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意識

 英語のSubconsciousnessは、日本語では潜在意識だそうです。  先に昼と夜の質問がありました。  潜在意識、つまりSubconsciousnessは暗い、暗黒の領域でしょうか?

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  • ENERGEIA
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回答No.9

k: そういうものでしょうかね。つまり固定ではない。しかも入れ替わる。  例えば、場所の移動を例に出せば、今いるところが意識されていて、あるところに行けば そこが今の場所であり、意識している(出来ている)場所となります。 k: 波紋、さざなみ。引力や風、或いは潮流の関係で水面に起きますね。  上下の位置関係で言えば、空に自分がいればそれは見えず、意識上で起こっていない。水中にあれば、やはりそれは見えず、起こっていない。  つまり、自分の空間的位置、あるいは時間的な位置の違いによって その中間の状態を意識できるのだと思います。 k:どうか意識にならない意識ということについての問題について  たぶん暗黒の宇宙空間にいれば、日の当たっている場所にいる、生きている意識は意識にならないのでしょう。  答えになっているでしょうか。  疑問があれば何でも聴いてください。

krya1998
質問者

お礼

 ENERGEIAさん、いろいろありがとう御座いました。  ENERGEIAさんのご思索の中枢に関るご内容かもしれません。  そういう中心のことは、ともすればその方独自のご経験やご思索で、ことばの受け渡しだけではとても同じに理解し経験し、思索することは難しいのでしょう。  しばらく私の内で、ご回答を酵母菌として醸成させてから、ことばが浮かんできましたらまた、質問させていただきます。  ありがとう御座いました。  

その他の回答 (8)

  • ENERGEIA
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回答No.8

k:そうするとその中間の向こうの意識は夜ということになるのですが、なんと呼称し、なんだと私たちは観念する事ができるでしょうか?  潜在意識でよいと思います。  集合意識と表現すると、他者の意識もそこにあって関係してきているという印象を受けます。  地球がひとつの意識体だと考え、それを個人にも当てはめれば、顕在意識の対極にある意識も自分ひとりの意識であると考えられます。  そうすると、それを思い出す 中間の意識はなんと表現すればよいかは解りませんが... k: そこで私たちは意識することは出来ないでしょうか?  潜在体験 あるいは 観受体験と言えばよいでしょうか、いずれにせよ個人的な体験によれば、意識していました。  それは、独り宇宙空間にて 満足している心境です。 k: そこが創造や私たちの始点となるのでしょうか。  そこが始点であり、終点 でもあると思います。この世界での通常意識が始点でもある と思います。  No.6のお礼欄の問いについては また明日に 投稿します。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.7

 No.1です。  埋められ得る隔たりを埋めようとします。  ★  それ(潜在意識)を自分の意識だとしても、それに知なる光で意識する事ができないのではないでしょうか。  ☆ 《潜在》が《顕在》になるのでなければ 《知なる光で意識することは出来ません》。意識しえないので 《潜在》というのですから。  ★ それは私たちの意識している世界を光が当たっている世界だとすれば、闇の底で支える意識なのでしょうか?  ☆ ですから ちがいます。ですから 《わたし》またその内面の世界を 《昼と夜》とに――自我や超自我や欲望に分けるように――分けるならば どちらが《基礎の基礎》で《奥深いもの》であるかをわざわざ決めるということが起こります。  ★(要約) 光が当たっている世界を 闇の底で支える意識(潜在意識)がある  ☆ というような認識の仕方が現われるでしょうね。すべては 分割の思考から起こっていると申し上げています。必要がないとわたしは考えます。顕在化したものを意識していけばよい。ただこれだけのことだと考えています。  言いかえると 《われに還る》というときの《われ》から離れて行った思考や意欲が 心のどこか脇に溜まってくるのでしょうね。その思考や意欲によって行動した結果が 不首尾であったときには余計に 気持ちや心の折れ曲がりが 脇のどこかに横たわるということだと思います。  どうにもしようがなく月日が経っていくならば いわゆる心理的な時間行為の複合(コンプレックス)が溜まります。その結果 この潜在意識の闇の世界のほうが 《わたし》の土台であるとさえ思われるようになります。錯覚であり 思い違いです。と申し上げています。いかがでしょう。

krya1998
質問者

お礼

 補足欄から  bragelonneさん:【どうにもしようがなく月日が経っていくならば いわゆる心理的な時間行為の複合(コンプレックス)が溜まります。その結果 この潜在意識の闇の世界のほうが 《わたし》の土台であるとさえ思われるようになります。錯覚であり 思い違いです。と申し上げています。いかがでしょう。 ◇:質問者:はいその通りとも考えられます。そういう潜在となっていく意識や観念、行為の記憶もあるでしょう。(錯覚 思い違い)のどこかに、(「そういうふうに、自分の土台を考えることは」というフレーズを挿入する解釈をしていいのであれば)、そのように自分の土台が作られていく側面はあるし、その作られてきている歴史は気も遠くなるほどに長大でしょうね。それを自分の土台だというか、どういうかは別にして、また錯覚であるかもしれませんが、否定や無視のできない、自己の層だと思います。わたしは今、ここでそのことも問題にしております。 ありがとう御座いました。

