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独立輜重兵について
太平洋戦争で亡くなった義父のことで情報を集めております。 昭和16年12月に南方に派遣、その後音信不通となりました。 ビルマ国方面で戦死し昭和20年8月に戦死の公報を受け取りました。 死亡時の所属部隊: 独立輜重兵の「独輜五三中森一三五三部隊」の 情報を知りたいのです。 独立輜重兵連隊、独立輜重兵大隊、独立輜重兵中隊が存在していたことは最近知りました。しかし独輜五十三中森一三五三部隊がどの部隊に所属していたかが不明です。確かな情報を教えてください。 よろしくお願いいたします。
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- yatiyochan
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独立輜重兵第53中隊(東部第1353部隊)(沖第1353部隊)(森第1353部隊)(林第1353部隊)は、1945年(昭和20)3月に現地で解散したために、厚生省の援護記録が残っていません。従って断片的な記録をつなぎ合わせたものでよければ参考としてください。 1941年(昭16)7月16日、いわゆる関特演にともなう特臨編第16号下令により仙台の輜重兵第2連隊補充隊において編成業務に着手し、10月中旬編成を完結した。編制は中隊長田中大尉以下430名、馬匹355。中隊本部、輓馬小隊(3)。同市長町を出発し東京着。満洲派遣の予定を変更し同港を出発して台湾基隆上陸。同地にて待機し1月15日第15軍戦闘序列に編入され、42年1月中旬タイ国バンコク上陸。ビルマ攻略作戦後方支援のため輜重兵第55連隊長の指揮下に入り、鉄道及び徒歩にて同月下旬までにラーヘン着。爾後同地にて待機後出発しペグー着。同地にてラングーン間の輸送業務に従事。作戦終了後にラングーンへ移動し、8月下旬に同港を出発しシンガポール(昭南)、パラオをへてニューブリテン島ラバウル上陸。第17軍戦闘序列に編入され、ニューギニアポートモレスビー攻略作戦参加の予定であったが、戦況悪化のために派遣中止となり、11月7日ガダルカナル島派遣のためラバウルを出発し同月10日ブーゲンビル島エレベンタ上陸。ガ島上陸できず同地にて自活生活後ラバウル帰着。爾後同地にて駐留した後43年7月下旬に同港を出発し、パラオ、サイゴン(現ホーチミン)をへて9月1日シンガポール上陸。マレー半島を陸路移動して10月中旬ごろまでにラングーン着。第2野戦輸送司令官の指揮下に入り輸送業務に従事後インパール攻略作戦後方支援のため第31師団後方補給支援にジビュー山脈を踏破しその後ウクルル、フミネなどにてコヒマ道への輸送業務に従事。戦況悪化のため7月下旬からフミネ、タナン、トンヘを経て8月初旬頃シッタンに至ったが、それまでに馬を殆ど失い残存兵は徒歩にてシッタン河沿いにシュエポ、アパついで45年1月中旬メークテーラをへてピンマナに到着したところで2月17日現地復員が下令され部隊解散。生存者と他の部隊の生き残りをあわせて陸上勤務第134中隊(森第12256部隊)編成要員となり堅作戦に従事した。 史料=ビルマにおける行動については戦史叢書『ビルマ攻略作戦』『インパール作戦』『シッタン・明号作戦』ラバウル関係は「南太平洋陸軍作戦1』『同2』などが参考となりますが、残念ながら同中隊の行動に関してはほとんど記述がありません。
お礼
思いもしなかった義父の戦時下の状況がよく分かりました。 昭和19年夏に召集されてから、戦死公報までのことがよく分かりました。 ほんとうにありがとうございました。 さっそく、義兄等に知らせたいとおもいます