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ビルマ戦線について
自分の曾祖父はビルマ戦線に参加しており、その時に所属していた部隊についてそれからその部隊がどのような戦いをしていたのか、すごく気になり質問してみました>< どうか知ってる方がいらしたらこの質問に答えて下さいよろしくお願いします <部隊名> *手紙に書いてあったものは ビルマ派遣林、楯、八四一六部隊 黒岡部隊新名隊です。
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ご質問にお答えいたします。私の父も同じ歩兵143連隊第3大隊(長・松井利生中佐)でしたので少しは参考になると幸せです。143連隊(宇野節大佐)は第55師団の歩兵連隊で昭和15年8月3日に徳島県において編成されました。ご質問の新名隊は第七中隊長の新名健児中尉の隊です。私の父は第八中隊でしたので同じ第三大隊に所属していました。具体的な戦記は歩兵第143連隊史を参考にしてください。徳島県の図書館には保管されていると思いますが、私の父の話を少しだけ記載させていただきます、太平洋戦争において第143連隊は、昭和16年9月26日動員下命、生まれて8日目の兄を残して父は徳島の連隊へ4度目の出征をいたしました。10月8日に部隊は動員完結し11月16日秋なのに夏用の軍装で秘密保持のため夜間、県民を代表する徳島県知事と徳島市長だけの見送りで徳島駅を出発し20日に香川県詫間港より輸送船で出発しました、その後日米交渉の経過により台湾沖、次にベトナム沖で待機し12月8日未明暴風雨の中真珠湾攻撃より数時間前にタイ国チュンポンに敵前上陸を敢行、数時間の激戦の末に講和が成立し進駐しました、黒岡金四郎少佐は二代目の大隊長です。連隊長も宇野大佐から土井元武大佐に代わりましたが昭和19年5月5日にプチドン西方で戦死なされております、その後第三代連隊長木村雄次郎大佐により昭和22年に復員いたしました。因みに父の八中隊は編成時176名でしたが復員できた八中隊員(高原集成中隊)は33名でした、この内編成以来の生き残りは父を含め15名でした、いかに厳しく戦ったか想像出来ると思います。 詳しくは連隊史もしくは徳島市眉山頂上に建つ徳島県ビルマ会及び仏教会のパゴダを参考にしてください。
- yatiyochan
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>ビルマ派遣林、楯、八四一六部隊 黒岡部隊新名隊です。 緬甸派遣楯八四一六部隊というのは、歩兵第百四十三聯隊の通称名で、同部隊は1940年(昭和15)7月四国徳島に於いて第55師団(兵団文字符:楯)隷下部隊として創設され(初代聯隊長:宇野大佐)9月27日軍旗を授与され同地にて教育訓練に励んでいたところ翌41年9月16日臨時動員が下令され戦時編制を完結し、仏印ベトナムへ派遣され師団主力宇野支隊として太平洋戦争開戦に伴いサイゴンを出帆しタイ国チュンポン地区へ上陸、西方へ移動しビルマ(現ミャンマー)テナセリウム地方最南端ビクトリアポイントへ上陸占領、42年ただちに北上し、タボイ、モールメンをへてさらにシッタン河に沿って英印軍を追撃しながら挺進し3月初旬頃ペグー付近にて英印軍機甲部隊と激戦したのち同地を占領しマンダレー街道を北上し4月ピンマナ、ミンギャン、マンダレーを攻略、さらにバーモ、モガウン(シッタン谷地)まで進撃しました。 こうしてビルマ平定作戦を終了した後は43年1月ごろから南下を開始しアラカン地区へ集結し英印軍の攻撃に対してマユ半島、アキャブ地区にて反撃を加え(三一号作戦)、西南ビルマを確保し続けました。44年1月師団の文字符が「楯」から「壮」へ変わり百四十三聯隊も通称号が「壮第八四一六部隊」となりました。同年北西ビルマでインパール作戦が破綻し全軍敗走の状態になった45年2月には救援のためにシッタン河沿いのピンマナまで移動して撤退作戦を支援しましたが、4月にいたり南部へ後退し、開戦の進撃路を辿るようにシッタン平地をへてシャン高原へ至ったところで停戦となりました。 同部隊の戦いの詳細に関しては戦史叢書『ビルマ攻略作戦』『インパール作戦』『イラワジ会戦』『シッタン・明号作戦』防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 をご覧ください。 「黒岡部隊」というのは歩兵第百四十三聯隊第3大隊のことで、大隊長黒岡金四郎少佐は一兵卒から昇進し少尉候補者10期を卒業した超ベテランの将校でした。「新名隊」というのは同大隊の中隊のことですが、詳細は不明です。 同聯隊にはかつて「歩一四三会」という戦友会が徳島市にありましたが、現在存続しているかどうか定かではありません。
- 風車の 弥七(@t87300)
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ビルマは私の父も行っていました。 八四一六部隊 壮兵団ですね。 ビルマにいた兵団の一覧表を貼っておきます。 http://sapporo.cool.ne.jp/xaucia606/order_burma.html ほんの少しですが壮兵団の事が書き込まれています。 http://www.shibasks.co.jp/jibunshi/jb028.html ビルマの戦いの詳細です。 御曽祖父様も勇戦したと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 ちなみにビルマからの生還率は1/7です。 7人に1人しか日本に帰ってこられませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 こ