krya1998
質問者

補足

 bragelonneさん 埋められ得る隔たりを埋めようとします。  【★  それ(潜在意識)を自分の意識だとしても、それに知なる光で意識する事ができないのではないでしょうか。  ☆ 《潜在》が《顕在》になるのでなければ 《知なる光で意識することは出来ません》。意識しえないので 《潜在》というのですから。】 ◇:質問者:ここから私の質問が出発しているのですね。  【★ それは私たちの意識している世界を光が当たっている世界だとすれば、闇の底で支える意識なのでしょうか?  ☆ ですから ちがいます。ですから 《わたし》またその内面の世界を 《昼と夜》とに――自我や超自我や欲望に分けるように――分けるならば どちらが《基礎の基礎》で《奥深いもの》であるかをわざわざ決めるということが起こります。】 ◇:質問者:はいその通りと存じます。このことも私の質問の出発点です。  ★(要約) 光が当たっている世界を 闇の底で支える意識(潜在意識)がある  ☆ というような認識の仕方が現われるでしょうね。すべては 分割の思考から起こっていると申し上げています。必要がないとわたしは考えます。顕在化したものを意識していけばよい。ただこれだけのことだと考えています。 ◇:質問者:はいその通りと存じます。分割しないし、顕在化もする意図はないのです。そういう自分にどう対処するのかなぁということに向けての問題でもあるのですが。 bragelonneさん:【言いかえると 《われに還る》というときの《われ》から離れて行った思考や意欲が 心のどこか脇に溜まってくるのでしょうね。その思考や意欲によって行動した結果が 不首尾であったときには余計に 気持ちや心の折れ曲がりが 脇のどこかに横たわるということだと思います。】 ◇:質問者:はいその通りと存じます。

  • ENERGEIA
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回答No.6

k:実は中間でもないのですよね。  太陽光の当たっている球体としての地球で例えるなら 明と暗 の境界の辺り となりましょうか。  日常の風景で例えるなら 集合意識が 海 顕在意識が 空  潜在意識は 水面の波紋 でしょうか?あるいはもっと他に適切な表現があるかもしれません。  どうかお教えをいただけますように。

krya1998
質問者

お礼

 ENERGEIAさん  球体に斜光があたる境界部分ですか。球体が回転すると、その斜光は角度を変化し、現れ方が替わってくる。  意識され方が変わってくる。  そしてまた更に角度が変化すると(敢えて角度を変化させるとはいいません)、また意識の主体が変わる。  そういうものでしょうかね。つまり固定ではない。しかも入れ替わる。それは経験してきていることと齟齬がないのですが、それで潜在意識を指で指したといえましょうか?  まだ宿題が残っているみたいですが。  波紋、さざなみ。引力や風、或いは潮流の関係で水面に起きますね。  ではそれが起きない状態は人という生活意識に意識されませんか?  水面から下にいった状態、存在ではいかがですか。  どうか意識にならない意識ということについての問題についてもお教えください。ありがとう御座います。

  • ENERGEIA
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回答No.5

誤: あるいは潜在意識が 一般的に、中間の意識を表す言葉として理解され、用いられているのかもしれませんが... 正: 潜在意識が 一般的に、中間の意識を表す言葉として理解され、用いられているのかもしれません。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • ENERGEIA
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回答No.4

No.2の続きとなります  球体の地球 の片一方 半分に太陽が当たっている面が顕在意識であるとすれば、  あたっていないもう半分は 潜在意識であり、暗黒の領域であると考えられますが、 それをつなぐ領域が いわゆる早朝の薄明 、夕暮れ時の薄暮 に相応する、潜在意識を思い出すことの出来る(覚えていることの出来る)  中間の意識でしょうか。  あるいは潜在意識が 一般的に、中間の意識を表す言葉として理解され、用いられているのかもしれませんが...  潜在意識というのは 顕在意識の対極を表す言葉なのでしょうか。  いずれにしろ 潜在 と 顕在 この2つの言葉だけでは説明は難しいように思います。集合意識が顕在の正反対であるとすれば、潜在意識は やはり中間だという事になりますが...  

krya1998
質問者

お礼

 潜在意識が生理機能など昼間的意識ではないとすることの他に、中間的な意識というご回答は大変示唆的であり、考察と精進の対象になります。  夢を見るのも確かに覚醒直前というか中間的意識状態ではないかと存じます。  そうするとその中間の向こうの意識は夜ということになるのですが、なんと呼称し、なんだと私たちは観念する事ができるでしょうか?  そこで私たちは意識することは出来ないでしょうか?  そこが創造や私たちの始点となるのでしょうか。  ご高察いただき、どうか更なるご投稿をお待ちしております。

