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平安時代の慣習について質問です。
平安時代の慣習について質問です。 出仕のための道のりで、行き触れなどがあった場合、「出仕できません」という連絡は、 どうやっていたのでしょう?(家から死者が出た場合なども当てはまるかと思います) 一緒にいた人も穢れに当たったわけですし、そもそも供をつけずに 一人で出仕していた場合はどうやっていたのでしょうか? 歴史に関してはまったくの素人ですので、教えていただけると嬉しいです。
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連絡には、遣いのものが行ったのではないかと思います。 下の方の身分のお供は元から清い存在ではないため、同行していても「穢れる」という概念を当てはめなかったのではないでしょうか。 行き触れでは、「清い」「尊い」ものが「穢れた」ことを問題視していたのかなと思います。 お供を連れずに外出すること自体まれだったのではないかと思います。 もし一人で外出することがあったとしても、本人が屋敷に戻ってきた後に、屋敷から遣いの者を出せばいいのではないでしょうか。
お礼
お礼が遅くなりましてすみません。 下の身分のものはもともと清い存在ではなかった、と言うのはびっくりしました。 また、供をつけずに外出することは、やはりまれだったのですね。 現代の小説で、平安時代を描写したものに、下男や女房が一切いない貴族が出仕している 描写がありまして、少し悩んでいました。 回答ありがとうございました。