を決める。 3)国語教育を徹底する。国語ができないのに英語が出来るわけがない。 4)文部科学省の教育指導要領を無視し、地方の裁量に委ねる。 5)文法の時間を半減させ、英語の授業は殆どを「会話」とする。 6)テレビなどで使われるデタラメな英語の発音を禁止する。 勝手なことを書いたら気分がいいですねぇ。 誰もが苦労することですが、私も初めてアメリカへ行ったときは発音やリスニングに苦労しました。文法やスペルは日本で正しく教わったと思います。しかし、何年もの間、日本ではデタラメな発音を習いましたので、全てやり直し・・・。 もっと発音を正しく教えて貰いたかったと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 けちをつけるつもりではありませんが 1) こんなことをしたら英語を教えられる人がいなくなって、英語の授業自体できなくなってしまいます。 2) センター試験は英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語も選べます。それに、英語だけ考えても toeflとtoeicでは基準も違うし明確な基準を設けないといけないですね。 3)これなんですが、国語教育にも問題がありますよね。文学偏重でコミュニケーションとしての教育の配慮が欠けていますし、それに学校の国語は ある作品を読んで模範的な感想を持つことが要求され、これは 純粋に国語力を養うというよりは思想的な要素を含んでしまいます。また、国語と英語の連携も全然無視されている。 4) 文部科学省の教育指導要領の見直しをすべきだと思います。あまりに地方の裁量に委ねるとバラつきが大きくなりますし、文部科学省の存在意義も疑問になります。それから、この問題は英語に留まらず、歴史教科書などにも及ぶと、沖縄なんかは琉球史なんていう教科書を作成するかもしれません。 5)私は圧倒的に時間数が足りないと思います。 6)端的なのが中国語です。日本人はあれだけ漢字に親しんでおきながら、会話は英語圏の人と同時に学習しても数段劣るそうです。確かに、漢字を知っている強みは絶大です。 また、別の見方をすれば それならフランス語やドイツ語はテレビの悪影響は受けないでしょうけど、身近な生活語彙を覚えるのは英語よりも苦労しますからね。
お礼
回答ありがとうございます。 J'attendais votre reponse! 流石は myrtille55さんですね。 音楽もそうですけど、美術とか体育も問題がありそうですね。部活動との兼ね合いも考え、必修科目から外して もっとフレキシブルな教え方が出来るはずです。 >はっきり言って、英語の習得には個人差が非常に大きく現れますので、 やっぱり、習熟度別教育も考えなければならないでしょうかね。 >日本語も英語も通じない外国人とどれだけ意思疎通を出来るかという試験の方が面白いと思います。 これまた斬新なアイディアですね。でも意図はよく分かります。しかし、こんな試験を導入したら 真っ先にブーイングに会うでしょうね。 改善すべきは世論的な考え方からかもしれませんね。 >英語で“Thank you”というよりも日本語で「ありがとう」と言った方が感謝の気持ちは相手に伝わるものです。 これまた納得です。 >小学生なら 関係代名詞とか不定詞とか用語を持ち出さなくても感覚的に理解できる能力があるからです。 これなんですよね。小学生なら 日本語もある程度使いこなせ、左脳と右脳をバランスよく使えるはずですので効果的だと思います。それに、RとLの聞き分けなんかは 早いうちから慣れた方が断然有利ですからね。