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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:趣味の日本陸軍~)
日本陸軍の編成や研究について知りたい
このQ&Aのポイント
- 私は日本陸軍の研究をしていますが、日米開戦時の特定部隊の詳細情報が分かりません。
- 具体的には、独立混成第2連隊と第4連隊の編成地や補充担当、編制隊の内容、人員装備などについて知りたいです。
- また、独立混成第2連隊の改編やその後の活動についても興味があります。同じ趣味の方、教えてください!
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独立混成第2連隊(長:恒岡)と独立混成第4連隊(長:中畑)は、1941年(昭16)9月10日特臨編第7号下令により臨時編成されました。 第2連隊(通称号:登第4629部隊)は、第52師団長管理によって編成を完結しました。編制は連隊本部、歩兵大隊(3)、騎兵中隊、山砲兵中隊、工兵中隊となっており補充担任は第52師団各補充隊(例:騎兵第52連隊補充隊、山砲兵第16連隊補充隊、工兵第52連隊補充隊)であります。歩兵大隊の編制は大隊長以下約850名、大隊本部、一般中隊(3)、機関銃中隊、歩兵砲中隊(独立混成連隊編制基準) 編成後渡支し第13軍直轄部隊として上海にあり、周辺地区清郷作戦および浙かん作戦などに従事していましたが、昭和17年末~昭和18年5月までには解隊したようです。その辺の理由に関しては推測になるので記しませんが、金沢や富山、松本の師団史や連隊史にもこの部隊に触れたものがありません。 第4連隊(通称号:岡第9367部隊・岡第3975部隊・灘第3975部隊)は、第54師団長管理によって編成を完結しました。編制は第2連隊と同じ。補充担任は第54師団各補充隊(例:歩兵第154連隊補充隊)。 編成後南方直轄部隊として仏印のサイゴンにありましたが、昭和17年初旬に一個大隊及び馬匹を残置し主力は占領後の警備のため、ボルネオ島北部に移動しましたが、昭和17年9月5日軍令陸甲第71号下令により連隊は10月31日に復帰完結。人員は南方軍下士官候補者隊および独立守備隊などへ転属となりました。
お礼
こんにちは。 詳細な回答、ありがとうございます。 とてもクリアーになりました。 開戦時の兵力の事、流れよく分かりました。 重ねてお願いですが、 どうやってお調べになったか、教えていただければ幸いです。 ITでもヒット無しで…