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左三つ巴に梅鉢

とある家紋についての質問です。 「左三つ巴の周りに八つの梅鉢がある家紋」は、どこの家の家紋なのでしょうか・・・。 おそらく江戸城(皇居?)に関係した家だと思うのですが・・・。 家紋については全くの無知なのですが、少し調べなければならなくなったため、質問させていただきました。 特徴が乏しくて申し訳ないのですが・・・。 よろしくお願いします。

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回答No.2

浅学にして「左三つ巴に八つ梅鉢」という紋を見た事がありません(だったら、回答すんなって怒られそうですが^^;)。 bungetsu先生のご回答が詳細ですので、簡単に。 巴の起源は、勾玉などに見られるように水や霊魂を現すという説もあります。このデザインが世界的であるのは、アメリカの運輸省のマークや韓国の大極旗など現在でも使用されていることで証明されます。また、巴の右と左については判然とせず、現在言っている右と左は古い文献で言う右と左とは逆であるとも言われています。「源平盛衰記」には巴御前がこの文様を愛用していたとあります。 梅鉢は加賀百万石の前田家が有名ですが、そもそもは梅紋が起源であり、菅原道真の故事から天満宮の神紋として採用され、天神信仰の広がりとともに全国に広まったといわれています。 さて、皇室と巴はわかりかねますが、公家という視点でみると、有名所では西園寺家が三つ巴紋を使用しています。 また、八つ梅鉢はありませんが、気になるのは八つ丁子です。梅鉢に多少似ています。特に八つ丁子は巴と合体して使われることも多いものです(ただし、三つ丁子巴紋は私の知るかぎりは、丁子は巴の外ではなく中にあります、、、)。八つ丁子を使う公家は三条西家です。 参考になれば幸いです。

回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>「左三つ巴の周りに八つの梅鉢がある家紋」は、どこの家の家紋なのでしょうか・・・。 実は、「巴紋」ほど「異説」が多い・・・と、言っても過言ではありません。 「三巴紋」「剣輪に三巴紋」「巴九曜紋」などが有名ですが・・・。 (1)沼田頼輔氏の「日本紋章学」という本と、それを支持する丹羽基二氏は、 「巴紋」は、昔、弓を引く時、左手の肘に巻きつけて、弦のふれるのを避けるために用いた、革の道具の鞆(とも=肘当て)を型どった紋章だ。 と、言っていますが、「異論」も多いのが事実です。 (2)「巴紋」は、蛇がとぐろを巻いている姿から生まれた・・・と言う説もあります。 蛇は竜神を表わし、古代から日本だけではなく、各国で神聖化されている。 例えば、ギリシャでは、蛇を神のシンボルとしていた。 また、紀元前3~4千年頃のエジプトでも守護神ブトも頭上に蛇の王冠を戴いている。 その他、バビロンの竜神マルドック。インドの蛇族の守護神ナーガとナーギ。 そして、日本の八幡神などは、すべて「巴紋」を「神紋」としている。 (3)従って、「巴紋」は、蛇神=竜神=雷神、の紋章だとも言われています。 <源氏系> 田中、寺尾、板倉、森、石原、上野、石川、山本、松尾、島田、畠山、上村、雨宮、中沢、河合、多田、大田、竹本、土方、野尼、曽根、大井、赤松、千種、江見、別所、藤井、木造、進、伴、片山、村垣、彦坂、梶田、比留間、高安、平井、板花、五十嵐、など <平氏系> 正木、平塚、高樋、堀、椎名、田中、土肥、紫野、朝比奈、柴村、杉原、金沢、熊谷、平野、三田、高山、長尾、柘植(つげ)、大竹、関本、服部、山川、久野、など <藤原氏系> 大久保、宇都野、佐久間、田中、岡本、桑島、那須、浅井、磯谷、中条、粕谷、矢部、吉江、鎌田、松田、長谷川、佐野、上遠野(かとうの)、谷田、片山、曽根、小出、行方(なめかた)、波多野、佐橋、秋鹿、長滝、伏見、新屋、など <橘氏系> 山田、守山、長尾、など <越智氏系> 河野、林、など <菅原氏系> 桑原、山本、など <大江氏系> 境野、窪田、など <伴氏系> 上野 <惟宗氏系> 神保 >>おそらく江戸城(皇居?)に関係した家だと思うのですが・・・。 皇居=天皇陛下=神様信仰、ですので、神事との結びつきはあるかもしれませんね。

rassen_200
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございました。 何やら祖父がどこかで見つけてきた物らしく・・・。 梅鉢は間違いかもしれません・・・ただの飾りかもしれないです。 専門的な事まで、どうもありがとうございました!

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