  • ENERGEIA
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回答No.3

 それから、質問者さんは ある人に対して 少し勘違いをしているようです。  過去の知識や問答を集め、それを記憶していれば、大抵のことに対応できます。人間の悩みやそれから生じる質問は、大体普遍的なことだから それに対応すると思われる気の利いた 言葉を引っ張ってきて 書くのは経験を積み重ねてきた人であれば 誰でも出来ると言って良いでしょう。  そのような人間が音に対する質問 つまりより根源的な質問や、今までに無かった問いにたいする適切な回答が出来ないのは 当然と言えるでしょう。  そういう人は、エテして 先人の言葉をそのまま使って(あるいは自分なりに加工して)人を感動させることができますが、最後の最後、つめの段階でコケるのではないでしょうか。  人間、最後には自分しかいなくなるのですから。  自分で経験していないのに 「経験者」で、「自身あり」って どうなんでしょうね。  しかし、ここは年配であるその人を 立てて 20ポイントは そちらにあげてやってください。

krya1998
質問者

お礼

 ENERGEIAさん  斬新なお教えをありがとう御座います。  よく肝に銘じて今後の指針といたします。  ありがとう御座いました。

  • ENERGEIA
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回答No.2

 自分が体験した 潜在体験をそれとすると、  暗くも無く、明るくも無く  カラーでもなく 白黒でもない ものです。  中間 でしょうか  カラーでない しかし白黒でもない 夢に相当するかもしれません。

krya1998
質問者

お礼

 ENERGEIAさん  仰せのように、実際は明暗や色彩などのカテゴリとかタームは適当ではなく、それを当てはめるとすれば、地上の所謂る生きている界での意識と観念からのことばでの跡付け、紡ぎとなっていると存じます。  そのことを承知して、敢えて他の言語がないので、この地上界の用語を使用して質問しました。  実は中間でもないのですよね。  夢って、結局は解釈なんでしょうね。  どうかお教えをいただけますように。  ありがとう御座いました。

回答No.1

 こんにちは。  素人丸出しの考えを述べます。  1. 意識していなかったことが 意識に思い浮かぶなら その出所は 潜在意識か無意識かであると思われます。――ですが これはすべて 《わたし》の記憶から現われると考えてよいと思います。  2. その意識に思い浮かんだ内容は 個々の判断材料ではなくすでに思惟し終えておりそこから選択した事柄であるなら 意志行為をかたちづくる要素です。このとき 自我だの超自我だのあるいはリビドだのと言いますが これらはすべて《わたし》です。  3. ふつうにいまここにわたしがあるというそのわたしを意識する自我というものや そこからものごとを欲するという欲望一般にしろ あるいは この欲望をあたかも精査するかのごとく いと高きところを望みこれに従おうとしてよき判断をくだすという良心的な意志にしろ すべて《わたし》です。わたしの記憶と知解と意志のはたらきです。  4. ではなぜ その《わたし》に二つも三つもの我れがあるのか? それはひとえに その昔ものごころがついたときから わが心に逆らってうそをつくという意志行為をおこなったところから出て来ています。へそ曲がりの結果です。《我れに還る》という我れもあれば それに逆らうへそ曲がりの我れもあります。  5. 意識は 記憶・知解そして意志の三つをまとめた《身体=精神》のあり方を知覚し認識すれば そのすべてが意識です。これは 潜在意識がどうの無意識がこうのというふうな問題として見ないほうがよいと考えます。意識にのぼって来たなら それについて処理すればよいというわけです。どこから来ようとかまわないというわけです。  6. 昼と夜。たしか 《朝から昼を経て 夕になり そして夜がおとづれるのであるけれども 夜にはつれて行かれずに つぎの朝を迎える》という思想をお伝えしたことがあるように思います。    7. 自我だの超自我だの欲望だのといちいち意識の出どころを分けて それによってあたかも《わたし》をも分割してしまっているその種の学問ないし思想は ほとんど有効ではないと考えます。必要ないと思います。  なぜなら その人格の――ないし精神の むろんたしかに分析は 有用でしょうが その――分割思考は それが 昼に対してわざわざ《夜》をあたかも同等の世界としてのように 据えているからです。昼と夜とは ほんとうには同等に対立するものではないと言わなければならないのではないでしょうか? いわゆる善と悪のそれを含めて それら二者が互いに同等に対立すると捉えるときすでにその解決は放棄していると言うべきではないでしょうか?  《暗黒の領域》は ただ文学の世界にのみ任せておけばよいのではないでしょうか?

krya1998
質問者

お礼

 bragelonneさん  ご回答ありがとう御座います。bragelonneさんが昼夜のご質問をされていた事は存じませんでした。  失礼しました。  神は光である。  神は知性である。  という認識を私は、もっております。しかし潜在意識、或いはSubconsciousnessということばでの意識が存在しているように(あるのではないかと)も思えます。  それを自分の意識だとしても、それに知なる光で意識する事ができないのではないでしょうか。  それは私たちの意識している世界を光が当たっている世界だとすれば、闇の底で支える意識なのでしょうか?  という質問でした。遵いまして常のように分厚いご回答については申し訳ないが、求めるものではありません。ありがとう御座いました。

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